ジャニーズ事務所のメンバーは、入所が早い者=先輩とは限らない。来年が歌手デビュー25周年の節目にあたるSMAPが大御所であるのは、いわずもがな。

しかし、芸能生活でいえば、今年が20年のメモリアルにあたるV6長野博のほうが上。驚くのは、すでに解散して伝説化している光GENJI佐藤アツヒロより、長野のほうが先輩にあたるという点だ。ひも解けば、このSMAPと同世代にあたるV6とTOKIOは、不思議な縁で結ばれている。

 たとえば、オーディション。TOKIO・山口達也が受験したその日のスタジオには、V6・井ノ原快彦もいた。さらに、TOKIO・国分太一が受けた日は、V6・坂本昌行と一緒だ。


 この坂本は、入所、退所、再入所、付き人という変遷をみずから選んで、念願かなってV6のメンバーに選抜されたのは、初入所から7年10か月後。24歳でのデビューは95年当時の最長だった(11年にKis-My-Ft2北山宏光が25歳で更新)。

 それだけの苦労を重ねただけあって、V6に漂着するまでには、TOKIO、そしてSMAPのメンバー候補に挙がっていた。本人は、TOKIOからのデビューを信じて疑わなかった。

 そんなTOKIOも、地味ながら歴史がある。ルーツは、TOKIO・城島茂、山口、元平家派の朝倉健仁が結成した「JURIA」。
その後、朝倉が抜けて、「城島茂バンド」になり、のちに「TOKIO BAND」に改名。このとき、国分、TOKIO・松岡昌宏、引退した小島啓が加入したが、初期メンバーの山口は外された。この判断を不服としたのは、城島。なんとジャニー喜多川社長に直談判して、山口をメンバーに加え、TOKIOが誕生した。

 人に歴史ありとは、このことか…。