
スポーツ少女だった石丸あゆらさん(46)は3回ひきこもった経験がある。憧れた仕事に就けずに挫折して、ひきこもったのが最初だ。
〈後編〉
学校も家庭も問題がないのに、3回ひきこもる
「私が『3回ひきこもったんです』と言っても、全然そんな風に見えないねと。家庭環境も問題なくて『全然、恵まれてるじゃん』って(笑)」
おっとりとした口調でそう話す千葉県在住の石丸あゆらさん(46)。小学校から高校までソフトボールに打ち込んだスポーツ少女で、多くのひきこもり経験者のように学校でイジメられた経験もないという。
それなのに、どうしてひきこもってしまったのか。
石丸さんの父親はIT企業でシステムエンジニアをしていた。転勤が多く専業主婦の母、兄とともに千葉、茨城、アメリカ、名古屋など転々として育ったが、転校は苦ではなかったそうだ。
「仲間外れみたいなことをされても、ものともしないというか、群れない感じの子どもでしたね。求められたら学級委員をやったりとか、児童会の副会長をやったりとか。でも、怖い先生にはトイレに行きたいと言えないなど、気弱な部分もありました(笑)」
ソフトボールを始めたのは小学4年生のとき。当時住んでいた名古屋ではソフトボールが盛んで、父親に勧められたのだ。
中学入学と同時に千葉に戻った。経験者がいなかったこともあり、中学ではピッチャーを任された。中3の春には市内の大会で優勝。高校は強豪校に進んだ。
「中途半端にダラダラ練習している方がストレスになるなと思って。結局、ピッチャーでは通用せず、野手の練習をして、最終的にはベンチをあっためる感じでしたけど、とにかく部活しかやっていないみたいな高校生活でした。土日は黒い遠征ジャージで移動していたし、髪も耳の上まで刈り上げていたから本当に男の子みたいで。身長も169センチあるので、駅で女子トイレに入ると、エッて言われたり(笑)」
夢をあきらめた後、新たな夢に向かったが挫折……
高校卒業後はスポーツトレーナーに憧れて、1年浪人して4年制の理学療法士の専門学校に進んだ。だが、覚えることが膨大で、暗記が苦手な石丸さんは苦戦が続いた。
「高校まで成績は悪くなかったのに、専門学校に入ってすぐ落ちこぼれた感があって。周りの人たちがどんどん覚えていくのに、自分はできない焦りが一番大きかったです。学校からの帰り道に車を運転していて、『このまま突っ込んだら死ねるかな』と思ったことも……。ずっと劣等感を抱えながら、ごまかしごまかしやっていた感じですね」
4年生になり、実習で患者の前に立つと頭が真っ白になってしまった。
「何をしたらいいかわからなくて、血の気が引いていく感じで……。思考も止まって、ただただ立ち尽くしてるみたいな。勇気を振り絞って『もう無理です』とだけ伝えました」
1度実習の現場に戻ってみたが、やはり何もできない。結局、4年の半ばで退学した。
半年間アルバイトをして翌春から1年間、調理師学校に通った。お菓子作りも好きだったので、パティシエを目指そうと思ったのだ。学校は楽しかったが、就職活動でつまづいてしまう。
「私は本格志向っていうか、突き詰めたくなるタイプなのか、工場とかホテルとか大きい会社ばかり受けて、落とされちゃって……。新たな夢に向かうことで気持ちを立て直したのに、これじゃ、やり直せないじゃんって。そこからあんまり記憶がなくて」
朝起きられなくなって遅刻が増え、ギリギリで調理師学校を卒業した。
有料道路を自転車で爆走して大ケガ
気力がわかず、数か月後に、自分で精神科を受診した。
「私一人の力では、もう、どうにもできないところまで来たなって、助けを求めるような気持ちで受診したんです。何か方法があるなら、何でも試してみたいなと思って」
うつ病と診断され、抗うつ剤を飲み始めた。
本当はうつ病ではなく、うつ状態と躁状態をくり返す双極症だったのだが、当初はわからず、抗うつ剤が効きすぎて躁転してしまったのだ。
「人の気持ちを上げたり下げたり、何だと思っているんだ。もう医者は信じない! 薬は飲まない!」
躁転して万能感に満ちていた石丸さんは、相手も時間も構わず電話をかけたり、車を運転してビュンビュン車線変更したり。父親が「危ない」と思って車を隠すと、自転車を乗り回した。
そんなある日、行き着いたのが有料道路のゲートだ。
「有料道路に自転車で入っちゃいけないことは百も承知なんですけど、なんか、そこを突破してやろうというモードに突入してしまって。で、2車線の真ん中を自転車で爆走。後ろから車にひかれて、ボンネットに乗り上げて。気が付いたら病院でした」
骨折した右足と鎖骨を手術。医師に説得されて躁を抑える薬を飲み始めた。
2、3か月後に退院したが、今度はひどいうつ状態になり、そのままひきこもってしまった。毎日、余計なことを考えないようにパソコンでゲームをして現実逃避。お風呂も何日も入らないし、家からも出ない。いわゆる“ガチこもり”状態が続く。
「最初は罪悪感もあり、両親に怒られるのではないかとビクビクしていたんです。でも、夜中までゲームをしていても怒られたことはないし、安心してひきこもらせてくれたので、環境的にはありがたかったですね」
なぜオーバードーズしたのかわからない
ひきこもって1年以上経ったある日、石丸さんは双極症の薬や睡眠導入剤などを大量に飲んでしまう。
2階の自室からふらふらしながら1階のリビングに降りて来て、そのまま倒れて救急搬送。ICUで治療を受けた後に腸閉塞も発症してしまい、重篤な状態だった。
「死にたかったわけではないし、なんでオーバードーズをしたのか、自分でもわからないんです。親には愛されていたし、私が死んだら親が悲しむのはわかっていたから。
母親はリウマチの持病があり車椅子生活だったので、1階のリビングで寝起きしている。退院すると、「心配だから目の届くところにいて」と言われた。母親の寝ている横で石丸さんが明け方までパソコンをいじり、昼過ぎまで寝ていても、何も言われなかったそうだ。
精神的に落ち着くにつれ「働かなきゃ」という思いが湧いてきたという。友だちのライブに行くなど、少しずつ外に出る機会を増やして、調理のパートを見つけて働き始めた。
「ひきこもっていた2年間、自分が何もしていないことに、ずっと劣等感を感じていたんです。外に出て、人と会おうとしても『何をしているの?』と聞かれるのが怖くて。私にとって働くことはパスポートじゃないけど、外に出るために必要な要素だったんですね」
調理のパートは朝9時から午後2時までの短時間だったので、無理なく働けた。
4年ほど続けたが、経済的に自立できず親に甘えている後ろめたさが消えない。フルタイムの仕事を探して転職したのだが、仕事が辛くなり再びオーバードーズをしてしまう。
〈後編へ続く『「明日を回避したかった」…2度のオーバードーズ、3回のひきこもりを経た46歳女性が絶望の底を突いて見えた“自分のリカバリー”』〉
取材・文/萩原絹代