ミュージシャンの方が亡くなられると、テレビのニュースでは、故人の業績をたたえる映像と共に代表曲が頻繁に流れます。
ネットでも、関連情報がニュースサイトで大きく取り扱われ、動画サイトの関連動画の再生回数が伸びることだってあるでしょう。


近年もっともすさまじかった例が、マイケル・ジャクソンの急死による影響。その死が全世界で大きく報道されたため、結果的にアルバムが驚異的な売上を記録し、ドキュメンタリー映画『THIS IS IT』へ多くの人が詰めかけたのは記憶に新しいところです。

2009年に亡くなった忌野清志郎


2009年、忌野清志郎が亡くなった時も、連日のようにテレビのニュース・ワイドショーでその死を悼んでいました。
その際、頻繁にBGMとして流された『雨上がりの夜空に』は、リアルタイム世代じゃなくてもなんとなく口ずさめるほどにヘビロテされたものです。

この『雨上がり~』と同じくらい流されていたのが、元THE BLUE HEARTSで現ザ・クロマニヨンズのボーカル・甲本ヒロトの弔辞の映像。黒い革ジャンを身にまとい、遺影に向かって「キヨシロー…」とボソボソしゃべる姿を覚えている人は、多いのではないでしょうか?

桑田佳祐ら著名人も多数参加した告別式


2009年5月2日午前0時51分。忌野清志郎はかねてより患っていた癌による癌性リンパ管症の影響で容態が急変し、そのまま還らぬ人となりました。享年58歳。
この死を受けて5月9日、『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』という名の告別式が青山葬儀所で開催されます。

参列者の一人で生前交流のあったサザンオールスターズの桑田佳祐は、同日に放送された自身のラジオ番組で「亡くなったから、友だち面するつもりはないのですが」と前置きしたうえで、故人との思い出を語り、最後は『ぼくの好きな先生」を生歌で熱唱。
また、「甲本ヒロトくんの弔辞とかね、良かったよね」とも語っていました。

古い付き合いだった甲本ヒロトと忌野清志郎


キヨシロー…。えー、キヨシロー。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。

こんな一言から始まるヒロトの弔辞。
彼のつぶやくような声、虚飾なく純粋に想いを吐露するかような言葉の連なりは、まるで、それそのものが甲本ヒロトの作品であるかようでした。

二人は、ヒロトがまだTHE BLUE HEARTSとして活動していた頃からの古い付き合い。何度となく清志郎のコンサートにゲストアーティストとして呼ばれ、共に歌い、共に演奏してきた仲です。ステージ以外でも交流があったようで、ヒロトはかなりこの先輩ミュージシャンに引っ張りまわされたことを、弔辞の中で告白していました。

突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり…(中略)…でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。

一人だけ革ジャンで参列した理由とは?


なお、先述したとおり、ヒロトの格好は参列者全員喪服なのに一人だけ革ジャン。遺族もいる前で、これはかなり勇気がいったはずです。
その理由もきちんと説明しています。

今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし……。

「ひどいよ、この冗談は…」と死を悼んだ


この告別式の別名は“ロック葬”。死の直前までロックンローラーとしての活動にこだわった清志郎らしい名称です。

その参列者の一人として、ステージ衣装で眠る清志郎に合わせたというヒロトの革ジャン姿は、ある意味“浮いてる正装”。この衣装も込みで、彼の発する言葉一つひとつが胸に染み入るのであり、徹頭徹尾ロックに生きた清志郎への見事なアンサーだったとも言えるでしょう。


弔辞の最後のほうで、ヒロトは清志郎へこんな言葉をかけています。

一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。
はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。


永遠のロック少年・清志郎同様、きっと死ぬまでロックンローラーであり続けるであろうヒロトが、ピュアな感傷と感謝と共に締めくくったこの弔辞は、ロック葬の名にふさわしい名パフォーマンスだったといえるでしょう。
(こじへい)


※文中の画像はamazonより忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館 2枚組ライブアルバム Live