
インターネットもスマホもなかった2000年前の古代ローマ帝国時代、セネカという哲学者が「人生は使い方が分かっていれば長い」という言葉を残している。彼ら哲人にとっての人生観とはどんなものだったのか。
書籍『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』より一部を抜粋・再構成し、コスパとタイパを重視する現代のライフスタイルを古代ローマの視点から改めて考える。
人生の短さについて
ラテン語 ラテン語の人生、生き方についての格言について話し合えればと思います。まず、vita si scias uti longa est「人生は使い方が分かっていれば長い」です。多くの人に引用されている言葉です。
これは『人生の短さについて』※1という文学作品のなかでセネカ※2が書いた言葉です。セネカは、人間はそもそも持っている時間が短いのではなく、浪費しているから短く感じるだけである。人生は実際に短いわけではなく、使い方が分かっていれば十分に長いのだということを言っています。
私は、サブスクで動画を何時間も見続けたりすることがあります。時間を浪費しているなと思う反面、実際にそれが時間の浪費かどうかというのは、その時点では分からないことではないかとも思います。
ふと見た作品の登場人物の境遇と、後々の自分が一致して、登場人物や場面が参考になることもあるかもしれません。私も経験のあることです。
ヤマザキ 時代にもよると思いますね。セネカは私も『プリニウス』※3で描いた人物ですが、ネロの家庭教師も務めていた、当時の最高峰の知識人です。
情報が今のように充実していない時代です。人間は自ら携えている知性と感情の機能を使ってなんぼ、という教えに根付いた言葉だと思いますね。
講演会などがあるとよく皆さんにお話ししていることですが、善い人生を送りたいのであれば、ポジティブな感情だけではなく、辛さ、挫折、失望、絶望、屈辱、そういったものも全部万遍なく使うべきだと思うのです。
セネカのこの言葉はソクラテス※4の残した「ただ生きるということではなく、善く生きることこそ最も大切にしなければならない」という言葉に紐づいていますが、まさにその通りではないかと思います。世の中はとにかく長く生きればいい、ということに執着しがちですけど、授かった機能を万遍なく使い切れば、何歳で死ぬかなんて重要ではないと思うのです。
情報化と経済が結びついてから、人々は随分と怠惰になったと思います。自分の頭で考える代わりに、誰かが発信している言葉に自分の考えを置き換え、調べごとがあればネットですぐに出てくる答えを探し、動画は2倍速の早送りにして内容を頭に入れたつもりになる。
脳を無駄に使わず表層的なデータをひたすら上書きしてそれでよし、という合理性とコスパ重視の今の世の中のあり様をソクラテスやセネカが見たら、びっくりして、おそらく開いた口が塞がらないでしょうね。時代がもたらす変化は容赦ないですからね。
人間の精神面での遺伝子継承
ラテン語 ちなみにヤマザキさんにとってはどうでしょう?人生は長いと思いますか?短いと思いますか?
ヤマザキ 死についてはいつも考えていますが、長い短いについてはあまりこだわりはありません。与えられた天命を全うできればそれで満足です。
死ぬのが明日だろうと、80歳になってからだろうと、100歳を過ぎてからだろうと、心情的にはあまり変わりませんね。
まだまだやり残していることがあるから頑張らなきゃ、もっと人生楽しまなきゃ損! なんていう執着は一抹もありません(笑)。だからたぶん、その時が来たら潔く死を受け入れられるかと思います。
たぶん、自分の尊敬した人々や自分を支えてくれた生き物たちもみんなあの世の住民なんで、それもまた死をポジティブに受けられる要因になっている気がしています。
私の漫画はプリニウスにしてもジョブズ※5にしても、この世にいない人たちが主題になっているものが多いのですが、そうすると彼らと対話をしている気持ちになってくるんです。
彼らの実績は、人間の精神面での遺伝子継承だと思っていて、それさえ果たせたらもういいのかなという気持ちがありますね。
ラテン語さんは、長生きしたいと思いますか?
ラテン語 できれば長生きをして、いろんなものを書いて、人々にラテン語を広めたいというのはあるんですが、何歳まで生きたいという数字的な目標は特にはないです。自分のやりたいことを全うできれば。あと、これは趣味の話になってしまいますが、東京ディズニーランド開園100周年を見届けられればと思います(笑)。
ヤマザキ 目的が成就する瞬間が明確なのはいいですね。100周年はいつですか?
ラテン語 2083年なので、私は91歳。
ヤマザキ 今はどんどん寿命が延びていますから、ラテン語さんならきっと100周年を見届けられます。大丈夫ですよ。
*注釈
※1 人生の短さについて
セネカの代表作の1つ。49年頃の成立。
※2 セネカ
古代ローマのストア派哲学者、政治家。紀元前4年頃~65年。ネロ帝の家庭教師だったがその不興を買い、自殺。
※3 プリニウス
ヤマザキマリによる漫画『プリニウス』。本名、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23~79年)。史上もっとも有名な博物学者。「寛容・進取・博学」と古代ローマの精神を一身に体現する男でもある。その並外れた好奇心で、天文・地理、動植物の生態、絵画・彫刻など、森羅万象を網羅した百科全書『博物誌』を書き遺す。
※4 ソクラテス
紀元前470年頃~前399年を生きた古代ギリシャの哲学者。対話による真理の探究を目指した。著作はなく、その思想や人生は弟子の作品に詳しい。
※5 ジョブズ
アップルの創業者として知られるスティーブ・ジョブズ。1955年~2011年。ヤマザキマリはその伝記を漫画化した。
写真/shutterstock
座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65
ヤマザキ マリ、ラテン語さん
すべての悩みはローマに通ず
古代ローマを描いてきた漫画家と、気鋭のラテン語研究者。
ふたりが選びに選び抜き、語りに語り尽くしたラテン語格言の数々。
偉人たちの残した言葉の中に、人生に効く至言がきっと見つかる。
libenter homines id quod volunt credunt
人は自分の信じたいものを喜んで信じる
カエサル『ガリア戦記』
dimidium facti qui coepit habet
物事を始めた人は、その半分を達成している
ホラーティウス『書簡詩』
amicus certus in re incerta cernitur
確かな友情は不確かな状況で見分けられる
キケロー『友情論』(エンニウスの言葉)
……など65点を紹介。
※この対談は本書で初公開の語り下ろしです※
ホラーティウス、キケロー、ウェルギリウス、プリニウス、セネカ、カエサル……。
ローマ人の残した言葉を、二人が読み解いていく、スリリングな対談。
また、古代ローマ時代より後に生まれたラテン語も多数扱う。
二人はどんな時に、どんなラテン語に救われたのか。
創作の裏側にもつながるエピソードも多数明かされる。
はじめに ヤマザキマリ
第1章 人生と友情
第2章 芸術家のエネルギー
第3章 恋愛指南
第4章 ラテン語の表現世界
第5章 生き方について
第6章 為政者たちのラテン語
第7章 歴史の教訓
おわりに ラテン語さん