吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]

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前回の記事で所ジョージさんについて書いたが、反響が大きかったので今回は明石家さんまさんについて書いてみたいと思う。

実は明石家さんまさんについて書くことは筆者にとってかなり「ご法度」に近い。
その理由をご説明する。昨年、新潮社の「タモリ論」と言う本が国民的大ベストセラーになったとき、筆者は某大手出版社から「明石家さんま論」を  書いてほしいと依頼された。

本来、その出版社からは「テレビの作り方論」を執筆依頼される予定だったが、異例の「タモリ論」の爆発的ヒットを目の当たりにして、明石家さんまと公私ともども最も密接な関係があると思われる何人かの一人  である筆者に白羽の矢が立ったのだ。編集者の方針変更だ。

筆者は自分の「お願いされるとつい応えたくなる自分の軽率な性格」を後に恨んだ。「明石家さんま」について書いた本は日本で何冊かは存在するが中途半端なライターが調べもせず書き散らしたイイカゲンな本ばかり。


「本人」という雑誌の特別インタビューで  演劇畑の松尾スズキが「明石家さんま」にアタックしているが、おそらくこれが今まで日本で「明石家さんま」に最も肉薄した文章だった。ただこの特別インタビューも筆者には「ちょっと何かが違う」と思えてしまうのだった。「明石家さんまの実像」に迫れていないと思ってしまう。

あの「いいとも」の淡々としたタモリさんを新潮社の「タモリ論」はあれだけの切り口で読みモノにしている。あの千変万化の明石家さんまならこれまでにない最高の芸人論・タレント論・人物論が書けるだろうと出版社は想像したらしい。10日間ぐらい朝から晩まで「明石家さんま論」の切り口を考えた。
一週間目くらいに少し目途がついた。

10項目を並べ所属事務所に許可を取る。比較的短期間で明石家さんまさんへの接触許可が下りた。さんまさんに最終許可を得なければならない。筆者は今まで信じられない無茶なお願いを散々さんまさんにしてきた。これには日本で数人しか本人にお願い出来ない種類の依頼も含まれる。


筆者は今回のオファーも不可能ではないだろうと踏んでいた。筆者は滅多に出入りしない世田谷にあるさんまさんの収録番組スタジオに顔を出す。

 さんま「どうしたんや~。珍しいなー。吉川くん。」
 吉川「ちょっとお願い事がありまして。」
 さんま「お願い? 何?」

ちょっとためらったのち、無謀な私はズバッと言った。

 吉川「私、さんまさんについての本を書かせて頂きたいと思いまして。」

間・・・今まで体験したことのない種類の空気だった。
時空が歪んだ様な。筆者はやってはいけないことをしてしまったのか?  0.5秒? 0.3秒? もの凄く短い間だったが、この間を一生忘れることが出来ないだろう。

さんまさんがやがて答える。表情はいつものように穏やかだった。

 さんま「オイラの名前が題名に無かったらエエわ。」

ヤバい。いちばんヤバいパターンだ。
さんまさんは思いっきり繊細に優しく断っているのだ。しかも断固たる意志を持って。長年の経験で即座に反応した。

 吉川「すいません。書きません。」

静かに煙草を燻らせながらさんまさんはつぶやく。

 さんま「活字はイメージ決めてしまうからな。」

筆者はお話を聞いてくれたことに丁寧に礼を申し上げその場を去った。
さんまさんとは公私共々のお付き合いなのだが、仕事のことではズバッと来るところはズバッとくる。

最近、筆者はこうした地雷を踏んでいなかったので今回は完全に油断していた。筆者の完敗・計算不足であった。奢りもあっただろう。そしてさんまさんのテレビに対する考え方を完全に見誤っていた。

先ほどまで筆者の目の前にいた人間は日本のテレビに決定的革命を与えた一人でありテレビを知り尽くした男であった。テレビが一番面白くなるのは全く予測出来ないことが起こったときである。あらかじめイメージを与えてしまうとその予測不可能性が台無しになる。

「活字」という鎖(クサリ)で自分は縛られたくない・・・大御所と呼ばれ60歳に近いタレントはいまだに必死に生き残りをかけて  繊細かつ大胆にテレビに取り組んでいたのだ。

インターネットの検索サイト等でニュースを短い一行で表現しているものがある。後に何事にも滅多に苦言を呈すことがほとんどないさんまさんがフト言ったことがある。

 「ああいうん。イメージ壊してしまうよな。微妙なニュアンスとかな。」

そう、明石家さんまは何とも一行で表現出来ない様な微妙なニュアンスや空気感を大事にする。「好きなような、好きでもないような。」とか  「バカであるような、アホであるような」とか  度胸が据わっていて精神的には非常にタフな明石家さんまさんであるが、かなり繊細な感性も同居する。

カミソリの様な鋭利な部分も持つが、包み込むような優しさを示すこともある。  頭の回転が素晴らしく良いが、信じられない愚行を犯してしまうこともある。

曰く「明石家さんまは一言では表現できない。」  そんな人の本を出そうなんて、20年以上ともに仕事をしてきた筆者は全く間抜けであった。 ただ、このサイト(メディアゴン)で折に触れてこの類まれなる天才について全く触れないというわけにいかないだろう。

しかし、それは明石家さんまというテレビ怪物の一端であり、一面であることをあらかじめ断っておかなければならない。  そして筆者の予測だが「明石家さんま」が認めた「さんま論」は今後一切出版されることはないであろう。 よほどさんまさんの信頼する書き手が現れない限りにおいて。

ひょっとして以上の文章、ネットニュース文化・活字文化・テレビ文化の本質を突く鋭い指摘になっていませんか?  さすが「メディアゴン」の力なのか?

[メデイアゴン主筆・高橋のコメント]これは、明石家さんまさんを少し知っている私から見ると「明石家さんまさんへの熱烈なラブレター」だと思います。

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