餓死者もでるアフリカ貧困地域にいながら賄賂でうるおうエリートたち…“日当”という名の援助は植民地主義の延長戦に過ぎないのか
餓死者もでるアフリカ貧困地域にいながら賄賂でうるおうエリートたち…“日当”という名の援助は植民地主義の延長戦に過ぎないのか

NGOが支援プロジェクトを行う際には、その現地の行政向けに「インセプション・ミーティング」という会議を実施する必要がある。プロジェクトの内容を現地の有力者たちに説明する会議だが、実際には謝礼目当ての参加者にお小遣いを配るだけの機会になっているという現実がある。

 

アフリカ・ウガンダの最貧困地域に駐在し、現地の荒野に農場を作った田畑勇樹氏の著書『荒野に果実が実るまで 新卒23歳 アフリカ駐在員の奮闘記』より一部を抜粋・再構成し、国際援助の知られざる影の部分を明らかにする。

プロジェクト開始は植民地主義の延長戦とともに

2023年2月、ウガンダのカラモジャでの新プロジェクト始動。

「TOYOTAは、ボディが傷つきやすい以外にこれといった弱点がない。とても運転しやすい車だ」と運転手は快適そうに新調したハイラックスのアクセルを踏み込む。

「そうだね」と微笑み返す私の心は、彼と対照的に余裕がない。新しい場所でプロジェクトを始めるためには、当たり前だけどたくさんの準備が必要だ。新しく事務所をオープンすること。これからともに働くウガンダ人スタッフを採用すること。そして現地行政と「これから私たちはこんなプロジェクトを始めますので、よろしくお願いします」という覚書を交わすこと。

こんなふうに挙げ出したらキリがない。

1日が24時間しかないという普遍の真理にさえ、つい八つ当たりしたくなるくらい忙しかった。

慌ただしい日々の中で、私が最も嫌っているイベントがすぐそこに迫っていた。それはアフリカ援助において新規プロジェクトを始める際に決まって開催する「インセプション・ミーティング」と呼ばれる大変つまらない会議だ。



援助屋のNGOという立場で支援プロジェクトを行う以上、何事も公的機関と協働しているという体で進めなければいけない。現場での調査からプロジェクトの実施まで、何をとっても行政への定期的な報告と、協力を仰ぐ必要がある。

要するに「インセプション・ミーティング」とは、現地行政(治安局、開発局、農業局など)、政治家、地元の有力者たちにプロジェクト内容を説明し、その開始を承認してもらうための会議なのだ。

「これは義務だ」と言われれば受け入れるしかないけれど、率直に言って私はこのプロセスを非常に嫌っている。それはこのプロセスに植民地主義の延長戦を無意識に見いだしてしまうからだ。

悪しき通例「日当制度」

2月に入ってから私は県、郡、村というそれぞれの行政単位で計3回にわたってインセプション・ミーティングを開催した。このプロセスを経て、ようやく本格的に動き始めることができる。そしてこれらの会議は、援助団体側が主催し、関係者を招集する。

ここからが腹だたしいのだけれど、会議を主催したNGO側が、参加者に対して謝礼を支払うという「日当制度」が悪しき通例となっている。そしてこの日当こそが、権力者の大本命だ。

まずは県での会議だ。ここぞとばかりに援助の甘い蜜を吸ってやろうと集まってくる特権階級の人間にはうんざりだった。

会議の終盤になってようやく顔だけ出し、ハチミツ瓶から手を離さないくまのプーさんみたいに、日当の配給を待つ下級職員。

机に突っ伏して深い眠りに落ちる政治家。飲料水だけ受け取って退出する偉そうなマダム。ひとたび会議が終われば、そういった癖の強いキャラクターたちが、大木の根元からしつこく生えてくる雑草みたいにニョキニョキと現れてくる。

「我日当を受け取って当然なり」と堂々とした顔で現金を握り締める恰幅のいい行政職員。

「金額が少ない。他のNGOだったらこの2倍はもらっている」と不貞腐れ顔で私に言い寄ってくる人もいる。

「僕たちはあいにく、小さなNGOなので」と私は切り返す。

「こんな金額受け取れるか! この恥晒しめ!」と別の政治家がカットインして言う。

「申し訳ありません。次はもうちょっと予算が取れたら……」曖昧な返答をする私には、何がどう恥なのか全く理解不能だった。いずれにしてもお金を払っている上に暴言まで吐かれる。どう考えたって割に合わない。

こんな調子で、プロジェクト内容に関心を示す参加者はほんの一握り。彼らにとって会議に参加する真の目的は日当という名のお小遣いだ。お小遣いといっても、ウガンダ政府の公式文書に書かれた金額だと、一番身分の低い行政官が受け取る金額ですら、住民の平均月収を優に上回る。

私たちの政治家は日当を受け取っているじゃないか

脃弱な村人たちと強欲な行政職員を比較してみれば、その皮肉な体型のコントラストは一目瞭然。どうして同じ地域で生まれ育ちながら、こんなにも体型も身につけているモノも異なるんだろう。一方には骨に皮を被せただけのような細い腕を差し出して、食べ物を乞う人がいる。

その隣には、豊満な腕に金色に光る腕時計を巻きつけたエリートがいる。特権を持った人間が、援助によってどれだけ肥えてきたんだろう。

日当制度は、援助業界における悪しき習慣の1つだと思う。援助を本当に必要としている住民のためのプロジェクトなのに、なぜ私たちは何度も会議を開いては、毎回のようにエリートに対して合計数万円にも及ぶ日当を支払わなければならないんだろう?

特権を持った現地の有力者を前に、私たちNGOは打ち出の小槌化し、彼らはますます富を蓄える。このような援助の構造は本当に憎い。「必要経費」として数万円の日当が、特権を持った人間たちに吸い取られていくことに、私はどうしても納得がいかない。

そして日当という制度は、村の中にもしっかりと浸透している。



県の次は郡・村だ。会議は村の広場の大木の下で行われ、村の長老などをはじめとする十数人の地域住民も参加していた。大きな木の近くでは、女性たちが樽に入ったアブティア(ソルガムを発酵させて作る地酒)を売っていて、鼻をつくような特異臭が広場には漂っていた。

はじめこそ十数人だった会議の参加者も、アブティアを買いに通りかかった村人たちが次々に腰を下ろし、会議の終盤には50人ほどに膨れ上がっていた。

会議が終わり、腰を上げようとした時、1人の女性が私のことを睨んでいたので目が合った。

「私たち村人が受け取る日当はないのかい?」と彼女は尋ねた。私は少しだけムッとしながら言った。「僕たちの役割は、日当をばら撒くことじゃないんです。これから始めるプロジェクトの方が、あなたたちにとってはより重要だと思っています。どうでしょうか?」

「でも、私たちの政治家は日当を受け取っているじゃないか」と女性は怒りを交えながら言った。「同じ会議の参加者なのに、どうしてこうも違うんだい?」

援助は植民地主義の延長?

村人たちは、役人や政治家が日当を受け取ることを知っている。だから、こういった怒りを覚えるのは至って当然だとも思う。これはそもそも援助制度の構造上の問題だ。

こういう時、私はどうしたらいいのかわからない。

日当という不文律は、結局のところ、植民地時代の間接統治の延長戦に見えてしまう。援助を与える側に立った偉い人たちが、地域の有力者を財によって味方につけ、その下にいる村人の感情や行動をコントロールする。

この構造は、奴隷貿易から植民地支配の時代にかけて、白人がアフリカ地域の黒人リーダーたちを取り込み、小さな人数で大きな大陸を支配したあの卑怯な方法と不思議なほどに重なっている。日当で釣り上げた有力者が味方につけば、住民を動かすことなんて簡単だろう。

そんなふうに考えると、日当という甘い汁を吸い取るために集まってくるくまのプー的有力者は、怒りの対象にはならない。怒りのベクトルが本来向かうべきなのは、援助制度の構造そのものであるはずだ。

私はその日集まった住民に対して、わずかながらの日当をなるべく日当とは思えないような形で支払うことにした。

「これでせめて、アブティアを分け合ってください」

私は村の代表者である女性に現金を渡した。

「…………」

「…………」

沈黙が場を支配する。言語を理解せずとも意味はわかる。彼女たちは明らかに不機嫌だった。

後味は悪かったし、思い返してもそれでよかったのかどうかはわからない。しかし、この類いのことは援助屋で働く以上、これから何度も体験するだろう。

それでも「こういうものだから」と言って日当をばら撒くことに少しの違和感も覚えなくなるくらいなら、この業界からキッパリと足を洗う方がマシだと思う。小さなことでも、ずっと納得しないし納得してはいけない。

援助は結局のところ、植民地主義の延長戦に過ぎないんだろうか? 嫌な後味を残しながら、私たちのプロジェクトは始まった。

文/田畑勇樹

荒野に果実が実るまで 新卒23歳 アフリカ駐在員の奮闘記

田畑 勇樹
餓死者もでるアフリカ貧困地域にいながら賄賂でうるおうエリートたち…“日当”という名の援助は植民地主義の延長戦に過ぎないのか
荒野に果実が実るまで新卒23歳 アフリカ駐在員の奮闘記
2025年6月17日発売1,243円(税込)新書判/272ページISBN: 978-4-08-721367-6不可能と言われたウガンダ灌漑プロジェクト。
23歳若者の挑戦
大学卒業と同時にNPOに就職しウガンダに駐在した著者は、深刻な飢えに苦しむ住民たちの命の危機に直面。
絶望的な状況を前に、住民たちがこの荒野で農業を営めば、胃袋を満たすことができるのではないかと思い立つ。
天候とのたたかいや政治家たちの妨害など、さまざまな困難に直面する著者。
当時の手記を元に援助屋のリアルを綴った奮闘記である今作は、2024年第22回開高健ノンフィクション賞最終候補作にも選ばれる。
「不可能なんて言わせない」、飢餓援助の渦に飛び込んだ23歳が信じた道とは?
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