フランスの街中で、しばしば「Zen」という言葉を見かける。これは「禅」という言葉がフランス語として使われたものだ。
欧州において禅は、東洋の神秘的なイメージも加わって肯定的な意味でとられることが多い。一体フランスでどれくらい市民権を得ているのだろうか。パリにある曹洞宗ヨーロッパ国際布教総監部でお話をうかがった。

「欧州全体で約4600人のメンバーがいます。そのうち、もっとも多いのがフランスで約2200人。イタリア、ドイツ、スペインがほぼ同数でそれに次ぎます。
『メンバー』というのは禅に興味があり坐禅などに参加している人々のことです。日本の檀信徒の制度とは状況が異なる場合も多いので、こう呼んでいます」

日本だと寺院が坐禅の会などを主催しているが、海外ではそのような場所も多くないだろう。どのように彼らは参禅しているのだろうか。

「たとえば主催者が家の一室を提供して、サークルのような形で坐禅を修行しています。また建物のワンフロアを借りて、仏像なども安置している大規模な所もあります。このような道場ではフロアを坐禅堂と本堂を兼ねたような場所にして、坐禅を終えた後に読経をするケースもあります。
その他にも、応量器と呼ばれる食器で作法にのっとって食事をしたり、夏には2泊3日から1週間、摂心と呼ばれる泊まり込みの修行もおこなわれています。またフランス中部、ブロア市近郊には『禅道尼苑』と呼ばれるフランスでもっとも大きな道場があり、そこでは1年に数度、欧州全土から多くのメンバーが集まります」

このような道場の数は、同総監部が直接関係を持っているものだけで欧州全体で約300。フランスには約200あるそうだ。ただし禅への取り組み方も個人差があり、道場に関する明確な規定は設けていないため、正確な数はカウントできないという。またフランス仏教界全体で見ると、歴史的な経緯や亡命僧の多さなどから曹洞宗よりチベット密教やベトナム禅の方が、規模ははるかに大きいそうだ。

このような統計から欧州でもフランスのメンバー数が群を抜いているが、これには理由があるという。


「1967年に弟子丸泰仙という曹洞宗の僧侶が、欧州へ禅を伝える目的でパリ市内に道場を構えました。当時はベトナム戦争が起きたりヒッピー文化が流行するなど、土台だと思っていたものが無くなり何かを探している時代。そこにインドのヒンドゥー教などとともに、禅がパズルの1ピースのように上手くはまったのだと思います。また坐禅というのは、何よりもまず坐らなければなりません。日本語が理解できなくても、体さえあれば誰でも経験できる。この『まず坐る』という身体的な取り組みやすさも、海外で受け入れられた点だと思います」

興味深いことに参禅に通うヨーロッパ人の中には、キリスト教徒だが坐禅の道場へ通う人もいるそうだ。


「個人差はありますが、ヨーロッパでは禅が宗教というよりは哲学であったり、生きるための知恵という形で捉えられている面もあります。たとえばフランスではライシテ(政教分離)が徹底されていたり、国民の大半がアテ(無神論者)と答えるなど、宗教を割り切って考える風潮があります。信仰に基づき坐禅をするのではなく、身体的な行として坐禅を取り入れている人も多く、そこが欧州の他国より坐禅に参加する人が多い由縁かもしれません。ゆえに坐禅はしたいが仏像に礼拝はできないと、坐禅堂に入るときの合掌礼拝を拒む人もいます。一方でキリスト教をベースとした信仰心が厚いイタリアやドイツでは、坐禅と信仰を同じものとみなす人が多いです」

ところ変われば捉え方も変わる禅事情。その多様性こそが「禅」が国際化した証拠といえる。

(加藤亨延)