『サンダーボルツ*』が好評。マーベル映画の“真髄”を描く

マーベル・スタジオ最新作『サンダーボルツ*』の公開が全世界でスタートし、好評を集めている。本作にはこれまでのマーベル作品に登場するような“王道”のヒーローは登場しない。

出てくるのは、クセの強い、ワケありのキャラクターだらけだ。しかし、映画が進んでいくと、マーベル作品の真髄が垣間見えるドラマが浮かび上がってくる。(これから映画を観る方のために、以降、詳しい内容については記述しません)



マーベル・スタジオはキャプテン・アメリカやアイアンマンなど、数々の人気ヒーローをスクリーンに登場させ、映画史の記録を塗り替えてきた。しかし『サンダーボルツ*』に登場するのは、ヒーローとはほど遠いメンバーばかりだ。



エレーナ・ベロワは幼い頃から暗殺者になるべく訓練を積まされ、哀しい過去を背負っている。現在は議員をしているジェームズ・ブキャナン・バーンズもかつて悪の組織に洗脳され、暗殺者として活動していた。正義のために悪を倒してきたのではない。かつて“キャプテン・アメリカ”の名を襲名したジョン・ウォーカーも過去に大きな過ちをおかして、すべてを失った。



アレクセイ・ショスタコフはソ連が生み出した超人兵士で、かつては活躍していたが現在は活動の場はどこにもない。量子トンネルの実験中の事故が原因で、身体があらゆる物質をすり抜けてしまうようになったエイヴァ・スターもまた、この世界に居場所がない。



ここに登場するのは、過去に傷があり、居場所もなく、常に不安を抱えている者たちだ。彼らはある事情で共に行動することになり、やがて圧倒的なパワーを誇る宿敵セントリーと対峙する。

サンダーボルツ*は即席チームの上に、誰も空を飛べないし、目からビームが出たりしないし、負った傷も自然にふさがらない。当然のように彼らに打つ手はなく、チームは離散する。そもそもが居場所のない一匹狼の寄せ集めなのだ。



それでも彼らは再びチームとして行動する。ちなみにサンダーボルツ*は誰も改心しないし、大きく成長もしない。一緒にいても不平不満、グチ、文句、後悔、泣き言だらけだ。どんな命でも必死になってひたむきに守ろうとするが、強大なパワーはないので、仲間を守りきれないかもしれない。



しかし彼らは、相手を救うことはできなくても、“隣にいること”はできる、と気づく。特別なことはしないし、できない。過去は変えることができない。何度も脳内で再生される。でも一緒にいて、相手の愚痴を聞き、相手と文句を言い合うことはできる。



本作では“ただ隣にいること”が大きな意味をもつドラマが描かれる。何か立派な理由や意気込みや正義感はなくてもいい。隣にいて、一緒に文句と愚痴と不安を言い合える。それがどれだけ心強いか、それがどれだけ人にエネルギーをもたらすかを、本作は壮大なアクションとジョークだらけのドラマを使ってサラッとやってのける。ここにいるメンバーは人格者ではないかもしれない。しかし、一緒にいたくなるやつらなのだ。



『サンダーボルツ*』が好評。マーベル映画の“真髄”を描く

本作では繰り返し、超人血清に関するドラマが描かれる。人体に投与することで驚異的なパワーが生まれるとされる超人血清が登場することで、キャラクターはパワーアップし、劇中のアクションはド派手なものになるだろう。しかし、思い出してほしい。『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)で初めて超人血清が登場した時、スーパーソルジャー計画を担うエイブラハム・アースキン博士は小柄な青年スティーブ・ロジャースにこう言ったのだ。



「血清は内なるものをすべて増幅する。善人はより善人に、悪人はより悪人に。

だから君を選んだ」



超人血清は“パワー”ではなく、キャラクターの“内なるもの”を描くために存在する。よって『サンダーボルツ*』でも、物語の主たる舞台は、キャラクターの内側=心の中になる。“ただ隣にいること”を選んだサンダーボルツ*のメンバーは、増幅された悪に打ち勝つことができるのか?



『サンダーボルツ*』が好評。マーベル映画の“真髄”を描く

映画『サンダーボルツ*』は、設定だけみるとマーベル映画の“異色作”だ。しかし、そこで描かれるドラマとキャラクターは、シリーズ開始時から続くマーベル映画のど真ん中=真髄を描いている。来年公開のアベンジャーズの最新作に向けて、本格的な助走が始まった。そう感じられる映画でもある。



『サンダーボルツ*』
公開中
(C)2025 MARVEL

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