同市はセビリアから南へ約12km下った場所にある。特に観光名所があるわけではなく、白壁の家々が建ち並ぶ典型的なアンダルシア地方の町だ。この町がなぜ日本人と関係しているのかというと、事の発端は伊達政宗が家臣の支倉常長をイスパニア(スペイン)とローマへ派遣した、慶長遣欧使節団にさかのぼる。
使節団はフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として1613年に月の浦港(宮城県石巻市)を出発した。メキシコを経てスペインのサンルーカル・デ・バラメダに到着し、その後コリア・デル・リオに入港。セビリアから首都マドリードへ向かい国王フェリペ3世に拝謁した。その後フランスを通過し、ローマ教皇パウルス5世にも謁見したのだが、一説によると、その際に日本へ帰国せずコリア・デル・リオにとどまった人の子孫が、現在のハポン姓の持ち主となっているそうだ。
セビリアからのバスを降り同市内を歩いていると、地元の中年男性が話しかけてきた。「日本から来たんだろう、カルロス・メサ公園に行けば日本人の銅像がある」。教えられた方向へ歩くと公園へ出た。
「この銅像は、ヨーロッパへの使命を受け仙台から出帆し、偉業を果たした仙台藩士支倉常長率いる使節団を顕彰する為、1991年10月に宮城県で行われたコリア・デル・リオ市民と青年友好訪問団、“みやぎ創造の翼”の交流を記念し、後に日本の宮城県よりコリア・デル・リオへ贈呈された」
ハポン姓を持つ人々は、姓がハポンというだけで風貌は他のスペイン人と変わらない。もちろん話す言語もスペイン語だ。また日本人の子孫だという説は、実際に資料が残っているわけではなく推測の域を出ない。しかし、過去の人々の出会いにより蒔かれた種は、萌芽し今に生きている。市内には「理髪」という日本語を掲げたヘアーサロンなどもあり、少なからず日本という存在は、スペイン国内の他地域よりは近い。由来は何にせよ、400年前の人々が取り持った両国の縁は、現代まで続いているのだ。
(加藤亨延)