このような統計から欧州でもフランスのメンバー数が群を抜いているが、これには理由があるという。
「1967年に弟子丸泰仙という曹洞宗の僧侶が、欧州へ禅を伝える目的でパリ市内に道場を構えました。当時はベトナム戦争が起きたりヒッピー文化が流行するなど、土台だと思っていたものが無くなり何かを探している時代。そこにインドのヒンドゥー教などとともに、禅がパズルの1ピースのように上手くはまったのだと思います。また坐禅というのは、何よりもまず坐らなければなりません。日本語が理解できなくても、体さえあれば誰でも経験できる。この『まず坐る』という身体的な取り組みやすさも、海外で受け入れられた点だと思います」
興味深いことに参禅に通うヨーロッパ人の中には、キリスト教徒だが坐禅の道場へ通う人もいるそうだ。
「個人差はありますが、ヨーロッパでは禅が宗教というよりは哲学であったり、生きるための知恵という形で捉えられている面もあります。たとえばフランスではライシテ(政教分離)が徹底されていたり、国民の大半がアテ(無神論者)と答えるなど、宗教を割り切って考える風潮があります。信仰に基づき坐禅をするのではなく、身体的な行として坐禅を取り入れている人も多く、そこが欧州の他国より坐禅に参加する人が多い由縁かもしれません。ゆえに坐禅はしたいが仏像に礼拝はできないと、坐禅堂に入るときの合掌礼拝を拒む人もいます。一方でキリスト教をベースとした信仰心が厚いイタリアやドイツでは、坐禅と信仰を同じものとみなす人が多いです」
ところ変われば捉え方も変わる禅事情。その多様性こそが「禅」が国際化した証拠といえる。
(加藤亨延)
