「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

ビートたけし演ずる村川は沖縄の海の風に吹かれながら、そう言って笑う。1993年公開の映画『ソナチネ』のワンシーンだ。

東京から暴力団の揉め事を収めようと、沖縄にやって来たヤクザの村川が、組織の抗争に巻き込まれて行く姿を描く本作。『その男、凶暴につき』『3-4X10月』『あの夏、いちばん静かな海』に続く、北野武監督4作目にあたるこの映画のストーリーはいたってシンプルだ。

『ソナチネ』のストーリー


村川は沖縄のビーチで若い組員やおネエちゃんと花火で遊びながら、空に向かってふざけて拳銃をぶっ放し、かと思えばホテルのエレベーターで仲間の身体を盾に撃ち合いをする男。大杉漣、寺島進、勝村政信といったのちの名俳優たちと砂浜で相撲を取ったり、草野球に興じる平和な日常は儚く脆い。
予告編やチラシで使用されていた「凶暴な男、ここに眠る」というコピーからも分かるように、映画は久石譲の音楽にも背中を押され、ラストシーンに向けて淡々と突き進んで行く。

強烈な印象に与えた『ソナチネ』


今となっては全編に漂う渇いた空気と死の臭いが、翌94年に起きる北野武のバイク事故と関連づけてスキャンダラスな視点で語られることの多い本作。しかし、純粋なバイオレンス映画として捉えても『ソナチネ』は北野作品最高傑作だと思う。圧倒的な存在感を放つ当時46歳のビートたけしを使いこなせるのは、北野武監督だけだろう。

そのスクリーンでの説得力のある佇まいは、海の向こうの映画関係者にも強烈な印象に与えたようだ。たけしがイギリスの映画協会に招待されてロンドンに行った時、空港で迎えのヴァンに乗ったら「こんな車で申し訳ない」とひたすら謝られ続け、たけし本人も意味が分からず困惑。数年後に関係者から理由を明かされ驚いたという。
「あの時は用意していたリムジンが故障して、ヴァンで迎えに行ってしまって、お前に殺されるんじゃないかと生きた心地がしなかった。本気で俺はお前が日本のマフィアだと思っていたんだ」

国内興行収入はわずか8,000万円


とは言っても、海外で高い評価を得た本作の国内興行収入はわずか8,000万円。ちなみに同じ北野武監督1作目の89年公開『この男、凶暴につき』は7億8,000万円、12年公開『アウトレイジ ビヨンド』は興行収入14億5,000万円だったことからも、93年当時の映画監督・北野武に対する低評価が見て取れる。
この状況にたけし本人も「ソナチネは公開1週間で打ち切られた」と自虐ネタにしたほどで、不思議と客の入らない傑作映画は、一部で熱狂的なファンを生み出した。


今でも高校時代に『ソナチネ』を初めて観賞した時の衝撃は鮮明に覚えている。「なんでこんなに凄い作品に客が入らなかったのか?」と本気で怒り、「いや俺だけはたけし映画を分かってるぞ」的な若者特有の勘違いの自意識も手伝い、それから過去の北野作品もビデオで繰り返し観るようになった。
自分も含め1980年前後生まれの人間は、「芸人ビートたけし」の全盛期に間に合わなかった世代だ。漫才ブームも『オレたちひょうきん族』もリアルタイムでは知らない。『ビートたけしのオールナイトニッポン』も大人になってから、後追いのYouTubeで聴いた。だから、映画監督・北野武をリアルタイムで体験できることに妙な興奮があったのは事実だ。


国内興行収入はわずか8,000万円


その後、たけしはバイク事故から奇跡的に復活し、自身7作目の映画『HANA-BI』で97年に第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞(日本映画では40年ぶり)。翌98年冬、テアトル新宿に公開直後の本作を観に行ったら劇場は超満員。
前作『キッズ・リターン』までの北野作品とは明らかに客層が変わり、まるで美術館で名画を観賞するかのような雰囲気に違和感を感じてしまった。もちろんそれが悪いということでなく、「自分たちだけが分かっていた」つもりの北野映画が世の中に認められ、メジャーになってしまったことに対する寂しさもあったのだろう。『HANA-BI』以降、たけしは日本を代表する巨匠として映画監督の道を邁進している。

今、振り返ると23年前に公開された『ソナチネ』は、「日本一の売れっ子芸人ビートたけし」の虚無感と「売れない映画監督・北野武」のイラつきの狭間で生み出された傑作だったように思う。


【キネマ懺悔ポイント】
監督:北野武 出演:ビートたけし、渡辺哲、勝村政信、寺島進、大杉漣

キネマ懺悔ポイント:100点(100点満点)
90年代ベスト映画として語られることも多い本作。劇中「平気で胸出しちゃうんだもんなあ、凄いよなあ」とたけしを(俺らも)驚愕させてくれた国舞亜矢は今どこに?
(死亡遊戯)


(参考資料)
『全思考』北野武(幻冬社)