高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」
左から)高橋一生、井浦新 (撮影/堺優史)

高橋一生と井浦新。二人の佇まいは、どこか似ている。

静かに、訥々と語らうその話しぶりは哲学者のように慎み深く、喧騒から身を置くようにささやかな日常を愛でる生き方は、なんだか詩人のようだった。

芝居を愛し、芝居に愛された二人が映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』で共演する。高橋が演じるのは、キャリアを代表する当たり役の一つとなった岸辺露伴。井浦は謎の男・田宮役でシリーズ初参戦を果たす。

誰もが見たかった貴重な初共演は、どんなケミストリーを起こしたのだろうか。



一生くんとのお芝居は、映画の神様が与えてくれたギフト

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

高橋一生にとって井浦新は、共演する前から「僕が好きだなと思う芝居をされる方」だった。



「毎回作品を見るたびに、新さんの演じている役をまるごと好きになってしまうんです。この気持ちの源泉は何から来ているのだろうとご一緒する前から考えていたのですが、やはり居住まいもさることながら、新さんの根本的な人間性みたいなものに端を発しているんじゃないかなと。現場でも、新さんの人としての奥行きや奥ゆかしさが役の端々に投影されていくのを日々感じていて。新さんの作品への臨み方に対し畏敬に近いものを感じながら、お芝居をさせてもらいました」(高橋)



そう惜しみないリスペクトを向けると、井浦もまた高橋に対して「なんでもできる俳優さんという印象がありました」と応える。



「もちろんそれは単に上手いという意味ではありません。そんな言葉ではカテゴライズできないものが一生くんにはある。それはなんだろうと考えていたのですが、今回お芝居を交えてみて、彼は役の外側ではなく内側を描こうとしている。

血を通わせた人間として役を生きることができる人だからなんだなと腑に落ちました。一生くんが演じた岸辺露伴は漫画の登場人物です。だけど、一生くんが演じると、ちゃんと生きている人間としてそこに立っているのがわかる。キャラクターではなく、露伴という人間が目の前にいるという感覚は、僕にとっても心地の良いものでした」(井浦)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

役として対峙する時間は、二人にとって至福のひとときだった。



「一生くんとのお芝居はドキドキするんです。何が飛び出してくるんだろうとハラハラする。でも、心配はまったくなかったです。二人の芝居場で何が起きても、それは映画の神様が与えてくれるギフトだから。僕はもうワクワクしながら心地良くやらせてもらいました」(井浦)



「新さんとのお芝居は重ねれば重ねるほど、いろいろと感じ取れるものがありました。新さんが普段どういうことを感じられて、どういう思いを持っていらっしゃるのかが、お芝居を通して透けて見えるんです。僕は普段そういう見方をしながらお芝居をすることはないので、新さんが特別なんでしょうね。エキサイティングなシーンもあるんですけれど、人って素敵だなと思いながらお芝居をしていました」(高橋)



自分の生活でカツカツになっていたら、誰も作品を愛せない

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

本作の舞台は、水の都・ヴェネツィア。邦画史上初のオールヴェネツィアロケによる現地のチームとのクリエイティブは、高橋と井浦に様々な気づきをもたらした。



「ヴェネツィアのみなさんは陽気で、人のことが好きなんです。関西の人のようなノリでコミュニケーションをとってくださいますし、みんな朝はエスプレッソを飲まないと始まらない(笑)」(高橋)



「そして休憩を必ず1時間とる。そのときに出される食事が必ず温かいんです。どれだけ撮影が大変で疲弊していても、温かい食事をとって、エスプレッソを飲めば、また頑張れる。あの温かい食事は、きっと人に対する思いやりの表れだと思うんですね」(井浦)



「あと、現地のスタッフのみなさんは労働時間が決まっていて、それを過ぎたら必ず引き上げるんです。ある日、その先どうしても撮らなければいけないシーンがあったので僕たち日本のスタッフのみで続けたことがあったのですが、現地のみなさんはバーで飲みはじめていて笑顔で送り出してくださったんです(笑)。しかもそれが嫌味にならない。素晴らしいなと思いました」(高橋)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

「ディスカッションにおいても、自分たちの譲れないところは主張しつつ、相手への敬意を忘れない。だから話し合う中で、徐々に認め合い許し合い、各部署が一体になっていくんです。どんどんいいチームになっていくさまを、俳優部という一歩引いた立場から見ることができて良かったし、奇跡的な現場に居合わせているんだなと思いました」(井浦)



「人権という視点から見ても、とてもいい環境でした。やっぱりスタッフのみなさんが尊重されていればいるほど、作品に愛を向けられるのだとわかりました。自分の生活でカツカツになっていたら、誰も作品を愛せない。

作品を愛する余白が与えられる現場というのは本当に素晴らしいなと実感しました」(高橋)



「ありがたい経験でした。アメリカやヨーロッパではこれがスタンダードなんだと知ることができた分、日本の撮影環境ももっと良くなる伸びしろがあるのだと励みになりましたしね」(井浦)



「いいところもあれば、ここはちょっと違うなと感じるところもあった。比較することで、より日本の撮影環境の課題も明確になった気がします。俳優として、そういう現場を経験できたことは、とてもいい学びになりました」(高橋)



「良かれと思って」という善意が人を追いつめることもある

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

誘われるように訪れた教会の懺悔室で、岸辺露伴は日本人男性・水尾の告白を聞く。25年前、水尾は差別に晒されながらも、肉体労働に汗を流し、なんとか糊口を凌いでいた。そんなある日、水尾は、助けを求める浮浪者・ソトバを誤って死なせてしまう。本来は、同じ日本人として異国の地で生きる辛さを分かち合えるはずだった。だが、自分より貧しく哀れなソトバに対して芽生えた加虐心が、悲劇を招いた。



なぜ人は自分より弱いものに対し、攻撃的になってしまうのか。高橋は「その人の置かれた環境や、生活してきた背景によってそうなってしまうことは往々にしてあるんじゃないかな」とささやくように切り出した。



「その逆も然りだと思うんです。自分が辛い目に遭ったから、同じことは絶対に他の人に繰り返さないという人もいる。どちらに転じるかは、その人の人間性もありますけれど、どういう状況にいるかのほうが大きくて。

人は、どちらにでもなり得るものだと僕は思います。それに、僕はむしろ人の感情にはもっと難しいことがある気がしていて。それが、『良かれと思って』です」(高橋)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

相手のためを思って。純粋な親切心で。そんな優しさが、オセロのように反転する。



「自分と同じようになってもらいたくないからという一心で必死に指導や教育を施すけれど、結果的にそれが自分がされて嫌だったことと同じになっているときがある。悪意だけが攻撃のきっかけになるわけじゃない。善意が人を追いつめることもある」(高橋)



劣悪な環境から抜け出した人間が、自分と同じだけの努力を他者に要求したり。あるいは、苦労を知っているからこそ必要以上に甘やかしたり。過程は真逆でありながら、どちらも相手のためにならないという着地に至るケースが、世の中には溢れ返っている。



「だから僕は何もしないことがいちばんいいんじゃないかと思います。僕の経験則上、自分がされて嫌だったことを、他の人が回避できるよう、ついあれこれ言葉をかけたところで、結局同じ轍を踏んでしまうこともある。

冷たいと思われても、何も行動を起こさず、黙って見ていることが結果的に良かったりするんですよね」(高橋)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

一方、井浦は、原作者・荒木飛呂彦の描くこうした人間の暗部に関心を抱いた。



「荒木先生の作品は刺さる台詞がたくさんありますが、それと同じくらい登場人物の何気ない表情や立たされた立場がすごく生々しいところに特徴があると思っています。ソトバにしても水尾にしてもそうです。人間のどろっとした本性や、追いつめられたときに出てしまう人間の野性的な部分が彼らを通して描かれている。確かにそこは人間の薄汚さではありますが、その人間らしさが一周回って僕には素敵に思えたんですよね」(井浦)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

誰もが聖人君子であれたら、この世の中はどれほど美しいだろう。しかし、人間は無心に咲く花のようには生きられない。妬み、嫉み、騙し、陥れ、もがく姿にこそ人間の業がつまっている。



「人には見せたくない人間の奥底や闇を描くことで、小さな希望の光や明るい景色をほんの少しだけ感じ取れる。そこが、僕が荒木先生の作品が好きな理由の一つです。このお話を読んでいても、登場人物のしたことがいいか悪いかは置いておいて、彼らの人間臭さに、どこかほっておけないようないとおしさを覚えました」(井浦)



ヴェネツィアでは、毎日同じ道を写真に撮って記録していました

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

最高の幸せは“最大の絶望”を連れてくる。本作には、そんな惹句が添えられている。井浦新は、どんな瞬間に無上の幸せを感じるのだろうか。



「あのときのあれがというよりも、そうした幸福な思い出を積み重ねた今この瞬間が幸せだなと思いますし、そうでありたいと思います」(井浦)



本作の撮影のために過ごしたヴェネツィアでの日々もまた井浦にとっては忘れられない幸福な時間だった。



「朝の5時入りだろうが、夕方入りだろうが、必ず15分歩いて支度場に向かうのですが、その道中の景色が僕にとってこの作品を表す景色になっています。雨が降っていて、空はグレーなんだけど、石畳はきらっと輝いていて。誰も人がいない道を黙々と歩く。この瞬間がすごくいいなと思って、同じ道なのに、毎日写真に撮って記録していました」(井浦)



運河と水路が街中をめぐり、華やかでありながら閑静なヴェネツィアの息遣いが、井浦を魅了した。



「現地では自炊もしていました。お味噌を日本から持っていっていたので、現地で野菜を買って味噌汁をつくってみたのですが、なんか違うんですよね。トマトも、同じトマトのはずなのに、ヴェネツィアで食べたトマトはめちゃくちゃおいしくて、なんでだろうと考えたり。そんなふうに過ごす毎日がいとおしくて。このままずっと撮影をして、この街でみんなと暮らせたら、どれだけ幸せだろうと思いました」(井浦)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

一方、若き日に犯した「あやまち」が「呪い」となってつきまとう恐怖が本作では描かれている。産声をあげたその日から今日に至るまで、一度も罪を犯さずに生きてこられた人間など、きっといないだろう。罪とはどれだけ時間が経っても許されないものなのか。あるいは、いつか許される日が訪れるのか。



高橋一生は言う。「許すと忘れるって、とても近いのかな」と。



「たとえば、血脈であるとか、自分の近しい人たちが傷つけられたら、その憎しみは忘れがたいものとして存在し続けると思うんです。でも、同じ傷をまったく関係のない人たちが誰かから負わされたとして、同じようにずっとその罪を憎み続けられるかといったら難しいかもしれない」(高橋)



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

今日も、テレビやニュースサイトは凄惨な事件で溢れている。そのすべてに怒り、胸を痛めていては、いつしか自分の心まで壊れてしまう。動作の重くなったパソコンをクリーンアップするように、人は忘却によって精神の健全を保っている。



「ただすごく難しいのが、許してはいけないこともあるはずなんです。けれど、年々忘れられるスピードが早まっているような気がしていて。忘れられることが許されることに近いのであれば、こんなふうにどんどんいろんなものが忘れられていく現状が本当にいいことなのだろうかと、ちょうど最近そんなことを考えながら生きています」(高橋)



誰かが幸福の絶頂にいるとき、別の誰かが不幸のどん底でのたうち回る。それが、人間のつくった社会だ。そして、まるで騙し絵のように幸福の影に不幸は潜んでいる。どうか自分だけはここから転げ落ちませんように。そうねだる代わりに、下手くそな曲芸もどきで神様の機嫌をとる。哀れで、愚かで、強欲な人間の罪と罰が『岸辺露伴は動かない 懺悔室』には描かれている。



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

『岸辺露伴は動かない 懺悔室』5月23日(金)より全国公開



高橋一生×井浦新と考える罪と幸福「許すと忘れるって近いのかな」

撮影/堺優史、取材・文/横川良明
(高橋一生)
ヘアメイク/田中真維(MARVEE)
スタイリスト/秋山貴紀[A Inc.] 
(井浦新)
ヘアメイク/山口恵理子 
スタイリスト:/上野健太郎



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