
漫画家のヤマザキマリとラテン語研究者のラテン語さんの対話によって、古代のラテン語の慣用句を考察する書籍『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』。SNSのタイムラインに表示される言葉こそが世界の姿だと信じ込んでしまう現代人にも効く名句をお届けする。
本書籍より一部を抜粋・再構成し、悲しき人の感情を考察する。
人は信じたいものを信じる
ラテン語 カエサルのlibenter homines id quod volunt credunt「人は自分の信じたいものを喜んで信じる」は、よく知られた言葉です。古代ギリシャの弁論家デモステネス※1も、同様の言葉を残しています。
ヤマザキ 20世紀経っても未だに通用する言葉が出てきました。聞きたい言葉しか聞きたくない。自分に都合が悪いことは聞きたくない。現代の人間社会の実態を生々しく浮き彫りにした言葉です。
ラテン語 現代はそれに輪をかけて、例えばSNSだとアルゴリズムによって各々のユーザーの関心のあることしか表示されないようになっています。
ヤマザキ 見たいもの、見たくないものを、自分じゃないものが決めてるってことですよね。このままでいくといずれ人間は耐久力も持久力もない、脆弱を極めた最悪な生物になってしまいそうで怖いです。知恵や想像力は使い方を間違えただけで、自滅装置みたいなものになってしまいますから。
好きだろうと嫌いだろうと何だろうと、そういうものが渾然一体となった社会で生きていかなければならないという認識能力や、自力で物事を判断したり考えたりする力を、お願いだから奪わないでもらいたい。
第二次世界大戦中も、人々は日本の勝利を仄めかすように仕込まれた情報だけを信じていたわけですけど、敗戦を機に、信じたいものだけを信じるのではダメだと学習したはずなんです。
ラテン語 現代においては、自分の意見を発信するにしても、賛成するだろう人だけに対して発信して、期待通り賛成をもらって満足する。あまり他の立場の人の意見を聞きたがらないという問題がありますよね。
対立する人とコミュニケーションを取り、異論を理解する
ヤマザキ 〝正義〟とか〝正当〟といった、自分勝手な思い込み以外の考え方を遮断し、他の人の異論を受け止められなくなってしまう。この言葉はまさにそうした傾向に対しての警鐘ですよね。
ラテン語 意見を異にする人からも聞くということが、平和は平和でも、戦争という有事に対する平和ではなく、社会の二極化を避けるという、平時における平和的解決のために重要なことだと思います。
ヤマザキ カエサルは、さすが多くの人と関わりを持ち、大軍を引っ張った人物なだけに、人間の心理をよく理解していると思いました。
ラテン語 紹介したのは、『ガリア戦記』※2からの引用ですが、カエサルは他の著作でも類することを言っています。人というのは自分が欲するものを欲して、他人が自分と同じような感覚を持つことを望むものだと。
ヤマザキ こんな言葉を生み出せる人ですから、借金だらけであっても、自分の妻を寝取られても、拒絶されることがない人たらしだったのだと思います。
ラテン語 私がラッキーだったと思うのは、大学生の時にディベートのサークルに入っていたことです。
とあるトピックについて賛成か反対かで議論するんですが、賛成側と反対側のどちらに回るのかはまったくのくじ引きです。自分の意見とは逆の立場になることも多々あります。
ヤマザキ どっちが正しい、正しくないという真意を探るよりも、まずは対立する人とコミュニケーションを取り、異論をあえて理解してみようと思う意欲、それを失わないことが大切なんだと思いますね。
正義を吟味する、悪を吟味する
ラテン語 次に紹介したいのがbonis nocet qui malis parcit「悪人を許す者は善人を害する」です。
ヤマザキ セネカの言葉ね。
ラテン語 そのように伝わっています。犯罪者を英雄視するであるとか、悪人に甘い考えを持つような人がいると、将来的には真面目に生きてきた人が害を被ることになってしまう。現代でも、メディアで犯罪者がいいように描かれたり、同情的に報道されたりすると、共感する人が出てしまう、ということがあると思います。
ヤマザキ 悪人と善人の線引きが難しい場合もありますね。思想が異端なだけでも悪人とされてしまう場合もあるし、鼠小僧※3みたいな例もありますから。極悪人の味方になるには、例えばよほどの信仰心や執着が必要になるから、そんなにはいないんじゃないかという気もするのですけど。
ラテン語 現代でも、かなりの重罪で刑務所に長く入っている服役囚にも、ファンレターが結構届くらしいですね。
ヤマザキ 確かにマフィアのイメージなんていうのは、まさにそこに当てはまりそうです。例えば『ゴッドファーザー』※4を心の映画に挙げる人はたくさんいますよね。
かくいう私もこの映画も日本のヤクザ映画も大好きで夢中で見てしまいます。古代ローマでも、極悪人もお金さえ出せば罪を解消してもらえたりしてたんじゃないかなあ。
ラテン語 うーん、どうでしょう。許される場合もあったでしょう。
ヤマザキ とにかく、古代ローマの治安は相当悪かったはずですよ。今とは比べ物にならないくらい。
ラテン語 犯罪者に過度に甘い考えを抱くことを抑制するために出た言葉だと思います。
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*注釈
※1 デモステネス
紀元前384年~前322年、アテナイの政治家で、弁論家として活躍。マケドニアの脅威に対してアテナイの自由を説いたが叶わず、自殺。
※2 ガリア戦記
紀元前58年~前51年にローマ軍を率いてガリアに遠征したカエサル自身による記録。ガリアは現在のフランス。
※3 鼠小僧
1795年~1832年、江戸時代の盗賊。
※4 ゴッドファーザー
1972年公開の映画。監督はフランシス・フォード・コッポラ、原作はマリオ・プーゾ。アメリカに生きるイタリア系マフィア一族の物語。アカデミー賞3冠。続編も評価が高い。
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座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65
ヤマザキ マリ、ラテン語さん
すべての悩みはローマに通ず
古代ローマを描いてきた漫画家と、気鋭のラテン語研究者。
ふたりが選びに選び抜き、語りに語り尽くしたラテン語格言の数々。
偉人たちの残した言葉の中に、人生に効く至言がきっと見つかる。
libenter homines id quod volunt credunt
人は自分の信じたいものを喜んで信じる
カエサル『ガリア戦記』
dimidium facti qui coepit habet
物事を始めた人は、その半分を達成している
ホラーティウス『書簡詩』
amicus certus in re incerta cernitur
確かな友情は不確かな状況で見分けられる
キケロー『友情論』(エンニウスの言葉)
……など65点を紹介。
※この対談は本書で初公開の語り下ろしです※
ホラーティウス、キケロー、ウェルギリウス、プリニウス、セネカ、カエサル……。
ローマ人の残した言葉を、二人が読み解いていく、スリリングな対談。
また、古代ローマ時代より後に生まれたラテン語も多数扱う。
二人はどんな時に、どんなラテン語に救われたのか。
創作の裏側にもつながるエピソードも多数明かされる。
はじめに ヤマザキマリ
第1章 人生と友情
第2章 芸術家のエネルギー
第3章 恋愛指南
第4章 ラテン語の表現世界
第5章 生き方について
第6章 為政者たちのラテン語
第7章 歴史の教訓
おわりに ラテン語さん