この秋、文部科学大臣に就任した馳浩。あの松井秀喜や本田圭佑を生んだ石川県星稜高校の元・国語教師であり、ロサンゼルスオリンピックにもレスリング代表で出場。
その肩書きを引っさげてプロレスラーに転身し、90年代新日本プロレス人気の牽引役となっている。
現役バリバリの1995年に参議院議員初当選、その後全日本プロレスに移籍し、2006年までプロレスラーと国会議員の二足のわらじを履いていた。
その異色の経歴から、世間の注目度が高い馳大臣。プロレスラー時代の血気盛んな発言やエネルギッシュな行動をお節介ながら振り返ってみよう。

山田邦子を恫喝、福澤朗アナに襲撃予告!?


プロレスラーと言う職業に高い誇りを持っているからこそ、プロレスを舐めた態度を取る人間には敢然と立ち向かっていた馳。
山田邦子と福澤朗アナもその餌食(?)となっているのだ。

80年代後期、新日本プロレスのテレビ中継がバラエティ番組寄りになっていた頃。司会の山田邦子が「出血しても控え室に戻ったらすぐに血は止まるんでしょうか?」と馳に大胆な質問を投下。馳は「つまんない話、聞くな!止まるわけないだろ!」と大激怒し、生放送中のスタジオを凍りつかせている。
また90年代前半には、『全日本プロレス中継』内の福澤朗アナウンサーの名物コーナー「プロレスニュース」が、レスラーや試合を面白おかしくいじる内容だったことに対し、馳が「あのアナウンサー、ふざけすぎだよ!会ったらブン殴ってやる!」と『週刊プロレス』誌で熱いコメントを残している。

若気の至りもあって、鉄拳制裁も辞さない過激な発言であったが、それは命懸けでリングに上がっていたことの裏返し。事実、馳はプロレスの試合で臨死体験までしているのだ。

臨死体験と人間性無視のしごき?


1990年6月の試合、バックドロップの受身を取り損ね、左のこめかみからリングに激突。意識朦朧のまま試合を終えるも、セコンドに付くためにリングに向かう途中で昏倒してしまう。

全身の痙攣から硬直が始まり、口から泡を吹いて失禁してしまう馳。リングドクターが駆けつけた時には心肺停止状態。瞳孔も開いていた。ドクターの人工呼吸とその場に居合わせた警官の心臓マッサージのおかげで1分後になんとか蘇生したが、馳はその間に幽体離脱して倒れている自身の姿を眺めていたそうだ。翌日には意識は回復したが、一週間の入院、二ヶ月間の試合欠場となった。夜眠れないほどの偏頭痛などの後遺症も残っているらしい。

自身がこんな壮絶な体験をしているからこそ、身体作りには人一倍厳しい馳。
自著『闘いのゴングが聞こえているか』(日本文芸社)では、「人間性無視のスパルタしごき」と題し、新日本プロレス時代の熱血コーチぶりをこう話している。

道場でのしごきには人間性を無視したものがある。腕立て伏せ用の角材で背中や太ももをなぐりまくったり、限界までヒンズースクワットや腹筋などの単調な基礎トレーニングをさせるなんてあたりまえ。指定した回数ができなければ、有無を言わさずできるまでやらされる。受け身の練習が一番悲惨で、できるまで一時間でも二時間でも続けてリングに自分の体を叩きつけなければならない」

人間性を無視してしまうしごきも、プロレスと言う危険な商売で大成させるための愛情ゆえ。
そこまでしなければ、プロレスラーの超人的なタフネスは生まれないのだ。
ただ、人間性を無視してしまうのはちょっといただけないが…。

酔わせた記者をモヒカン刈りに!?


ファン感謝ツアーで八丈島に行った際、雨でホテルに缶詰となり退屈をもてあました馳は、宴会の席でガンガン飲ませて酔っ払ったプロレス記者を軟禁。両手両足を縛った上に猿ぐつわをした状態で、眠ったままの記者の髪を剃り始めた。あわれ記者はモヒカン刈りにされ、眉毛まで剃られてしまったのだった。翌日、目覚めた記者は裁判にすると大激怒。馳が頭を丸めることでとりあえず事態は収集している。
同じく『闘いのゴングが聞こえているか』で、馳はこの事件のいきさつをこう呑気に語っている。

「せっかく八丈島に来たんだから誰かイケニエにしようぜ。なーに、ちょっとやそっとのことをしたって大丈夫。なんたって八丈島は治外法権だから」
……法務大臣にならなくて本当に良かった!
とりあえず、その記者とはこれを機に友人関係となったそう。これも馳の人間味あふれるキャラクターの成せる技だろう。
きっと。

現在の馳大臣は、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会推進議員連盟事務局長でもある。元オリンピック選手だった経験を活かし、またプロレスに掛けた情熱を東京オリンピックに注ぐ形で成功に導いてもらいたいものである。
馳の師匠である元プロレスラー、ミスター・ヒトは「馳は子供の頃からほしいものや、地位を必ず手に入れて来た」と語っている。

そして、プロレスラー引退セレモニーで馳はこのラストメッセージを残している。
「いつか内閣総理大臣になったら、SPを連れてリングに上がりたい」
東京オリンピック成功後の馳総理大臣誕生、そしてSPを連れてのプロレスラー復帰。本気であり得ると思うのは筆者だけだろうか……?
(バーグマン田形)
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