ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談記事。押井守の映画『ガルム・ウォーズ』について語り合います。


押井守念願の『ガルム・ウォーズ』


『ガルム・ウォーズ』は押井守の実写で最高傑作
(C)I.G Films

飯田 『ガルム・ウォーズ』は、押井守の実写作品では普通の意味で最高傑作では。もちろん、偏愛したい作品は他にもあるし、あるいは、押井さんの実写は悲惨な出来、微妙なものもいっぱいあったせいで、評価の基準値が下がっているからかもしれないけれど……。

藤田 あ、高評価ですか。意外だ。ぼくも、後期押井(『イノセンス』以降)の最高傑作かと思っています。

飯田 『ガルム・ウォーズ』のあらすじは、異世界で戦争している部族のはぐれもの同士が「この世界ってどうなってんの?」という謎に迫っていき、神のような存在と戦う話。「世界の成り立ちを探る」というファンタジーの王道(+山田正紀?)。
ただそれって昔の日本SFでくそほど描かれてきたテーマだし、お話は骨組みしかない。でも、プロットはどうでもいい。そこを云々する映画ではない。さらに言えば「何回死んでも器となる身体を入れ替えて戦いつづける存在」は『スカイクロラ』だし、犬・鳥(・魚)といえば押井作品の定番要素だし、黒髪おかっぱパッツン女は言うまでもない。出てくるネタはたいがい過去の押井作品で出てきた要素ばかりでそれほど新味はない。でも、いい。


藤田 『ガルム・ウォーズ』の経緯を簡単に説明すると、デジタルエンジンプロジェクトというのが1999年ごろにあって、凍結された『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR』というプロジェクトがあったのですね。押井ファンなら知っている幻の企画で、まさか完成品を目にするとは信じられなかった。念願のその企画を、違う形でようやく完成させたのが、本作。『スカイ・クロラ』とか『アサルト・ガールズ』なども、『ガルム』が念頭にあって作っていたのかと思うと、全て腑に落ちました。
 デジタルエンジンプロジェクトとしては『メトロポリス』『スチームボーイ』は完成。押井監督や樋口真嗣監督の関わっていた『ガルム』は凍結され、パーツがその後の彼らの活動に影響しているという噂です。
……ぼくは機会があって、パイロット版を見せてもらったことがあるのですが、『攻殻機動隊』の直後で、すごい脂が乗っているんですよ。あれはあれで完成を観たかった。けど、本作も、また別の完成をしていた。現在の押井監督の作品としての深みもあって、ぼくはこの形はこの形でよかったと思った。

飯田 序盤は『ファイナルファンタジー』のムービーが始まったのかと思ったけどね。わけわからん用語が乱発されるところも含め。
とはいえパンフレット見たら十分わかるくらいの、さほど複雑な話じゃないんだけど。作中ではほとんど用語の説明がないからね。

藤田 冒頭のわけわからん用語は全無視してましたw どうせ関係ないやと思って。そしたら、実際に本当に関係なかったw 最初の設定を把握する必要はあんまりないですよ。そこに頭使うよりも画面を味わったほうがいい。

飯田 押井守といえば小難しい理屈をこねる作家と思っている人も少なくないだろうけども、(予算があるときはとくに)画面づくり、レイアウトにこだわるビジュアリストとしての一面もあって、『ガルム』はそちらが味わえる作品。

押井さんにはずっと「すべての映画はアニメになる」という持論があった。メディア理論家のレフ・マノヴィッチが「デジタルメディアにおける映像制作はアニメーションの特殊ケースである」と述べていたのと同様のもの。押井さんが強調していたことは、アニメでは演出家がコンテに描いたもの、原画や動画のスタッフが描いたものしか画面に現れない。けれど、実写は監督が意図していないものも映り込んでしまう、と。しかし実写映画もデジタル技術が発達するとアニメのように情報がコントローラブルになる。いなかった人物を加えることもできるし、いた人間を消すこともできる。
そうするとそれってほとんどアニメと同じじゃね? と。でも結局その予言は押井守自身が全面的に実践する以前に、先にハリウッドにやられて当たり前のものになっちゃった。『アバター』とか、今のマーベル映画とかね。現代ハリウッド映画はアニメのように情報量をコントロールする方向に向かっている。
 でも、押井守自身が、ちゃんと自分でやりきった。15年ごしに、執念で。パンフレットにも書いてあったけど、幻の作品として語られつづけていたブライアン・ウィルソンの『スマイル』が完成したように。で、納得の出来だった。

藤田 『ガルム』は元々、ジェームズ・キャメロンに関わってもらう予定だったらしいですね。押井監督もインタビューで『アバター』が今あるのに『ガルム』を作る意味はなんなんだろうみたいな自問自答があったことを答えてました。でもちゃんと意味はあったと思うんですよ。

CGと実写を合成して作る意味


『ガルム・ウォーズ』は押井守の実写で最高傑作
(C)I.G Films

藤田 内容・演出面の話に入りますが……押井監督は、本作で実写とCGの合成にチャレンジしたわけですが、押井監督と言えば、人物を「マネキン」のようにする演出が特徴です。人間を、人形のように敢えて描く。『イノセンス』でのサイボーグたち、『スカイ・クロラ』での死んでも蘇るキルドレたち…… 本作も、何度も死んでは蘇るクローン人間=ガルムたちが、その生と戦いの意味を問うわけですが…… これまでは、「人間も作り物かもしれない」という虚無感の方が強かった。しかし、本作は「作り物も人間かもしれない」という「生命」の感覚の方が強くなっていた。何か、『イノセンス』以降の押井守の転回点があったように思います。
 それは実写と、実景を使っていることが重要なんだと思います。現実の揺らぎが入るというかな、クライマックスで、「生命」を見出すような一瞬があって、それがマネキン的なずっと禁欲的な映像との対比で、見事なカタルシスを出していた。これは『スカイ・クロラ』とか『アサルト・ガールズ』にはなかった。
 一番印象に残っているのは、犬が小便をするシーン。あれこそ、制御できない「生命」ですよね。押井監督における「犬」は、生きていること、身体があること、現実の空間があることへの手応えを回復させるための通路になっている。離人症的な、「現実か虚構かわからない」「人間も生命があるかわからない」リアリティの中で、何を手がかりにして生きるべきかという、ポストモダン的な世界認識への一つの回答が提示されていたように思います。

飯田 人体ですらモノあることを強調したり、ループ構造や違和感のあるレイアウトを用いて作り物であることを強調しておきつつ、現実が裂け目から覗くような要素を入れる、生が噴出する点を用意することで虚実の淡いを表現する、みたいなことはこれまでもやってきたと思うので、そういう面で今回の作品が特別なものだとは僕は思わなかった。「なんで今これなんだよ」って言うひともいる。でも別に今じゃなくてもいい(そもそも15年以上前の企画だし)。撮られたのが10年前でも10年後でもよかった。押井さんは基本的にそういう作品しかつくっていない。それがすごい。10年前に見ても10年後に見ても、傑作は傑作(駄作はいつ見ても駄作です、念のため)。『うる星やつら』も『パトレイバー』も『攻殻機動隊』も、ほとんど古びていない。なんでそれができるのかはわからない。世の中の潮流には本質的に興味がないからかもしれない。普通の意味でのおもしろいとかおもしろくないは超越している。そこを軸につくってない。だいたい学生時代にみんな押井にハマるわけだけど、今の学生でもハマるやつは一定数いる。いつの年代でも、世界のどこにいても。そういう作家。押井さん自体は変わらない。見ているこっちの時間が、いつなのかがわからなくなる。
 そこに新しさがあるかと言えばないけど、新味なんかどうでもいい、だってそういう作家だもの、ずっとそういうことを問いつづけていくひとなんだよ、と僕は思った。で、いくつかの実写作品では妥協しすぎてやりきれていなかったことが、今回は「やりきった」と言える作品になっていたことがよかった。

藤田 テーマでいえば「ガルム」という、死んでも生き返り続ける作られた人工的な生命体が、自身の存在の意義と、戦い続けなければならない理由を問う話ですよね。ぼくの用語で言えば、あれは「虚構内存在」の実存の話。作られた存在でしかキャラクターが、作中での戦いを強いられているのは何故かを、創造主と観客に問いかける。……『銀河鉄道999』にこういうエピソードがあった気がしますが。本作は、過去の押井映画と比べれば、構造的な「メタ」はない。しかし、その一点でぼくらに、フィクションと現実の関係を問いかけてきている感じです。
「いつもの押井守」だっていう意見もあるみたいですが、その辺りのテーマや、離人症的な世界観や生命観の部分はそうかもしれない。でもやっぱり、作家的な変化の部分もある。本作はあんまり哲学的な会話をしない、メタ構造がない。そして、身体・自然・宗教という、後期押井のテーマを、「映像」という、本来それを伝えるのに適していないメディアで伝えることにようやく成功した一作かなと思うんですよ。これまでの数作が、試作だったのだと振り返ってわかるような。『イノセンス』と比べると、『イノセンス』は全てが作られたもので隙がない完璧な作品ですが、そこを食い破るものが『ガルム』にはある。その先に進んでいる、と感じました。アニメ+CGの『イノセンス』と、実写+CGの『ガルム』の違いの意味も良く見えます。

飯田 それはそうだろうね。実写でやる意味があった。最近はさすがにあんまり聞かなくなったけど「実写なんかやらないでアニメ作ってよ」っていう声がずっとあったけど、『ガルム』があれば「こういうことがやりたかったのか」とわかるはず。

「いつもの押井」ではないんじゃない?


『ガルム・ウォーズ』は押井守の実写で最高傑作
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飯田 「いつもの押井」っていうのは半分賛同するけど、具体的に何をさしているのか。たとえば『アサルトガールズ』や『東京無国籍少女』は「いつもの押井」だったのか? 僕はそうは思わない。『ガルム』が過去のどの作品とどれくらい共通点があるのか考えないと意味がないと思う。けっこう作風が幅広いからね、押井さんは。『うる星やつら』や『立喰師列伝』、小説『獣たちの夜』に代表される、コミカルな面だって持っているし……。
 ただ押井さんは駄作であっても押井守以外は絶対に作らない作品を作る。そういう人が世の中にいてくれないとつまんない。今回も「退屈だ」と言うひともいるだろうけど、押井守以外は絶対に作らない、良いほうの作品だったと思う。そういう意味では「いつもの押井」ですよ。

藤田 『東京無国籍少女』は、撮影順ではこれの後なんですよね。ぼくは、いつもの押井監督とは思わなかったけど…… あんなに空中戦を躍動感あるように描いてくれたことなんてあんまりないんじゃないですかね。意外と、これまでの押井作品っぽいパーツはあるにしろ、本作は、「いつもの」感はなかったんですよ。「画面とテーマと演出の関係に拘る緊密な美意識で構成された映画」としての押井守らしさは感じましたが(しかしそれも、ない映画も多いのでw)
 ダレ場とか、退屈だとか、その退屈さを楽しんだフリをするのが通だ、っていうのは、ちょっと押井監督の映画の観方として間違っていますよね。別に退屈ではない。観方が、通常の映画とはちょっと違うツボがあるだけのことで。人間の演出を敢えてああやっているとか、全体のテーマ性を画面そのものに語らせているとか、そういう感じで見ていれば、退屈はしない。

飯田 ちゃんと劇映画、アクション映画だったからね(空中戦のこだわりにくらべて生身の戦闘の撮り方は詰めが甘かったものの……)。思弁も長くない。

なぜ凍結した企画が再開されたのか?


飯田 『ガルム』日本語吹き替え版をつくったジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏との腐れ縁はネットの記事にもなっているけど、カネを出したバンナムの鵜之澤伸さんにもいろいろ語ってほしいですね。かつての『G.R.M』を凍結した当のプロデューサーである鵜之澤さんが2011年に「機は熟した」と言って再開させた、と。普通に考えて当たるわきゃない映画を押井さんに撮らせたということは、鵜之澤さんはきっと違う仕事で儲けたか、儲ける算段があったからだろうなと。
 というのも僕、鵜之澤さんに昔『パトレイバー』について取材したことあるんですけど、「ただ『パトレイバー』は劇場版もしっかり儲けてくれたから、そのあと押井さんに実写映画を撮らせてあげたり、っていうのはありますよ」って言ってたんですよ。だからきっと『ガルム』もそうなんだと思う。
鵜之澤さんはOVAの『パトレイバー』の監督にもともとヘッドギアのメンバーじゃなかった押井守を推挙した人で、押井さんとはつき合いが長い。あの『天使のたまご』をつくって以来ほとんど干されていた押井さんにもう一回アニメの監督をやらせた重要人物。鵜之澤さんがいなかったら、その後に生まれる傑作と名高い『パト2』も『攻殻』もなかったと言っていい。お互いに文句言いながら、盟友と呼ぶほかない関係を築いてきた。
で、2011年じゃないですか。グリモバが盛り上がっていたソシャゲバブルの時期だし…………『ガルム』はひょっとしてモバマスで儲けたお金があったから作れた映画なんじゃないかと・笑(ちょうど2011年に鵜之澤さんはDeNAとバンナムがいっしょに作った会社の代表取締役になっている)。
根拠薄弱な推測なので話半分に聞いてほしいけど、ただ、どこの儲けが投入されたにせよ、いいお金の使い方をしてくれたなあと。

藤田 『アサルト・ガールズ』とか『スカイ・クロラ』を観るに、『ガルム』を完成させられなかった不完全燃焼の痕跡がすごいですからね。実際、これを2014年に撮り終わったら、『パトレイバー』実写版、『東京無国籍少女』と、結構、ノって撮っていますよね。押井守にかかっていた呪いを解くためにも、『ガルム』を完成させなければいけなかった……とすら言いたくもなってきます。そういう賭けだったのかもしれませんね。……本音を言えば、もっと予算があって、絵コンテとかからカットされたり断念したところも観たかった気がしますが、しかし、欲を出せばキリがないw
 ソシャゲーなどで儲けたお金で、文化・芸術のパトロンになってくださるのでれば、下々の者である私は文句言いませんともw

飯田 『パトレイバー』の実写版は当たる(当てる)から『ガルム』やらせろって話だったのかもしれない。

藤田 『ガルム』のためのデザインやコンテなどは、埋もれていくのはもったいないと思うんですよ。今観ても、オリジナリティのあるデザインだと思うんですよね。それが堪能できただけでも、充分元は取れた。

飯田 日本の実写映画はしょぼい、ろくなファンタジーやSFが撮れないと言われるけど、予算をどう確保するのか、どこで撮るのかというところからはじまり、ちゃんと撮ったわけだし、重要な事例になったのでは。興行的には……だろうけども。

藤田 『アヴァロン』はポーランド、『ガルム』はカナダで撮影。……すごい苦労したらいいけれども、それで成功というのは、思うところありますね。『アイアムアヒーロー』も韓国で撮ったらしいし、日本ももっと映画の撮りやすい国になってくれないと、色々と持っていかれてしまいそうですね。

飯田 じっくり何回も観たいので(そうでないと十分に語れない……)早くソフト化してください。お願いします。

藤田 一部公開されているパイロット版と比較している人がいますが、当時のCGでは、劇場の、スクリーンのサイズで観ても充分耐えうるCGにするのは、難しかったと思いますね。押井監督の求める水準のCGと実写の融合ができるまでは、時間がかかったと考えたほうがいいと思います。スクリーンで観たほうが、本作の映像はいいかもしれませんね。