朝日新聞批判に便乗した、卑劣な行為が相次いでいる。

 戦時中の慰安婦や原発事故に関する誤報をめぐって批判を浴びてから、朝日新聞叩きはヒートアップ。

かつて慰安婦報道に関わった元朝日記者が教壇に立つ大学に対する脅迫まで行われている。

●殺害をほのめかされた朝日新聞記者たち


 報道によれば、大阪の帝塚山学院大には、「(元記者である教授を)辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」との脅迫文と釘が送られた。それ以前にも、札幌の北星学園大に「元記者を辞めさせなければ天誅として学生を痛めつける。釘を混ぜたガスボンベを爆発させる」などの脅迫状が少なくとも2通、送り付けられていた。

 誤報やその後の対応、さらには会社の体質がさまざまな批判を受けるのは、やむをえない。

朝日新聞社は、そうした批判に耳を傾けつつ、一連の間違いや失敗の原因を検証し、報道機関としての自らのあり方を見つめ直すべきだ。

 だが、このような脅迫行為が、甘受すべき「批判」とはまったく異質な犯罪であることは、言うまでもない。そもそも、記者の誤報の問題で、学生たちを「痛い目に」遭わせようなどという発想が、甚だしく筋違いだ。天に代わって制裁を加える「天誅」などという言葉は、思い上がりも甚だしい。自らは身を隠したまま、気に入らない人を排斥しようというやり方も、いかにも卑怯だ。

 帝塚山学院大では、(大学は脅迫とは無関係としているが)当該教授は退職した。
一方、北星学園大は、学生や保護者に向けた見解をネット上に公開し、事実経過を説明したうえで、「大学の自治を侵害する卑劣な行為であり、毅然として対応する」として、警備に万全を尽くして授業は予定通り行うとしている。

 いずれも大阪府警と道警札幌厚別署が被害届を受け、威力業務妨害の疑いで捜査しているという。報道された脅迫文の内容は似通っているところもある。両警察は、情報を交換し合いながら、十分な体制で捜査を尽くしてもらいたい。

 ただ、問題はこの2件にとどまらない。朝日新聞社の記者は実名でツイッターに登録し、発信している人が少なくない。
慰安婦報道の訂正に関する池上彰氏のコラムの掲載を見合わせた件では、多くの記者が、自社の判断を批判するツイートをしていた。こうしたツイッターアカウントを集めて「朝日関係者殺害リスト」なるものを作った人物がいた。その人物のアカウントは匿名である。

 実際に殺傷行為に及ぶつもりではないだろうが、リストに加えられたある記者は、次のようなツイートをしている。

<「阪神支局襲撃事件」で、本当に記者が射殺されている朝日新聞の記者としては、世界とつながっている「公的な場」であるツイッターでの「殺害予告」のような態度表明は、決して笑って流すような問題ではありません。>


●過激な憎悪表現が溢れる“異常な日常”

 自分は匿名アカウントで、「殺害」をにおわせて相手を不安にするというのは、卑劣極まりない。
さすがに批判が出てくると、今度は、このリストは朝日新聞関係者の「自作自演」というネット情報が出回った。これも、誰が発信元かよくわからない。

 ネット上では、慰安婦報道に関わった元記者の子どもが、写真や名前、在籍校などをさらされ、「反日」のレッテルを貼られている。子どもまで攻撃の対象にするとは、卑怯の極みだ。さらには、記者のみならず、アルバイトや無関係の人に至るまで、朝日新聞の社屋に出入りする人の顔を撮影し、それをネット上にアップして、氏名住所を探るなどの嫌がらせをしようという動きもあった、と聞く。

 こうした人たちにとっては、朝日新聞の問題を指摘して反省を促し、改善させることには関心がないようだ。
朝日新聞社を叩くこと、あるいは朝日新聞を潰すことが目的となり、朝日関係者を痛めつけることが快感になっているとしか思えない。

 それにしても、「朝日叩き」で使われる言葉の荒々しさには、慄然とする。「天誅」「売国奴」「国賊」……さらには「非国民」「死ね」といった言葉も散見する。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチを行っている集団などは、張り切って「朝日叩き」を展開しているが、口汚い差別表現で「殺せ」「日本から出て行け」などと叫んでいる人びとは、こうした言葉がなんの抵抗もなく出てくるようだ。そして、それはネットを通して拡散し、一般の人たちも頻繁に目にすることになる。

 さらに残念なのは、ネットのみならず雑誌メディアまでが、平然とこうした言葉を大見出しにしていることだ。
よりインパクトのある見出しで雑誌を売りたいのはわかるが、過激さを競っているなれの果てに、こんな戦時中の用語が雑誌広告に飛び交う今の状況は異常であるし、さらに人々はしばしばこのような表現を目にすることで、異常さに慣らされていく。

 人は言葉を使って考える。こういう決めつけ言葉で、気に入らない相手にレッテルを貼り、排除したり、罵倒したりすることに慣れていけば、人々のその思考や発想も単純で荒々しいものになっていくのではないか。言葉を生業にし、多様な言論表現によって豊かな文化を築いていくべき活字メディアが、その旗振り役をしているのでは、自分のクビを絞めるようなものだと思う。このような言葉は、できるだけ慎むのが出版人の倫理であり矜持というものだろう。過激な言葉を使えば売れるという金勘定が、その矜持すら失わせているとしたら悲しすぎる。

 ただし、このような決めつけや言葉の荒れは、朝日叩きや嫌韓右派に限ったことではない。リベラル、左派の人々にも、それに近い現象がある。安倍首相に批判的な人たちのツイートから、「安倍死ね」という言葉がたくさん出てきたのに、唖然としたことがある。

 政治家の言動や政策に対する批判は、いくらでも厳しくやっていいが、生身の人間について、「死ね」だけは絶対に言ってはいけない。大人たちが、そういう言葉を平気で使うようになれば、それを子どもたちも見ているし聞いている。少なくとも20年前には、このような言葉は、普通の市民生活とはほとんど縁がなかった。

 立場や考え方を超えて、私たちは言葉の倫理を思い出さなければならない。安倍首相は、「日本を取り戻す」目標を掲げるからには、「まっとうな日本語の言語感覚」を取り戻すことにも、力を入れてもらいたい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。元厚労省局長・村木厚子さんの『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』では取材・構成を担当。クラシック音楽への造詣も深い。
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