90年代のプロレスどころか、長いプロレス史の中でもっともブレイクした軍団ユニットと言えば? 黒い軍団「nWo(エヌ・ダブリュ・オー)」で間違いないだろう。

現役のNBAプレイヤー、プロ野球選手、Jリーガーなど、他ジャンルも巻き込んで、一大ムーブメントに。
ロゴが入ったTシャツが街中にあふれかえるなど、凄まじい人気だった。

国際政治用語から生まれた「nWo」


90年代中期、アメリカのプロレスはWWF(現WWE)とWCWの2大団体が人気を二分していた。
しかし96年7月、WWFのトップグループにいたスコット・ホール&ケビン・ナッシュがWCWに移籍したことから勢力図に激変が起こる。よそ者であるホール&ナッシュはバリバリのヒール側。そこに絶対的正義の存在だったハルク・ホーガンが加わったのだ。

衝撃のヒールターン(悪役に転向)したホーガンは「我々の前に立ちはだかるものはすべて破壊する。これがNew World Orderだ」と宣言。
この頭文字から、ヒール軍団nWoが結成されることになった。
ニュー・ワールド・オーダーとは国際政治用語。「新世界秩序」「新しい時代の幕開け」を意味する。ホーガンは、ジョージ・ブッシュ大統領が湾岸戦争時に行ったスピーチから引用し、「世界の常識を変えて行くこと」を軍団のコンセプトにしたが、そのインテリ性やスケールのデカさも従来にはなかった斬新な切り口だった。

ちなみに、スコット・ホールのWWF時代のリングネームはレイザー・ラモン。お笑いコンビHG&RGの「レイザーラモン」は、このレスラーから取った名前である。


原点は新日本プロレスvsUインターのドーム決戦にあり


このnWoはストーリー上の設定はユニットではなく、WCWに敵対する新団体という位置付けだった。これは、95年10月に東京ドームで行われた新日本プロレスvsUWFインターナショナルの団体対抗戦が、7万人近い大観衆を集める空前絶後の大人気興行となったことをモチーフしたと言われている。原点は日本のプロレスにあったのだ。

黒をイメージカラーとしたnWoはそのスタイリッシュさも時代の流れに受けた。
メンバーは、黒いTシャツに白でロゴが刻まれたTシャツに身を包み、黒いサングラスを着用。リングコスチュームもモノトーンで統一した。「悪くてカッコイイ」が基本ラインである。

nWo入りすることでベテラン選手は再生し、前座の選手は格がアップするなど、そのブランド力は絶大。クールなヒール軍団は次々とメンバーを増員しながら、人気を集めて行く。

nWo効果! 全米のスポーツ中継で人気No,1を獲得!


当時のアメリカでは、WWFとWCWが月曜夜9時からのプライムタイムに2時間枠で、それぞれ全米に生中継されていた。
WWFの『マンデーナイト・ロウ』に対して、nWoを擁する後発のWCWは『マンデー・ナイトロ』。しかも、主力選手を引き抜きまくり。まさに仁義なき戦いである。
このnWo人気でWCWはWWFを視聴率で圧倒し続ける。
それどころか、97年には全米のスポーツ番組の中でのNo,1視聴率を16度も獲得するほどの快進撃だ。

この人気に目を付けたのが新日本プロレスの蝶野正洋。今や、年末の『笑ってはいけない24時』シリーズの制裁ビンタ役や情報番組のキャスターとして有名か。
所属していた新日本プロレスとWCWの業務提携を利用して、翌97年にnWoを日本に直輸入したのである。

「強さよりもスマートさ」蝶野の選択は正しかった!?


新日本プロレスの創始者・アントニオ猪木は常々「プロレスに市民権を」と呼びかけ、異種格闘技戦路線を推し進めるなど、対世間を強く意識した仕掛けに取り組んで来た。

蝶野もプロレスに市民権を与える方法を模索していたが、そこで手を打ったのがnWo人気に乗ることだ。
当時は、新日本プロレスの強さの象徴である長州力が引退を控えており、猪木も引退カウントダウン中。
昭和のプロレスが終わりを告げようとする中、「強さよりもスマートさ」を全面に押し出した蝶野の戦略をファンは支持した。

同じ「闘魂三銃士」の一角である武藤敬司の分身、グレート・ムタとともに本国アメリカのメインストーリーに食い込み、本場の空気感を直輸入。アメリカのトップ選手も招聘し、日米を股に掛けてワールドワイドにnWoムーブメントが展開されて行く。

NBAのスーパースター、ロッドマンの加入でさらにブレイク!


nWoムーブメントが、さらにそのステージを何段階もアップしたのは、あるスーパースターの加入が大きい。
最近では、北朝鮮訪問が大々的にニュースになった“お騒がせ男”デニス・ロッドマンである。
当時、現役のプロバスケットボール選手で「NBAの反則王」「悪童」の異名を持つ異端児。ファッション・アイコンとしても絶大な人気を誇っていたバスケ界の大ヒールだ。


ロッドマンのプロレス参戦は、日本でも朝刊スポーツ紙の一面制覇を成し遂げ、NHKのニュースでも大きく報道されている。
もちろん、アメリカでの扱いはトップニュース。しかも、ロッドマンはnWoロゴTシャツを着用したままファイトしたのだから、そのPR効果は天井知らずである。

プロ野球、Jリーグなどスポーツ界に広がるnWoの輪


これにインスパイアされたか、蝶野も他のジャンルのスポーツ選手を次々と仲間に引き入れて行く。

前年のセ・リーグ首位打者であった横浜ベイスターズの鈴木尚典、後に“ハマの番長”の異名を取る三浦大輔を始め、中日ドラゴンズの山本昌、山崎武司、ジュビロ磐田のゴン中山や浦和レッズの“野人”岡野雅行、相撲界からは千代大海など、大物がメンバーに名を連ねる。K-1のトップ選手ピーター・アーツが入場時にロゴTシャツを着ていたこともあった。

元々プロレスを取り扱う新聞は東スポや日刊スポーツぐらいだったが、この頃は他の朝刊スポーツ紙も一斉にプロレスを扱い始めていた。また、「インターネット社会の始まり」が叫ばれていた時代でもある。
プロレスに関する情報量がケタ違いになる中、他のスポーツとのコラボを始め、キャッチーなnWoの話題は常にトップの話題に。その認知度は一般層に確かに到達していた。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた「ブラックビスケッツ」が、nWoのオマージュなのは、プロレスファン的には有名な話である。

特にnWoロゴTシャツの勢いは目を見張るものがあった。1日1,000枚単位で売れ続け、97年度はTシャツだけで6億円も売り上げたと言う。
ファッション誌が軒並み取り上げるほどの注目を集め、非正規品も街にあふれかえる事態に。プロレスに興味がない層まで着用していたのだから、あらためて凄いことだったと思う。
また、97年度の日本におけるnWoの経済効果は約43億円と試算されている。

今は亡きnWoだが、ロゴTシャツ自体は復刻版が蝶野のショップ「アリストトリスト」で販売中。その魂は永遠なのである。

※文中の画像はamazonよりアリストトリスト AT×WWE nWo EX-Tシャツ(黒/白) (L)