明石家さんま大竹しのぶの長女のIMALUが、モデル、タレントとしてデビューすることが明らかになった。さんまと大竹は離婚して17年が経つが、2人について取材した経験をもつ筆者には感慨深いものがある。

 特に、大竹はおっとりした話し方のため、一見、しそうな女性に見えるが、そんなことはない。さんまの人生は、離婚後も大竹に翻弄されてきたと言っていいだろう。一言で言えば、大竹は"悪女"である。

 大竹は1982年に、TBSのドラマディレクターの故・服部晴治さんと結婚するが、これは"略奪婚"だった。当時、服部さんは女優の中村晃子と同棲。事実上、婚約までしていた。

それを知りつつも、大竹は服部さんに急接近。中村に「泥棒猫」と言われても動じなかった。

「服部さんは、かなりの遊び人で、大竹と結婚後も銀座のクラブにも彼女が何人かいたんです。ところが、胃がんになって、長期入院することになった。大竹は、ひたすら夫を看病する健気な妻を演じていましたが、一方では、服部さんに内緒で、ドラマで共演したさんまとデートを繰り返したいんです」(元TBS関係者)

 服部さんは、胃がんで87年に他界するが、大竹は夫が亡くなる前から、さんまと不倫関係にあったのだ。

 翌年に、さんまと再婚。

ショックを受けたのは、大竹の"芸能界育ての親"と言われていた所属事務所のS社長だった。

「結婚と同時に、大竹はさんまの個人事務所に移籍してしまったんです。それまでさまざまなタレントを手がけていたんですが、裏切られたショックで、芸能マネジメントから手を引いてしまったんです」(事情を知る知人のマネジャー)

 さんまは大竹と結婚したものの、"主夫業"もやらされたことで疲弊していった。大竹は大竹で、舞台『真夏の夜の夢』の演出を務めた野田秀樹と不倫。さんまは「真夏の夜の悪夢だ」と言って、92年に離婚した。その後、大竹は野田と5年間も同棲生活を送った後に破局している。

 筆者は、大竹と結婚する前にさんまに取材したことがある。彼は、幼い頃に母親を亡くし、弟も火事で亡くしているためか、家族というものへの強い思いを語ったことを記憶している。離婚後、さんまは、大竹と前夫・服部氏との間にできた二千翔ちゃん、それに2人の間に生まれたいまるちゃんと、どんなに忙しくても、毎月会っていた。自宅近くの駒沢公園で、親子3人が仲良く遊んでいる姿がたびたび目撃された。2人が大きくなるにつれ、親しいキムタクとファミレスで食事したりする光景も報じられた。さんまが再婚しないのは、IMALUへの配慮かもしれない。

それと、大竹という"悪女"との結婚がトラウマになっているのかも。

 いずれにしても、娘が芸能界に旅立った。業界の厳しさを知るさんまだけに、複雑な心境だろう。
(文=本多


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