
3月31日より始まったNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、“アンパンマン”の生みの親として知られる作家のやなせたかしの生涯を描いていく。いまや国民的キャラクターとなったアンパンマンはどのように誕生し、ここまでの人気作となったのか。
『アンパンマンと日本人』より一部抜粋・再構成してお届けする。
平成以降のヒーロー
アンパンマンを日本の赤ちゃんや幼児=乳幼児がどれだけ好きか。
小児病院、保育園、幼稚園、託児所に行けば、すぐにわかります。病院で大泣きしていた子が、アンパンマンの顔を見た瞬間、ぴたりと泣き止む。そのすきに、看護師さんがサッと注射を打つ。お医者さん、保育士さんなど乳幼児を扱うプロの方たちの多くが話します。
「アンパンマンにはいつも助けられています!」
いやいや、もっとお世話になっているのは私たち! 育児真っ最中の親御さんの多くがそう言います。アンパンマンは日本の子育てに必須。乳幼児のいる家庭や乳幼児を扱う病院、保育園、幼稚園や各種小売業の世界では、もはや「常識中の常識」です。
一方、50代以上の男性の大半は、アンパンマンがここまで圧倒的に乳幼児に人気があることを案外知りません。理由は2つあります。
1つは、アンパンマンは平成以降のヒーローだからです。圧倒的に人気を集めるようになったのはアニメ放送が始まった1980年代終わりからで、国民的な存在になったのは21世紀になってから。
もう1つは、50代以上の日本の男性の多くが、我が子の乳幼児時代の子育てに積極参加していなかったからです。そのため、アンパンマンが乳幼児にいかに愛されているか、子育ての現場でアンパンマンがいかに役立つか、実体験のある人が少ない。
昭和日本は、「働く夫と専業主婦」家庭が主流でした。厚生労働省のデータによれば、1980年の専業主婦世帯は1114万世帯、共働き世帯614万世帯️ですから専業主婦世帯が約2倍です。43年後の2023年になると、専業主婦世帯は517万世帯、共働き世帯は1278万世帯ですから共働きが約2・5倍。完全に逆転しています。
1985年の男女雇用機会均等法の制定、92年の育児休業法の施行などで共働きの流れが始まりますが、男女の育児休業取得率にはずっと大きな開きがありました。女性の取得率は2007年以降80~90%なのに対し、男性は16年まで3%を超えたことは一度もなかったのです。
テレビアニメで大ブレイク
それが2020年のコロナ禍を機に12・65%と一気に増え、23年は30・1%と過去最高を記録しています。以上の数字を見る限り、日本においては、コロナ禍まで男性の大半が乳幼児の子育てに積極参加していなかったと言えます。
共働きが一般化しつつあったけれども、男性が子育てに積極参加していなかった時代に、子育てを助けてくれる最高のヒーロー、それがアンパンマンとその仲間たちでした。だから、アンパンマンがいかに赤ちゃんや幼児の心を捉えるか、実体験で話してくれるのは、私の周りでも9割方は「お母さん」であり、男性で知っているのはお医者さんや看護師さん、保育園の保育士さんといった〝プロ〟に限られていました。
しかし、2020年代の今は違います。アンパンマンの消費の現場を歩くと、お母さんだけではなく、お父さんと一緒に子どもたちがアンパンマンを楽しむ姿は当たり前になりました。アンパンマンの消費スタイルの変化は、日本の子育ての変化を表象しています。
アンパンマンは、いつから日本の乳幼児の間で巨大な存在になったのか。
大ブレイクしたのはテレビアニメが放送開始してからです。1988年10月。日本テレビ系列でアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送がスタートしました。翌89年からはアンパンマンの映画がコロナ禍の2020年を除き、毎年公開されるようになりました。
テレビも映画も大ヒットし、アンパンマンの認知度は一気に向上しました。それに伴い、アンパンマン関連のビジネスも急成長したのです。現在のアンパンマンの人気が始まったのは「89年=平成の時代」から、というわけです。
昭和のアンパンマンの舞台は絵本が中心でした。
アンパンマンのお客さんは、絵本もアニメも、0歳から4、5歳までの乳幼児が中心です。中でも一人で歩けるようになってから幼稚園に上がるまでの1~3歳の支持率は極めて高いと言われています。
テレビ放送開始が1988年ですから、アンパンマンを乳幼児の頃から映像で鑑賞した最初の世代は、2025年現在40歳前後でしょう。今の20代から40歳前後の親と子どもはアンパンマンを二世代消費しているケースが多いはずです。
不動の国内ナンバーワン人気
日本国内でのアンパンマンの圧倒的な人気は、アンパンマンの玩具やアパレルを多数展開しているバンダイの「こどもアンケートレポート」の結果からも明らかです。同レポートでは1996年から2018年までの23年間「お子様の好きなキャラクターに関する意識調査」と題して、子どもたちに人気があるキャラクターのランキングを発表しています。
調査対象は0~12歳の子供を持つ親(子供と一緒に回答できる親)800人。このランキングでアンパンマンの人気ぶりはダントツです。2002年から2018年までの17年間、2015年と16年の2年間のみ1位を「妖怪ウォッチ」に譲ったものの、残り15年はずっと人気1位を保持してきたのです。
2018年のアンケートでも男女総合1位は「それいけ!アンパンマン」。支持率は11・5%。
年代別では、男女ともに0~2歳では2位に2倍以上の差をつけての1位で、アンパンマンが乳幼児に高い人気があることがよくわかります。3~5歳になると男子1位の「仮面ライダーシリーズ」に次いで2位、女子は「プリキュアシリーズ」が1位に、「アナ雪」「ディズニープリンセス」が2位でベスト3から姿を消します。
なぜアンパンマンが乳幼児に人気があるのか。親御さんたちからは「いろいろなキャラクターがストーリー中に出てきて楽しい」「おもちゃの種類が多く、馴染みがある」という声が寄せられています。2300を超える豊富なキャラクターの多様性がそのまま乳幼児層からの支持と繋がっているわけです。さらにバンダイでは「子どもだけではなく、親からも信頼されている」のがアンパンマンの強みだ、と分析しています。
2019年以降、バンダイではキャラクター別の人気調査を行っていませんが、アンパンマンの人気は、2025年現在もおそらく揺るぎないものでしょう。その証拠が24 年の映画の大ヒットです。
同年6月28日に公開された映画の最新作「それいけ!アンパンマン ばいきんまんと19第1章 世界6位、7兆円の巨大ビジネスえほんのルルン」は、最初の週末3日間で興行収入1億7000万円、観客動員13万7000人を記録し、シリーズで初めて映画動員ランキングで1位を獲得しました。
公開50日で興収6億7231万7140円、観客動員52万9504人。
文/柳瀬博一 写真/shutterstock
『アンパンマンと日本人』(新潮社)
柳瀬博一
乳幼児の人気は不動のトップ、アニメや本におもちゃや食品など関連グッズを含めれば今や9兆円の巨大ビジネス。おなかが空いた人に自分の顔を食べさせる不思議なキャラクター、アンパンマンはどのように誕生し、国民的ヒーローとなったのか。愛する人たちとの別れ、過酷な戦争体験、幾多の天才からの高い評価、最愛の妻の支え……生みの親である漫画家やなせたかしの生涯をたどりながら、その秘密を解き明かす。
【目次】
第1章 世界6位、7兆円の巨大ビジネス
平成以降のヒーロー/テレビアニメで大ブレイク/不動のナンバーワン人気/学生の88%がアンパンマン消費者/日本限定なのに世界6位/本格化する海外展開/「幼児は大人のグループの中にいる」/妻・暢への感謝と鎮魂etc.
第2章 高知の自然とデザインと死と
愛する肉親たちの相次ぐ死/東京高等工芸学校で学んだ商業美術/学校と銀ブラで身につけた現場主義/生涯の伴侶、小松暢との出会い/三越の包装紙と「まんが入門」etc.
第3章 アンパンマンはこうして生まれた
中国戦線、仲間の死、紙芝居/「喰わないと死ぬ」という当たり前/敗戦とともに消えた「正義」/正義は逆転するが、空腹は真実/向こう見ずなロイス・レイン=小松暢?/中年スーパーマン「アンパンマン」誕生/顔を食べさせるという発明/「残酷」「くだらない」評判は最悪/敵役「ばいきんまん」誕生/そして奇跡が始まった/発見したのは幼児たちetc.
第4章 天才たちが愛した天才、やなせたかし
「遅すぎた」ではなく「早すぎた」天才/自宅に押しかけた永六輔/宮城まり子の舞台衣装/いずみ・たくと「手のひらを太陽に」/若き向田邦子と「父の詫び状」の挿絵/サンリオの創始者、突然の来訪/手塚治虫と「千夜一夜物語」/詩を「普通の人々」とつないだ『詩とメルヘン』/アンパンマンは、やなせたかしだったetc.
第5章 「困った人を助ける」利他的本能
「お客さん」がいるかいないか/ご当地キャラは全国で200/震災で注目された「詩」の力/アンパンマン=人工知能=AI?/人間にある普遍的な利他性etc.