誰もが知っているTRF。現在も第一線で活躍中の息の長いグループだが、まだ小文字のtrfだった時代に達成した音楽史に刻まれる大記録をご存知だろうか?

初物尽くしの小室プロデュースユニット


正式名称は『Tetsuya-komuro Rave Factory』。その名の示す通り、小室哲哉プロデュースのユニットだ。

レイヴとは、海外で人気となっていたダンスミュージック系音楽イベントのこと。この頃の小室はレイヴに夢中になっており、「今年はレイヴが来る」と事あるごとに言っていた。電気グルーヴの石野卓球がオールナイトニッポンでネタにしていたのをご記憶の方もいるのでは?
そんな小室の思いが詰まった日本初のレイヴユニットであり、ダンス系テクノをポップミュージックに導入した初のグループであり、エイベックス邦楽部門の第1号グループでもある。
要は、小室が新たな音楽ジャンルを切り開く野心に燃えたダンスユニットなのだ。

最初はメンバー11人の大所帯!?


1993年2月、シングル『GOING 2 DANCE』でデビュー。同年6月のセカンドシングル『EZ DO DANCE』がいきなりのスマッシュヒットとなる。
小室哲哉がわずか5分で作曲したtrfの名曲とは?

当時はエイベックスのCMが深夜を中心にヘビロテされており、このCDのCMも同じく怒涛の勢いで大量投下。
シーブリーズのCMにも起用され、ノリノリでキャッチーなメロディに乗って陽気に踊り狂う男女の姿は一気に世間に浸透して行く。
ただ、当時疑問に思った方も多かったはず。このtrfとかいうグループ、一体何人組なんだ?

とりあえずの答えはこの曲のCDジャケットにあった。
ビーチで微笑むのは10人の男女。でもこれで終わりではない。当初は小室自身も加わり、シンセサイザーを担当していたので、この時点でのメンバーは「ほぼ」11人だったのだ。

「ほぼ」と言うのは、メンバーが流動的だったから。ダンスフロア志向の高いユニットを目指すということで、あえて記号性と匿名性が高いスタイルを取っており、メンバーは固定化されていなかったのだ。
現在の5人体制となったのは1993年夏頃とされている。

5分で生まれた冬の名曲


『EZ DO DANCE』はヒットしたとはいえ、オリコンの最高位は15位。この後、1993年12月リリースとなる5作目の『寒い夜だから…』で、ついにオリコン8位とベストテン内に入る。
度々カバーされている時代を超えた名曲だが、その裏話が凄すぎる。
当時、小室はスタジオまで自転車で5分の距離に住んでいた。
寒空の中、自転車で自宅からスタジオに向かう5分の間に「寒い夜だから……」というフレーズを思いつき、メロディまで作曲してしまったそうだ。
小室哲哉がわずか5分で作曲したtrfの名曲とは?

まさに神がかっているとしか言いようがない。しかし、本当に音楽の神様が憑依していたのかと思うエピソードはこれから。
なんと、この後trfは5作連続でミリオンセラーの大ヒットを生み出して行くのだ。

シングルCDが5作連続でミリオンセラーに!


その始まりとなった『survival dAnce ~no no cry more~』は94年5月リリース。時の大人気アイドル、内田有紀主演のドラマ『17才』の主題歌でもあった。
6月には『BOY MEETS GIRL』が登場。
起用されたコカ・コーラのCMは、プロモーションビデオほぼそのままと言う高待遇ぶりだ。
7月には上記2曲を含むアルバム『BILLIONAIRE ~BOY MEETS GIRL~』も発売され、ミリオンセラーを記録。もう勢いは加速度を増すばかり。

1995年1月からは3ヶ月連続リリースとなる。第1弾は『CRAZY GONNA CRAZY』。実はこの曲がTRF史上で一番売れたシングルだったりするのをご存知だろうか?
2月には『masquerade』。
当時の深夜CMでうっとおしいほどに流れていた『カメリアダイアモンド(ジュエリーマキ)』のタイアップ付き。サビの「マスカ~レィ♪」を1日に何回聞いたか分からない方も多いはずだ。
3月には『Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~』。ホンダのスクーターのCMに起用され、メンバーたちも出演していた。さらに発売から20日足らずで、上記3曲を含むアルバム『dAnce to positive』をリリースし、Wミリオンを達成している。
小室哲哉がわずか5分で作曲したtrfの名曲とは?

このリリース間隔の短さも、プロデューサー小室哲哉の圧倒的な才能を物語る。
『Overnight Sensation』は8月には映画版『花より男子』のエンディングテーマにも起用され、メンバーも映画に本人役で登場となる破格の扱いに。12月発売のアルバム『BRAND NEW TOMORROW』もミリオンを記録し、この曲で日本レコード大賞の大賞受賞も果たすなど1995年を盛大に締めくくっている。
さらに、デビュー2年足らずでCD総売上枚数が1,000万枚を突破したのは日本最速記録となる。あっという間に音楽シーンの頂点に立ったtrf。だが、「敵」は思わぬところにいたのだった。

ライバルは他の小室プロデュース作品たち!?


trfの大成功と共に小室のプロデュース業は爆発的に拡大。
1994年には、篠原涼子 with t.komuro『恋(いと)しさと せつなさと 心強さと』、95年には、H Jungle with t『WOW WAR TONIGHT 時には起こせよムーヴメント』の超メガヒットを記録し、「恋人」華原朋美や自身参加のユニットglobeもデビュー。安室奈美恵のプロデュースも始まるなど、八面六臂の大活躍で次々と偉業を達成して行くのはご存知の通りだ。

小室プロデュース作品が圧倒的なスピードで音楽シーンを埋め尽くしていく中、trfは一気に過去の存在に。
「友達や同僚も 刺激を受けつつ お互いライバル」
『Overnight Sensation』の歌詞の一節は予言だったのだろうか…?
1996年、14枚目のシングル『Hey!Ladies & Gentlemen』から大文字のTRFに変更し、心機一転、健在ぶりをアピールするも、この時点での世間の注目はすでに他の小室プロデュース作品にあったのだった……。

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」
なんて、『魔女の宅急便』のキャッチコピーがしっくり来るくらいに紆余曲折あったが、現在はベテランの貫禄で確固たる存在感を示すTRF。当時から応援している筆者としては実に感慨深いものがある。
ちなみに、前述の「CD総売上枚数1,000万枚突破の日本最速記録」であるが、この記録を更新したのはglobe。つくづく、「小室哲哉恐るべし」である。
(バーグマン田形)