
20代のころは、汚いものに触っていないのに、「自分は病気かもしれない」と悩むなど、潔癖症に長く苦しんだ62歳の男性。郵便局で働くうちに「仕事が完璧にできない」と怖くなり、30歳で退職し、そこから20年以上もひきこもりに……。
〈後編〉
大学受験に失敗し、浪人中に潔癖症を発症
「そこのチリチリ。天パー」
西沢敦司さん(62=仮名)は幼いころから、くせ毛だった。中学に入り国語の教師がそう呼び始めると、すぐにクラス中の生徒がマネをした。西沢さんは嫌でたまらなかったが、いじめられていることを親にも言えなかったという。
「くせ毛は父や母からの遺伝だから、なんか悲しませるのも嫌だったし」
父親は都の交通局に勤務し、バスガイドをしていた母親と結婚。母は専業主婦になり、西沢さんと兄を何不自由なく育ててくれた。
西沢さんは小学生のころは公園で野球をするのが好きだったが、スポーツ刈りにするのが嫌で中学の野球部には入らず、バトミントン部に入った。区の新人戦で優勝して表彰されたこともある。
高校では物理や数学が好きでクラスでも1、2番の成績だった。大学は行けるものだと思っていたが、受験に失敗。浪人中に強迫性障害のひとつである潔癖症(不潔恐怖)の症状が出始めた。
「バスでも電車でも、つり革や棒につかまるのが怖くなっちゃって。
結局、3浪した末に、2年制の専門学校で電子工学を学ぶことに。
「暗記が得意だったので定期試験はよかったけど、暗記だけじゃ受験はダメなんだな。そう思って、方向転換したんです。でも、授業は簡単過ぎてつまんないし、友だちもできませんでした。誰もいない教室でひとりでお弁当を食べたりしてましたね」
性的な病気ではないかと悩んだ末に……
悲惨な学生生活に追い打ちをかけたのは、潔癖症の悪化だ。
「通学路にラブホテルとかあって、排泄物が入ったゴミや風俗雑誌が捨てられているんですよ。そういう汚いものに触ってないのに、触ったんじゃないかと気になってしまって。母親と歩いているとき我慢しきれなくなって、地べたを這いつくばって、『わあー!もう嫌だー!』って叫んだことも。タクシーに乗せられて帰ってきたそうですが、まったく覚えてないんです」
当時、テレビでは性風俗の特集などをよくやっていた。そうした番組を見たことで、別な強迫観念にも悩むようになる。
「僕も男だから、ちょっと興味はあったりするから見たんですね。もちろん性風俗の店には行ってないんだけど、そういったお店がある新宿の学校に行ってるから、自分自身が汚くなっているんじゃないか、自分は性的な病気にかかってるんじゃないかと思うようになったんです。お風呂に1時間くらい入って、洗っても、洗っても、落ちてないんじゃないかと思って、親に『いい加減出なさい』って言われても、出られなくなっちゃって」
中学のときと同様、親には何も言えず1人で悩んでいた。
「僕、もしかしたら病気かもしれないから、泌尿器科に行きたい」
「なんでだ?」と聞かれても、「とにかく行かせてくれ」と繰り返した。検査して医師に「大丈夫だ」と言ってもらったが、まだ不安な気持ちは消えない。もう1度診察を受けて少し落ち着いた。
だが、今度は電車に乗っていて泌尿器科、性病科などの看板が見えただけで、嫌な気持ちになるように。懸命に「自分とは関係ない」と切り離して考えるようにしたそうだ。
「手を洗えば大丈夫」と言い聞かせて仕事を続ける
23歳で専門学校を卒業して、気象関係の仕事に就いた。夜勤の日は夜11時に仕事が終わる。他の職員は仮眠を取るのだが、西沢さんは共用の布団を使う気になれず、朝まで眠らずに本を読んで時間をつぶした。
あるとき、西沢さんのロッカーに大人のおもちゃが入っていた。上司に訴えたが、「大げさにしないでくれ」と言われて、犯人はわからずじまい。「こんなところにいるのは嫌だ」と思い、1年で辞めた。
その後、公務員試験をいくつか受けた。
郵便局で働いているときは、潔癖症を自分で抑えることができていたという。西沢さんが自分で考えた対処方法はこうだ。
「手を洗えば病気になることはない。1回洗ってダメなら2回。2回洗ってダメなら3回。3回洗えば、もう大丈夫なんだよと自分に言い聞かせたんです。風呂も普通に30分ぐらいで出られるようになったし。
みなさんがそれでうまくいくかわからないですけど、僕はそれで克服したっていうか。今でも潔癖症はあるんですよ、段ボールとか触るのは好きじゃないし。
仕事を完璧にできないという恐怖で退職
潔癖症(不潔恐怖)は強迫性障害のひとつだ。強迫性障害の主な症状には潔癖症のほか、戸締りなどを何度も確認してしまう確認行為、人に危害を加えてしまうという恐怖にとらわれる加害恐怖などがある。10代~20代で発症することが多いとも言われ、強いストレスや不安も発症要因の1つと考えられているが、くわしい原因は不明だ。
西沢さんの場合、潔癖症は抑えることができたが、仕事に行くことが怖くなった。入局して4、5年目に配置換えされたことがきっかけだ。
「現金書留とか特殊な郵便を扱う部署に配属されたんです。そこでは誰かが何か1つでも間違えると、解決するまで、みんなが帰れない。そんな難しい仕事、僕には完璧にできないと思うようになって。だんだん仕事が怖くなって、布団から出られなくなっちゃって」
無断欠勤を続けていると、「何で来ないんだ」と電話がかかってきた。職場に行くと、「みんながやっている仕事だから、そんなに意識しないで仕事に来いよ」と言ってくれたが、怖くてたまらない。
「結局、いい年して母親に甘えちゃって、辞める手続きも、制服を返すのも、全部母親にやってもらったんです。自分は何もできない人間だと、自分で自分にレッテルを貼って、そこからはもう、家から出なくなったんですね」
パソコンに椅子を投げつけて壊したことも
ひきこもったのは30歳のころだ。家で何をしていたのかと聞くと、「何もしていなかったですね」とあっさり答える。
「たまに大きな声を張り上げたり、自分の部屋で椅子を壁にぶち当てたり。だから、もう壁はボコボコなんですよ。パソコンに椅子を投げつけて、パソコンを壊しちゃったこともあります。
それでも両親からは怒られたことがないんですよ。兄が家にいる間は『信長の野望』とか陣取り合戦のゲームをパソコンでやって遊んだりもしてたけど、兄が結婚して家を出てからは、父と母と僕だけになりました」
母親と一緒に近くの精神科クリニックを受診。強迫性障害と診断され、服薬を開始した。障害厚生年金の手続きも母親がしてくれたという。
不思議なのは、ひきこもって間もなく受診したことだ。家族に勧められても、「医者には絶対に行かない」と拒否する人は多い。西沢さんは、どうして素直に従ったのだろうか。
「なんで自分が精神科に行かなきゃならないんだとは思いましたよ。でも、親に甘えていた分、親の言うことに逆らうことはできなかったというか、逆らっちゃいけないと思っていたので」
精神科クリニックのデイケアにも3年ほど通ったのだが、「スタッフの1人とうまくいかなくなっちゃって」途中で行くのを止めてしまったという。
母の異変に衝撃を受けたのは、2人で出かけたときだ――。
〈後編へ続く『母の認知症、父の死…20数年ひきこもった62歳男性の「謝りきれない後悔」』〉
取材・文/萩原絹代