
フリーアナウンサーのみのもんたさんが3月1日未明、80歳で死去した。「プロ野球珍プレー好プレー」のナレーションを始め、「みのもんたの朝ズバッ!」「どうぶつ奇想天外!」「学校へ行こう!」など、司会者として数々のヒット番組を連発し、いずれも長寿番組に押し上げた。
“みのだめ”誕生秘話
イギリス発祥のクイズ番組「クイズ$ミリオネア」は、最高賞金1000万円をかけクイズに答えていく内容で、フジテレビ系列で2000年4月~2007年3月までレギュラー放送され、2013年1月まで計14回特番放送が続いた。一般枠の出演者のみならず、数々の有名タレントやスポーツ選手も出演。
番組中にみのさんが挑戦者に言う「ファイナルアンサー」は流行語にもなり、社会現象を巻き起こした。
なかでもみどころの一つとなったのが、挑戦者の「ファイナルアンサー」後、みのさんが正解か否かを告げるまでためつづける、通称“みのだめ”だ。
「当時、海外オリジナル版でも司会者が挑戦者を焦らすように間をためることがあったので、『これをみのさんにも実行してもらおう』と思い、初収録のスタジオ、番組が盛り上がってきたところで、
『みのさん、ここで、発表の前にちょっぴりためてみましょうか?』と提案したら、『なんで?』と聞かれたので、『運命の答えがわかる前に、みのさんがまるで昔の日本映画のスターのように、ぐーっと挑戦者の顔を見つめたらドキドキして面白いと思いませんか? 例えば往年の片岡千恵蔵さんのように!』と言いました。
すると、みのさんが鼻を膨らませながら『フン』と返事をしました。そして、収録が再開されると、しっかり間をとってくれて、『どう?』みたいな顔で私のほうを見てきたんです」(伊藤さん、以下同)
そんな伊藤さんからの提案と、それを受けたみのさんの挑戦が繰り返されるうち、みのさんのためる時間がどんどん長くなり、表情がますます豊かになり、挑戦者との間に見事な人間ドラマを生み出す“みのだめ”が誕生したという。
ミリオネア名場面3選
そんな歴史に残る番組をみのさんとともに作り上げた伊藤さんに記憶に残る「クイズ$ミリオネア」の名場面3選を聞いてみた。
名場面1:10カ月ぶりのミリオネア誕生は、まさかの人物
「番組開始2年目の頃でした。10カ月以上、誰も最高賞金額の1000万円を取れていない状況が続き、スタッフの間でも不安が広がっていました。
そんなとき、香川県から来た27歳の主婦、坂本ひとみさんが『実家のヤマメの養殖池を改修したい!』という夢を抱き、1000万円獲得を賭けた最終問題に挑戦したんです」
伊藤さんによると、坂本さんはクイズマニアでもなく、予選の成績もごくごく普通だったことから、誰もがミリオネア候補としては見ていなかったという。そんなノーマークの挑戦者がまさかの全問正解!
「10カ月も獲得者の出なかったミリオネア誕生に、スタジオ中が大騒ぎになりました。
名場面2:プロ野球選手・新庄剛志の挑戦
当時、ミリオネア挑戦に当たって新庄剛志(現日本ハムファイターズ監督)がスタジオに持ち込んだのは、一本の鉛筆だった。
「鉛筆の削れた端っこには、ABCDと書いてありました。昭和の子どもが学校のテストのときに山勘で答えるためによく転がしたやつです。新庄さんはその鉛筆を何度か転がして最終問題まで到達したんです。
しかも、最後の問題でも鉛筆を転がして解答。正解不正解の発表の前に、みのさんが『どうしてそう思いましたか?』と重々しく質問したところ、新庄さんは『鉛筆!鉛筆!』と雑に答えていました。それでまさかの1000万円獲得!人知を超えた、とんでもない挑戦でした」
鉛筆1本で1000万円を獲得した新庄は、球界だけでなく、クイズ番組でもミラクルな力を発揮したのだった。
名場面3:番組史上、最も長い1問の回答時間は…
番組の長い歴史の中で、最も解答に時間を要した挑戦者がいた。
「その挑戦者は前半戦でライフライン(使用可能なヒント)を使い果たしてしまい、最終問題の1問を解くのに1時間近く考え込んでしまいました。この番組に制限時間はないので、ルール上は全く問題ありませんが、途中でしびれを切らしたみのさんから『問題をよーく読むのも大事ですが、空気も読んでください』と皮肉な一言も飛び出しました」
とはいいつつ、みのさんは挑戦者が納得するまで史上最も長い1問の解答を待ち続けたという。そんな粘りに粘った大一番だったが、残念ながら1000万円を獲得することはできず…挑戦者はスタジオを後にしたのだった。
司会者も正解を知らなかった⁉ミリオネアの意外な舞台裏
約10年間の歴史の中で生まれた数々の名場面。
「あの時代、まだミリオネアのような海外フォーマット番組を買って、日本で成功した例はありませんでした。なので、当時日本で最高の司会者だったみのさんが起用されたことはごくごく自然な流れでした。
さらに、英国版や米国版が、日本円で1~2億の賞金だったのに比べると、日本版は制約があったため最高額は1000万円。そのため、たとえ賞金額が少なくても番組本来の『挑戦者と司会者の間のサスペンス性』を盛り上げるために、日本の“みのだめ”が他国以上に発展したという背景があります。みのさんは、そのことを誰よりも理解していました」
賞金額が増える後半戦に差し掛かるほど、長くなる“みのだめ”。最終問題では、ためすぎて、おなじみのBGMが終わってしまい、完全に無音の状態でも“みのだめ”が続いていることもあった。
「これを面白がった本家・英国のスタッフが放送中、『日本版では音楽が途切れても、司会者がまだためてるんだぞ!』と紹介したこともあったそうですよ」
と、笑顔で語る伊藤さん。最後に、長年番組をともにしてきたみのさんへの追悼のメッセージをいただいた。
「意外と知られていませんが、番組の世界共通フォーマットとして、司会者は全問題の正解不正解を一切知らされていません。クイズを提示中は司会者も挑戦者と同じモニター表示で、挑戦者が『ファイナルアンサー』と言った瞬間に、司会者のモニターだけに正解か不正解が表示されるシステムでした。
司会者は、どれが正解かもわからないまま、挑戦者の人生がかかったクイズショーを堂々と、しかも大胆に進行する必要があります。
日本の芸能史に名を残すみのさんの伝説的な司会や名場面の数々は、これからも視聴者の心に残り続けるだろう。
取材・文/木下未希 集英社オンライン編集部