
本来は学びを支えるために借りた奨学金が、むしろ将来の選択肢を狭める要因となっている。こうした背景から、福利厚生の一環として社員の学生時代の奨学金を返済代行する企業が増加している。
奨学金代理返還制度が企業に浸透も実情は
かつて、奨学金は「苦学生のもの」という印象が強かった。しかし、日本学生支援機構(JASSO)の「令和4年度学生生活調査」によれば、大学生の約2人に1人がなんらかの奨学金を受給または貸与されている。もはや、奨学金は一般的な進学手段のひとつとなっている。
その一方で、奨学金の平均借入総額は、学生ひとりあたり313万円にのぼる。20代で何百万円もの借金を抱えて社会に出た若者が、その返済に苦しむケースは少なくない。
こうした中、近年は、社員が学生時代に借りた奨学金を「肩代わり返済」する企業が増えている。
2021年4月から始まった「企業等の奨学金返還支援(代理返還)制度」では、企業が日本学生支援機構に直接送金することが可能となった。2024年10月に2587社だった導入企業数は、2025年6月末には3721社に急増。
就職・転職活動の支援を通して奨学金の返還を支援する「奨学金バンク」を運営する、株式会社アクティブアンドカンパニー代表取締役社長の大野順也氏はこう語る。
「日本学生支援機構のホームページを見ると、導入企業の一覧や従業員数が公開されていますが、半数以上が従業員100名以下の中小・零細企業です。つまり、人材の確保や定着に困っていることが、導入の背景として大きいのではないかと感じています。それに、導入企業は3721社と増えてきていますが、日本には約500万の事業所があると言われているため、まだまだ導入企業は少ないと言わざるを得ません」(大野氏)
その一方で、「奨学金返還支援(代理返還)制度は社員を辞めさせないための“枷”になるのではないか」という疑問も、SNSを中心に広がっている。
確かに企業が代わりに何年も支払ってくれるのはありがたいが、人間関係や職場環境に悩み、退職しようとした際に、それまで企業が負担していた分を「すべて返せ」と求められる可能性も否定できない。
「社員の奨学金を全額一括で返還するわけではないため、それは現実的ではないですね。それに、対象社員が返済中あるいは返済後に退職しても、『これまで代わりに払っていた分を返せ!』ということはありません」
そう語るのは、制度を導入している株式会社INPEXドリリング業務部の人見茂樹氏だ。
「奨学金返還支援(代理返還)制度は、当時の副社長(現在は退任)が日本学生支援機構の制度改正をいち早く認識し、『当社でも導入したい』との意向から、2023年12月に導入されました。当時すでに返済中だった社員にも、もちろん支援を行なっており、新卒・中途にかかわらず、すべての対象社員に同条件・同内容で支援しています」(人見氏)
単純な「給料アップ」ではない
現在、同社の奨学金返還支援(代理返還)制度の利用者は6名だが、すでに返済を完了した1名を含めると、これまでの利用者は7名となる。
「当社では月額1万5000円、総額で最大180万円を上限に、最長10年間、奨学金を完済するまで代理返還を行います」(人見氏)
当然ながら、返済額は人によって異なるが、代理返還の金額は全員一律で月額1万5000円。たとえば、月々1万8000円を返済している社員であれば、差額の3000円は自分で返済することになる。
「特に20代~30代の社員は、結婚や子育てといったライフイベントがある世代です。そのような中で、たとえ月々最大1万5000円の支援であっても、『とても助かる』との声が寄せられています」(人見氏)
しかし、例えば社内で「奨学金を借りている者たちだけが優遇されていてズルい」という声はあがっていないのだろうか? いくら奨学金を借りている人たちが「毎月1万5000円を多めにもらっている」といった不満が、奨学金を借りてこなかった社員からあがることは十分に考えられる。
結論から言うと、代理返還に充てられるため、単純な給料アップにはつながらない。同社でも、特にそのような声はなかったという。
ただその一方で、「会社の利益を奨学金の返済に充てるなんて……」という批判的な意見も、SNSなどでは散見される。その点に関して、人見氏はこう語る。
「企業としての利益の使い道は、会社の裁量に委ねられる部分です。事業継続のために必要な機械装置の購入など、さまざまな投資がありますが、奨学金の返還支援も事業継続の一環であると考えています。そのため、特別な支出というわけではなく、当然のこととして行なっているものであり、批判されるような支出ではないと認識しています」(人見氏)
家族手当や子ども手当のようなもの
さらに、ネット上では《奨学金を肩代わりしてもらっている間は、我慢してこの会社に座っていれば払ってもらえるのでラッキーでしかないですね》という皮肉めいた声も目立つ。そのような声に対して、前出の大野氏は、次のように解説する。
「近年、福利厚生のあり方が大きく見直されてきています。これは節税面の観点もありますが、それ以上に、『お金に意味を持たせる』『企業の価値観を具体的な制度に落とし込む』という意味での意義が注目されています。
例えば、『家族手当』や『子ども手当』のような制度も、結婚していない人や子どもがいない人には恩恵がありません。それでも社会的には広く受け入れられています。奨学金代理返還制度も、同じように“選択的な支援”として自然に受け入れられていくべきでしょう」(大野氏)
あくまでも、奨学金返還支援(代理返還)制度は福利厚生。企業が在籍している社員のリテンション(定着支援)を重視して、同制度は導入されている。
それでも、こと奨学金に関しては誹謗中傷めいた意見が殺到するのはなぜなのか?
「奨学金という“名前”がついているだけで、『自分はもらってないのに不公平』『自分は自分で返したのに』という感情的で狭い視点から批判が出てくることが非常に多いと感じています。こうした声は、言ってしまえば、『自分の財布』レベルの視点でしか物事を見ていないのだと思います。
本来は、『このお金の発生源はどこか』『誰が責任を持つべきなのか』『社会的な意味は何なのか』といった観点から、より広い視野で考えていく必要があると強く感じます」(大野氏)
そもそも、奨学金を借りなければ大学進学、そして「メシが喰える」仕事に就けない現状の社会のあり方を問題視しなければならない。奨学金返還支援(代理返還)制度は、若者の教育や就職、地方の格差を是正するための存在なのだ。
取材・文/千駄木雄大