卒業式の「よびかけ」の歴史ってどんなもの?

3月は卒業式シーズンである。小学校の卒業式の風物詩といえば「呼びかけ」だろう。
在校生が、卒業生に向けて「送る言葉」を発し、卒業生からの「返す言葉」もある。この呼びかけスタイルの卒業式は、全国的に行われているが、どのような歴史があるのだろうか。

有本真紀『卒業式の歴史学』(講談社)によれば、呼びかけのルーツとなる卒業式のスタイルは戦後になってはじまった。それまでの卒業式は、児童・生徒のためではなく、学校の公式行事としての性格が強い固苦しいものだった。例えば、卒業式の定番ソングである「蛍の光」や「仰げば尊し」は明治時代に作られたものである。歌詞の言葉づかいは古く、どこか説教くさい。
これらの曲は旧来の卒業式の名残を留めたものなのだ。

卒業式の感動は「演出される」


戦後にはじまった新しいスタイルの卒業式は、教育者であった斎藤喜博が1955年に群馬県ではじめたものがよく知られている。それは、従来の卒業式にあった、いかめしい進行や、敬礼をなくしリラックスした雰囲気の中で行われるものだった。

式は斎藤が作った「おめでとう、六年生」という台本をもとに進められる。そこでは、卒業生、在校生、教師、母親の参加者全員にセリフが与えられており、折々でピアノの演奏や合唱曲などのBGMも挟まれる。

著者の指摘にもあるように、教師と母親のセリフを除けば、現在の「呼びかけ」に似通っている。
斎藤による呼びかけ形式の卒業式は試行錯誤の過程で生まれたものであり、6年で取りやめとなる。だが同様の形式はのちに全国的に広がってゆく。卒業式における「呼びかけ」のルーツを斎藤にもとめることもできそうだ。

呼びかけスタイルの卒業式は短いながらも一人ひとりにセリフが割り当てられている。そのため、全員が参加者となる。マイクがないので大きな声を発することが求められるし、セリフをトチることも許されない。
さらに、テンポや間合いを調整するため何度も繰り返し練習を行う。先生から「感情を込めて言うように」と指導(演出)された記憶を持つ者も多いだろう。

本書ではドラマの「3年B組金八先生」(TBS系)シリーズなどにも言及され“卒業式と涙、卒業式歌と感動の結びつきは、こうしたフィクションによっても強化され増幅されてきた”と鋭い指摘がなされている。

卒業式の感動は意図的に作り出されるものであり、演出されるものである。参加者には役者としてそこにノレるかノレないかという選択が求められるのだ。筆者は思い切りノレなかった方である。
みなさんはどうだろうか。
(下地直輝)