「家畜を無断で食べる」「強盗」そして「強かん」…戦時中に一部の日本軍兵士たちが現地住民に犯した罪と罰〈沖縄戦から80年〉
「家畜を無断で食べる」「強盗」そして「強かん」…戦時中に一部の日本軍兵士たちが現地住民に犯した罪と罰〈沖縄戦から80年〉

およそ80年前、太平洋戦争の悲惨な戦闘が行われた沖縄。しかし、沖縄の守備のために集められた日本軍の兵士たちの一部には、現地住民に多大なる迷惑をかける輩たちが存在した。

こうした行為の結果として、現地住民たちが日本軍を信用できず、軍の指示とは別の行動をとっていたという見方もできるという。

書籍『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』より一部を抜粋・再構成し、無視することは許されない日本軍の罪と罰の歴史を記す。

日本軍将兵の横暴・非行

沖縄戦では日本軍が犯した罪も多い。

第62師団(石兵団)が沖縄にやってきてからまもなくの1944年9月7日の「石兵団会報」49号に「姦奪は軍人の威信を失墜し民心離反若くは反軍思想誘発の有力なる素因となる」と注意を促しているが、同時に「軍会報中必要事項」、つまり第32軍からの通達として「本島に於ても強姦罪多くなりあり」と警告されている。

「石兵団会報」58号(9月21日付)では、「参謀長注意事項」として「民家に立入る者未だ多数あり(中略)性的犯行防止上厳守のこと」「強姦に対しては極刑に処す関係直属上官に到る迄処分する軍司令官の決心なり」と警告している(県史23・157-161頁)。

しかしながら1944年6月15日より45年2月26日までに第32軍の軍法会議で判決が宣告された48名を見ると、逃亡18名、従軍免脱2名、上官への暴行、侮辱や抗命など上官への反抗5名などがあるが、強かんなど性犯罪で裁かれたケースは見当たらない(林博史「資料紹介第32軍(沖縄)臨時軍法会議に関する資料」)。

警告は警告だけにとどまり、実際には厳罰には処せられなかったことがうかがわれる。

日本軍は軍慰安所を各地に設置したが、それにとどまらず歩兵第89連隊(連隊長金山均大佐)が移動してきた東風平村では連隊副官から「区長さん、連隊長の女を考えてくれ」と要求されるようなケースもあった(東風平区長宮城栄徳さん、東風平・361-363頁)。

宮古島では、高等女学校に通っていた久貝吉子さんに対して、部隊長が愛人にしたいと両親に申し入れてきたが両親は断った。しかし彼女の友人のなかで将校の愛人になったものも少なくないという(川名紀美『女も戦争を担った』213頁)。

こうした軍幹部が現地に愛人をつくる(村などの幹部にその女性を出させる)のは中国などでやっていたことであるが、沖縄に来ても同じ発想でいた将校も少なくなかったことを思わせる。

支那満洲の如き占領地ではない勝手な行動をせざる如く指導せられ度

元首相近衛文麿の秘書の細川護貞(細川護熙元首相の父)が、沖縄を視察した高村坂彦(内務省防空総本部施設局資材課長)からの話として日記に次のように記している。

「(1944年12月16日)昨15日、高村氏を内務省に訪問、沖縄視察の話を聞く。……初めは軍に対し皆好意を懐き居りしも、空襲の時は1機飛立ちたるのみにて、他は皆民家の防空壕を占領し、為に島民は入るを得ず……。

而して焼け残りたる家は軍で徴発し、島民と雑居し、物は勝手に使用し、婦女子は凌辱せらるゝ等、恰も占領地に在るが如き振舞ひにて、軍紀は全く乱れ居れり。指揮官は長某にて、張鼓峰の時の男なり。彼は県に対し、我々は作戦に従ひ戦をするも、島民は邪魔なるを以て、全部山岳地方に退去すべし、而して軍で面倒を見ること能はざるを以て、自活すべしと広言し居る由」(細川護貞『細川日記』336頁)。

沖縄戦当時は大本営船舶参謀として沖縄戦準備に関わり、戦後、引揚援護局事務官として沖縄戦についての報告書をまとめた馬淵新治は次のように総括している(陸上自衛隊幹部学校『沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料』20、24頁)。

「(軍隊使用の建物について)日本兵は住民の住宅に雑居するに至り、結局島民の生活に割り込む結果となって物資不足に悩む未亡人や、若い娘達の間に忌まはしい問題を惹起し、道義の頹廃が目立ってふえ、軍横暴の声となり島民の反感を買った例が散見される」

「丁度この頃心ない将兵が辻遊廓で日夜飲み騒ぐのを見せつけられた住民は、これから乗るかそるかの国土決戦を行うため、軍国調一色に塗りつぶされたこの郷土沖縄がまるで外地同様植民地であって、あたかも外国軍隊が駐留しているのではないかとの錯覚さえ感じさせたと述懐する者もある」。

第32軍内部の報告でも、「憲兵隊よりの通報によれば空襲後盗難事件頻発しあり軍人にして空家に立入り物品を持出す者ありと注意を要す」(「石兵団会報」74号、10月19日)、

「空襲後那覇宿営部隊は各々空家に宿営しあるも無断借用し或は釘付せる戸を引脱し使用しあり又家中の物品を勝手に持出し使用しある部隊あり民間においては『占領地に非ず無断立入りを禁ず』等の立札を掲げあり注意を要す」

「混雑に紛れ鶏、豚、等を無断捕獲し食用に供しある部隊あり民間より苦情ありたるを以て注意のこと」

「性的犯行の発生に鑑み各隊此種犯行は厳に取締られ度」

「某隊に於て家畜を調査し将来全部軍に於て徴発すべき旨を漏し為に民間に於ては小豚迄殺し食用に供しありと各隊は注意し地方人に不用意なる言動をなさざること」(同79号、10月26日)など兵士による非行について繰り返し警告されている。

その後も「無意味に畑に立入り農作物を荒すもの特に砂糖黍を無断にて取る者あり厳に注意のこと」

「竹及茅を勝手に切取り持ち行くものあり」

「農家より農具を借り返却せざるものあり」

「借用家屋の家賃を払はざる隊あり」

「農作物を荒す者多し地方側より苦情申出であるを以て注意のこと」というような注意が繰り返されている(同86号、11月23日、以上、県史23・163-168頁)。

さらに「軍会報伝達事項」として「本島は内地即ち皇土であり決して支那満洲の如き占領地ではない勝手な行動をせざる如く指導せられ度」という注意がなされているものもある(伊江島地区隊「駐屯地会報」11月26日、県史23・382頁)。

憲兵隊は民間人の手紙を無断で開封して内容を検閲していたが、「私の家を軍隊に貸したる所、戸板、不要の柱、等を薪に使用し錠をかけたる場所を開き物品を勝手に使用し、あちら、こちら勝手に壊したりした上移動に当りては家賃も支払はずに行きました」と書かれていた手紙を取り上げて、部隊に注意を促していた(「石兵団会報」101号、12月28日、県史23・171頁)。

その後も将兵による横暴非行はなくなることはなく、住民の軍に対する不満反発は溜まっていったと見られる。こうした状況が、沖縄戦のなかで軍を信用せずに軍とは別の行動を取った人々の背景にあったのではないかと思われる。

軍と県の対立

1943年7月から沖縄県知事だった泉守紀は第32軍とはことごとく対立した。

軍慰安所設置に協力を求めてきた第32軍に対して「ここは満州や南方ではない。

……皇土の中に、そのような施設をつくることはできない」と拒否し、自らの日記のなかでは「兵隊という奴、実に驚くほど軍規を乱し、風紀を紊す。皇軍としての誇りはどこにあるのか」と辛辣な非難を書き留めていた(野里洋『汚名』90-94頁)。

44年12月に軍が県に対して中南部の住民を北部に疎開させるようにとの要請をおこなったのに対して、「食糧の自給自足不可能な県にとって、軍の要求は不可能に近い」「武器を持たぬ民間人を軍人とともに玉砕させることは不合理というものだ」と泉知事は反発していた(同一40-143頁)。

食糧を自給できないにもかかわらず軍に多くを供出させられ、平野のある中南部でイモを植えて増産しようとしている時に、耕地のない北部に多くの住民を疎開させても飢えて多くの犠牲を出してしまうのではないかという危惧であり、合理的な考えだった。

泉は内務省から派遣されてきた内務官僚であり、特に特高警察などの役職を歴任し人々の自由を抑圧してきた官僚だったが、軍との関係は良くなかった。

そのため内務省は軍の要求に応え軍と協調する知事が必要と判断し、45年1月泉知事に代わって島田叡を任命、島田は1月末に沖縄に着任した。

そこから軍と県が一体となった、戦時体制をさらに進めた戦場態勢づくりが急速に進むことになる(川満彰・林博史『沖縄県知事島田叡と沖縄戦』参照)。

写真/shutterstock

沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか

林 博史
「家畜を無断で食べる」「強盗」そして「強かん」…戦時中に一部の日本軍兵士たちが現地住民に犯した罪と罰〈沖縄戦から80年〉
沖縄戦
2025年4月17日発売1,243円(税込)新書判/352ページISBN: 978-4-08-721360-7

県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から80年。
膨大な史料と最新の知見で編み上げた沖縄戦史の決定版!

1945年3月末から約3か月間にわたり、米軍と激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦。
軍民あわせ約20万人もの命が失われた。戦後、日本は平和憲法を制定したが、沖縄は米軍の軍事支配に委ねられ、日本に返還後、今なお多くの米軍基地が存在している。
また、近隣国を仮想敵とし、全国で自衛隊基地の強靭化や南西諸島へのミサイル配備といった、戦争準備が進行中である。


狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか? 80年前の悲劇から学び、その教訓を未来に生かすために、国土防衛戦の実相を第一人者が膨大な史料と最新の知見を駆使し編み上げた、沖縄戦史の決定版。

◆目次◆
 序  なぜ今、沖縄戦か
第1章 沖縄戦への道
第2章 戦争・戦場に動員されていく人々
第3章 沖縄戦の展開と地域・島々の特徴
第4章 戦場のなかの人々
第5章 沖縄戦の帰結とその後も続く軍事支配

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