政治資金問題で連日集中砲火を浴びていた舛添都知事。
あれやこれやと過去もほじくり返され、芸能界のご意見番たちも独自の見解を述べることが目立つようになっていた。
そんな“外野”に内田裕也もついに参戦。
舛添知事の姿勢を「ロックじゃない。言うだけで何もしないフォークソングだ」と独特の言い回しで表現した。

なんだか、フォークソングが悪いみたいになってしまっている気もするが、「ぺこぺこ頭を下げ逃げ切ろうとしているのは明らかで、選挙民をなめている」ともバッサリ。まぁ、確かにその通りであるし、内田裕也は批評をすべき立場にあると思う。なぜなら、過去に東京都知事を目指していたのだから。

頭を下げるどころか、頭を上げっぱなしのこびない政見放送をいやがおうにも思い出してしまうのである……。

アントニオ猪木の出馬断念を受け、内田裕也が都知事選に緊急出馬!


1991年の東京都知事選は、自民党東京都連が推す、4期目を目指す現職の鈴木俊一氏vs自民党本部が推す、元NHKの人気キャスターで新人の磯村尚徳氏の対決といった様相だった。
そこに割って入ったのが、抜群の知名度を誇るアントニオ猪木(スポーツ平和党)参議院議員。しかし、公示直前に出馬を断念する事態となってしまう。

これを受けて急遽立候補を決意したのが内田裕也。その行動力をリスペクトしていた猪木が立たないのなら、俺がやるしかない! との使命感がロックンロール魂に火を点けたのだ。

破天荒なロックンローラー・内田裕也が政界に殴り込み!?


内田裕也というと、何かにつけて「ロックンロール!」と叫ぶ変なおじさんというイメージが強いが、この当時もその芸風は変わらず。しかし、60年代末~70年代にかけて日本のロックシーンをリードする存在だったのは確か。
歌手としてのヒット曲はないながらもその存在感は絶大で、俳優業でも異彩を放っていた。
型破り、破天荒、暴れん坊……。そんなイメージばかりが先行する内田裕也が政界に打って出る。ワクワクと同時にイヤな予感しかしない、そしてその予感は現実のものとなるのだった。

全編ほぼ歌と英語のみ! 異例尽くしの政見放送とは?


1991年春、NHKに内田裕也の政見放送が流れた。
「ロックンロールライフを高校生から続けている。Rock it!Love&peace運動」
紹介ナレーションからして強烈な電波がビンビンである。


まずは、ジョン・レノンの『Power to the People』のサビをアカペラで披露。そして、プレスリーのカバーで有名な『Are You Lonesome Tonight?(今夜はひとりかい?)』を歌い上げ、そのままの流れでブロークンな英語での自己紹介が始まる。
要約すると、「ロックンロールに出会って人生が変わり、世界中を回ったけど、やっぱロックンロールは最高!尊敬する猪木の出馬取り止めがショック。俺のロックンロールを聴いてくれ!」って感じの内容……と思われる。

さらに、今度は気持ちよく日本語で『コミック雑誌なんかいらない』を歌い始めた。しかも、指を鳴らしてリズムを取りながら。

最後の挨拶は「Love and peace Tokyo, rock 'n' roll, thank you.」
そして、15秒近く画面を見据えたまま無言が続き、「ヨロシク」と小声で囁いたと同時にタイムアップ。
あの……公約とか一切ないんですけど……。

当時の選挙公約、内田裕也公式サイトで今でも確認可能


当時の公約は今でも公式サイトで閲覧ができる。
「羽田沖に大UMETATECHI(原文ママ)を作りインターナショナルエアポートの建設!国会議事堂 議員会館 国政関係を移転する!」といったスケールの大きなものから、「役所的文化人をニューパワーを持ったアーティストに移行させて行く!」などの非常にふんわりとしたものまで、バラエティ豊かに独自のロック魂を貫いているから必見だ。

選挙結果は立候補者16人中5位。
有効投票総数の10%を下回ったため供託金は全額没収となっているが、それでも54,654票も集めたのだから、東京ドームが超満員になる好成績ではある。
ロックンローラーとしては、きっと満足だったに違いない。ロックンロール!
(バーグマン田形)

※イメージ画像はamazonより俺はロッキンローラー (廣済堂文庫)