「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

芸歴10年以下の若手芸人が出演する神保町よしもと漫才劇場(東京)に、“76歳で芸歴5年目”という異色の芸人が所属している。その名は「おばあちゃん」。

なぜ70代にもなってお笑いの道を目指したのだろうか。彼女の半生をひも解いていくと、乳がんや難病の兄の介護など波乱万丈な人生があった。朗らかな笑顔の奥にある、何歳になっても挑戦を続ける人生哲学に迫る。

“76歳の若手芸人”が最高齢で劇場所属

神保町よしもと漫才劇場は、オダウエダやヨネダ2000、令和ロマン、ナイチンゲールダンスなど、お笑いの賞レースで結果を残す注目の若手芸人が多く所属している。

今年6月にオーディションライブを勝ち上がり、最高齢で神保町劇場の所属となったのが芸歴5年目のピン芸人「おばあちゃん」だ。“76歳の若手芸人”の話題性のもと、テレビやネットメディアなどの取材が殺到した。

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ピン芸人の「おばあちゃん」

彼女はそんな現状を「本当にもう何が何だかよくわからなくて、自分でもびっくりしてます」と明るく語る。



テレビの密着取材が行われる中、7月半ばのライブに出演したおばあちゃん。「私がさわると点滴に見えますが、マイクです」というつかみでひと笑いをとると、自分の経験をもとにしたシルバー川柳のネタを披露した。

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

7月中旬に出演した神保町よしもと漫才劇場のお笑いライブ

公演の最後には、他の若手芸人たちと一緒にコーナーライブに登場。その日のテーマは「モノボケしりとり」。前の芸人のモノボケをすべて覚えつつ新たなモノボケを追加していき、10人全員の成功を目指すというもの。

複雑なモノボケが出ると「おばちゃんが覚えられないから!」とツッコミが入り客席は爆笑。

おばあちゃんの神保町で初めてのコーナーライブ出演は大いに盛り上がった。

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

若手芸人たちとコーナーライブに登場

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NSCの学費振込時に「オレオレ詐欺に間違われて」

おばあちゃんはなぜお笑い芸人になろうと思ったのか。その半生を振り返っていこう。

終戦直後の1947年、4人きょうだいの上から2番目、長女として生まれたおばあちゃん。貧しい子ども時代を過ごす中、唯一の楽しみがラジオだったという。

「途切れ途切れのラジオから、大阪の漫才師の中田ダイマル・ラケットさんの漫才や花菱アチャコさんの流暢なおしゃべりを聞いていました。子どもながらに人を楽しませるっていいなって思ってたんです」

中学卒業後は進学を希望していたが、親が反対。

造船所の設計部などで働き、生活のため仕事に明け暮れる日々を過ごした。娯楽を楽しむ暇すらなかったが、依然としてお笑いは好きだった。

結婚後は夫とふたり暮らしをしていたが、38歳のときに乳がんを患い、その1年後に卵巣、6年後に子宮にがんが転移し、入退院を繰り返していた。

だが病気を底力に変えた。47歳のときに念願だった放送大学に入学し、自身の経験をもとにした乳がん手術後の発汗と下着にまつわる研究を進めて卒業論文を発表。それから64歳まで仕事を勤め上げた。


「若い頃から、定年退職後は楽しいことをするのが夢だったんです。テレビだけ見て生活するのはつまらないなって。化粧もせず洋服もあんまり買わずに、老後のためのお金をちょびちょび貯めていたんです」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

しかし、退職直後に右ひざの壊死が発覚。手術やリハビリをしながら、高齢者劇団のピンチヒッターとして舞台に出演していた。

「舞台に出ていると専門用語がわからなくて、もっと舞台の勉強をしたいと思って友人に相談したら、電話番号を書いて渡されたんです。電話してみると、吉本の構成作家のコース(YCC)だった。



お笑いにも昔から興味があったんで、NSC(吉本総合芸能学院)の方を紹介してもらったんです。あらためて電話して『70歳なんですけど大丈夫ですか』と聞いたら『大丈夫ですよ』って」

NSCの入学を決めたおばあちゃんは、学費を払いに銀行へ行ったものの、そこでも一難。

「いつも行く信用金庫だったんですけど、何十万円もの金額を一括払い。しかも運悪く閉店間際だったんです。窓口の女の人に『学費の振り込みをしたいんですけど』って言ったら『お孫さんのですか?』と聞かれて、『いや私のです。よくわかんないけどお笑いの学校です』と言ったんです。


そしたらびっくりされて、支店長のところ行って、ふたりでこっちを見て何かずっとしゃべっていてなかなか戻って来ない。オレオレ詐欺と間違えられたんです(笑)」

2018年、71歳でNSC東京校に入学。難病で失明した兄の介護もあり、朝に兄の通院の付き添いをしてからNSCがある神保町へ行くこともあった。

「(NSCに)入れたのはいいものの、ついていけるかなと不安に思ったけど、本当に楽しかった。周りの方たちも優しくしてくださいましたし、本当に毎日わくわくしてたんですよね。毎朝5時起きだったんで、たまにちょっと寝たいなっていうときはありましたけど(笑)」

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NSC時代のおばあちゃん(前列左)

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一時はコンビを組んでいた

「人や時代のせいにしない」おばあちゃんの人生哲学

そして2019年に72歳でプロデビュー。NSC卒業後は、劇場所属を目指すオーディションメンバーとして若手芸人向けのネタ見せライブに出演して芸を磨いていた。そして2023年6月には、バトルライブを勝ち上がり、神保町劇場のレギュラーとなったのだ。

「作家の山田ナビスコさんは『とにかく自分のペースで、楽しんでやりなさい』といつも言ってくださいました。自分の好きなネタをやったら、たまたまうまくハマったという感じで。自分でもびっくりしました」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

劇場所属が決まってからは、友人・知人から「おめでとう」とたくさんの声が届いた。ひざのリハビリで通っていた整形外科でも“身バレ”し、お祝いの言葉をかけてもらったそう。ただ唯一、ご近所にはあまり知られていないようで……。

「ご近所さんは私が芸人なの、たぶんまだ知らないです。渋谷のヨシモト∞ドームでのライブ後、でっかい荷物を持ってウロウロ夜中に帰っているとき、ゴミ捨てに来た隣の人とたまたま会って。『どうしたんですか』と聞かれて『仕事です』と言ったんですね。

『えっ、こんな時間まで。どこまで?』っていうから『渋谷です』って言うと、もうそれ以上みんな聞かないんです。危ない仕事してんじゃないかと思われているのかも」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

病気や家族の介護などの困難を乗り越え、大学入学やお笑い芸人への挑戦という夢を諦めなかったおばあちゃん。

「やりたいことがあったらやる。年だからって逃げない、人や時代のせいにしない。年取ってからでもいくらでもできるじゃない。親が貧乏だ、世の中が貧乏だって言ってもしょうがない。貧乏だから楽しめることがある。

今の若い人は、昔みたいに働くところがいっぱいあって働けば働くほどお金が稼げるような時代じゃないからかわいそうだなと思う。でも、こんなおばあさんに『頑張れ』って言われるの嫌でしょ。若い人は自分の力で明るくならなきゃね」

将来は、介護施設などで高齢者に向けてネタを披露し、共感と笑いを呼びながら同世代を明るくすることが夢と語る。憧れは綾小路きみまろの話芸だ。

「この年になると、残りの人生、楽しく生きたいじゃない。コロナで外に出られないからって足腰が弱っちゃってる人もいるし、この世の終わりみたいな顔して歩いてる人もいるけど、冗談じゃないよと思ってね。もうちょっと年寄りも元気出してほしいな!」

「年だからって逃げない、人や時代のせいにしない」76歳の若手芸人「おばあちゃん」が貧乏、乳がん、介護生活を経て笑いにかける夢

取材・文/堤 美佳子
撮影/柳岡創平
写真提供/吉本興業
編集/一ノ瀬 伸