凍結した路面。
タイヤと路面の摩擦力が失われ、コントロールが効かなくなる。
クルマが横滑りする。スピンする!
こういった現象をスキッドという。
当然、事故につながる危険な現象だ。

1992年、ノルウェーの一部地域で、トラックドライバーがスキッド訓練を受けることが法的義務となった。

この法改正によって、事故は減っただろうか?
減らなかった。
それどころか事故リスクが増大した。

なぜだろう?


『事故がなくならない理由』(芳賀繁/PHP新書)は、安全対策が裏目に出て、危険を増やしてしまうケースと、その理屈を詳しく解説した本だ。

スキッド訓練を法的義務にしたのにもかかわらず事故が増えたのは何故なのか。
“教習を受けたドライバーの技能が向上した以上に、凍結道路での運転に自信を持ってしまったのだろう”。
そうなのだ。
スキッド訓練を受けなければ、速度を落として走っていた人が、訓練を受けたから大丈夫と、速度を落とさずに走ってしまう。
そうなっちゃうと、事故は減らない。


いくら、リスクを減らすための対策や訓練を講じても、肝心の人間が、リスクを増やす方向に行動を変化させてしまうのだ。こういった現象を「リスク補償」と呼ぶそうだ。

「リスク補償」の例は、他にもでてくる。

たとえば、遭難するリスクについて。
遭難したときに居場所を知らせる無線標識ビーコンというものがある。
だが、ビーコンが普及することによって、登山家は、いままで危険でだれも近づかなかったような場所に行ってしまう。

“救助隊員たちは、遭難事故が減らないばかりか、救助活動が困難で二次遭難の危険が高い場所に行かなければならないケースが増えて困っているという”。

たとえば、たばこの肺癌リスクについて。
低タールたばこに切り替えれば安心か?
そんなことはない。
“ニコチンの吸入量を確保するため、無意識に深く吸い込んだり、短い時間感覚で吸飲したり、煙を肺に長くとどめたり”してしまい、結果として、肺癌のリスクを高めてしまう。

高い堤防と津波の被害について。
立派な防波堤があると、ここまで津波が来ないだろうと思って逃げなくなってしまったり、防潮堤ができてから避難訓練の参加率が著しく低下したりする例がある。


じゃあ、安全対策訓練や技術は無駄なのだろうか。
本書が主張しているのは、そのようなことではない。
後半では、リスク認知とリスク判断、リスク・コミュニケーションの知見が数多く紹介される。
「安全対策訓練や技術は、人間の行動に変化をもたらす」ということを前提にして、安全装置を安全装置として使ってもらうために“安全への動機付けを高める教育や働きかけ、装置のユーザー・インターフェースの工夫などが不可欠である”。

技術や訓練だけでは事故は減らない。
人の心や行動の変化を考えて仕組みを変えていく必要がある、というのが本書の主張だ。


さらには、もっと長期的な展望で考えることも必要だろう。
印象に残った提案を引用する。
“「一台の車とそれを操縦する一人のドライバー」という枠内で安全を図ることの限界に気づき、広く交通環境の中での機械・設備・人間(複数の交通参加者)・組織の相互作用の視点で安全性向上を目指す視点が必要である。”(米光一成)