
2025年参議院選挙は自公過半数割れという結果で終わった。また、国民民主党・参政党など新興勢力の大躍進や、AIエンジニアの安野貴博氏が党首の「チームみらい」が1議席を獲得したことが話題となった。
社会現象となった石丸旋風から1年、得票数は激減
昨年7月の東京都知事選挙で、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏は約165万票を獲得した。この得票は、既存政党の支援を受けずに、小池百合子氏の次点に躍り出る異例の結果であった。
石丸氏の支持は無党派層や若年層に厚く、一つの社会現象となった。その勢いを買って、石丸氏は1月に地域政党「再生の道」を設立。
6月の東京都議会議員選挙では42人の候補者を擁立したものの…結果は全候補者の落選であった。総得票数は約40万票まで減少した。
続く今回の参議院議員選挙では、東京選挙区に擁立した吉田あや氏の得票が約12.8万票に留まった。「再生の道」の全国比例での総得票も約51万票と振るわず、都知事選で見せた勢いは急速に失われた。
では石丸新党、すなわち「再生の道」の挑戦はなぜ失速したのか。それには複数の要因が考えられる。
失敗の根源には、石丸伸二氏本人の不出馬があった。
安芸高田市長時代からYouTubeを通じて発信された議会での鋭い舌鋒や、既存政治家への物怖じしない態度は、政治不信を抱く有権者に新鮮な印象を与えた。
共同通信の出口調査によれば、都知事選における無党派層の37.99%が石丸氏に投票している。小池百合子氏の30.56%や蓮舫氏の16.60%を上回る数字である。
18歳から29歳の若年層では支持率が41%に達した。この熱狂は、さわやかで高学歴といったイメージに支えられ、特に匿名のインターネット掲示板では女性層からの好意的な反応も目立っていた。
日本社会には、クリーンなイメージを持つ高学歴のリーダーを待望する素地が存在する。石丸氏の個人ブランドは、まさにこの需要に応える形で形成された。
有権者の投票行動を促すには力不足
「再生の道」が臨んだ都議選や参院選では、石丸氏自身は立候補せず、候補者の後方支援に徹した。この戦略が、支持の連鎖を断ち切る決定的な要因となった。
有権者が支持したのはあくまで石丸伸二氏という個人であり、知名度の低い新人候補者たちではなかった。石丸氏が応援演説に駆けつけても、有権者の投票行動を促すには力不足であった。
候補者たちは「石丸さんのことは知っているけれど、あなたは誰か」と問われる場面に直面した。
吉田氏は自身の子供の障がいについて語るなど、母親としての視点も訴えた。それでも、石丸氏不在の選挙戦で有権者の心をつかむことは困難を極めた。支持の核であった石丸氏個人の不在は、党全体の求心力を著しく低下させた。
安野貴博氏が率いる政治団体「チームみらい」は、安野氏自身が前面に立ち、テクノロジー活用という明確なビジョンを訴えた。対照的に「再生の道」は、象徴であるはずの指導者が不在のまま選挙戦を戦うという、極めて難しい選択をしたことになる。
希望の党で失敗した小池百合子都知事もそうであったが、本人が出馬しないというのは、有権者には迫力不足に映ってしまうのであろう。
令和における政治潮流と乖離していた可能性
石丸氏と「再生の道」が採用した政治的ポジショニングは、令和における政治潮流と乖離していた可能性もある。
かつての日本の憲政において、新しい政党が成功を収めるための定石とされた戦略があった。それは、右派的な自由民主党と左派的な日本社会党(及びその後継政党)との間に生じる政治的空白、すなわち中道路線を的確に捉えることであった。
1990年代の日本新党や2010年代の希望の党も、既存の左右対立に飽きた無党派層や中道志向の有権者の受け皿となることを目指した。石丸氏の戦略も、この伝統的な「第三政党」理論に酷似している。
特定のイデオロギーを強く打ち出すことを避け、具体的な政策よりも「政治不信の打破」といった抽象的なスローガンを掲げた。
自民党がリベラル寄りの政策を志向する傾向になった
しかし、2025年時点の日本の政治状況は、かつての中道路線が有効だった時代とは大きく異なっている。安倍晋三元首相とライバル関係にあった石破茂首相は、対中外交に力を入れる一方で、成長戦略には力を入れず、国民一人当たり2万円の給付金を検討するなど、リベラル寄りの政策を志向する傾向を見せていた。
この動きは、結果として保守的な価値観を持つ有権者層の不満を呼び起こし、政治的スペクトラムの右側に新たな空白を生み出した。SNSの普及がこの潮流を加速させている。
インターネット空間では、「愛国心」「減税」「外国人政策への懸念」「バラマキ行政への不信感」といったテーマが日々可視化され、強い共感を呼んでいる。
世界的な政治動向とも同期するこの流れは、明確な保守的、右派的メッセージを掲げる勢力にとって追い風となる。実際に、国民民主党は都議選で議席を伸ばし、保守層や無党派層の一部を取り込むことに成功した。
参政党のような新興勢力も、「日本人ファースト」といった直接的なスローガンを掲げ、国政選挙で議席を獲得している。こうした勢力は、現代の有権者が抱く不安や不満を的確に言語化し、支持を拡大している。
明確なイデオロギーを持たない候補者の集合体
対照的に、「再生の道」の立場は曖昧であった。明確なイデオロギーを持たない候補者の集合体という性質上、右派にも左派にも強く訴求することができなかった。
結果として、最も支持を集めやすいはずの政治的空白地帯、すなわち右派の受け皿としての役割を果たすことなく、どっちつかずの中道路線に留まってしまった。このポジショニングの失敗が、支持の伸び悩みを招いた重要な要因ではないだろうか。
街頭演説の様子からも、この限界は見て取れた。演説会場に集まるのは、その多くが都知事選からの熱心な石丸氏のファンであった。新たな支持層をその場で開拓するには至らず、内向きの活動に終始する傾向があった。
SNS上の支持は熱心で声が大きい一方、その広がりに限りがあった。正直言って、参院選挙中のSNSは、参政党、そして国民民主が圧倒しており、石丸氏の動画は影が薄かった。
個人のカリスマに依存した支持基盤
さきにも触れたように、最大の敗因は、熱狂的な支持の源泉であった石丸氏本人が立候補しなかった点にあり、賛否双方に熱狂を巻き起こした参政党に比べて、刺激が足りなかったということである。個人のカリスマに依存した支持基盤は、知名度のない新人候補者には継承されなかった。
加えて、採用した政治的ポジショニングが現代の政治潮流とずれていた。かつて有効だった中道路線は、右派的な主張が支持を集めやすい現代のSNS社会において、有権者への訴求力を失っていた。具体的な政策の欠如も致命的であった。
「任期制限」や「教育投資」といった理念的なスローガンだけでは、有権者の多様な関心に応えることができず、党としてのアイデンティティを確立できなかった。SNSを駆使した戦略も、初期の成功とは裏腹に、地域での支持拡大には結びつかず限界を露呈した。
石丸氏が試みた壮大な政治実験は、新たな政治参加の形を提示した一方で、選挙で勝利するという現実的な目標を達成するには至らなかった。現時点において、この実験は失敗に終わっていると評価せざるを得ない。
選挙に弱い政党から求心力は失われていくものだ。これから「再生の道」の道を続けるには、石丸氏本人による相当な根気と資金が必要であろう。
文/小倉健一