『マンガの食卓』なんてガイド本が出版される昨今、世は食マンガ百花繚乱といった感がある。そんな中、「どう食べるか」に軸足を置き、人気を集めているのがおおひなたごうの『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』だ。
先だって最新刊(3巻)が発売され、4日間限定でアニメ版の放送も始まっている(2014年8月4〜7日/深夜0:10〜35/NHK総合)。

本作の主人公は、田宮丸二郎。仕事はゆるキャラのアクター(着ぐるみの中の人)である。マジメで誠実な人間だが、この男、たいへん面倒くさいヤツなのだ。

第1話は、恋人のみふゆと初めての迎えた朝から始まる(アニメ版も同様)。朝といえば、まずは朝食である。
半熟の目玉焼き(付け合わせはソーセージとほうれん草)、味噌汁、ご飯を並べるみふゆ。二郎も満足そうである。が、そこにおびただしい数の調味料をドカっと並べられ、ぎょっとする。これは目玉焼きにかける調味料の好みが千差万別なことを汲んでの、みふゆなりの気遣いであった。しかし、そこに男性遍歴を邪推してしまうのは悲しい男の性か(調味料の数だけ男あり?)。

ひとまず、共に醤油派であることを確認し合ったのち、二郎は目玉焼きの黄身をつぶす。
そして、そこに付け合わせのほうれん草と切り取った白身を絡め、口に運ぶ。シンプルながら奥深い味わいに恍惚、白飯もすすむ。しかし、みふゆの皿に、目玉焼きの黄身部分「のみ」が残されているのに気付き、再びぎょっとする。そして、みふゆはそれを一口で食べてしまう。

なぜ黄身だけで食べるのか? 白身やつけ合わせを黄身に絡めて食べた時の旨さを知らないのか? 訝る二郎にみふゆは言う。

「黄身つぶしちゃうと お皿汚れるでしょ?」

これを聞いた二郎は、思わず口走る。


「おまえ…バカか?」

ページをめくると、みふゆが去った部屋に、1人佇む二郎の姿が……。

自分が当たり前だと思っている食べ方が、じつは数ある食べ方の1つでしかなく、それが絶対的なスタンダードではないという事実に直面し、混乱する主人公ーーこれが、各話の基本的な導入部である。

そして、そんな迷える二郎を導く導師的存在が、近藤雄三だ。長めのアフロヘアにティアドロップ型サングラスというルックスがインパクト大の、ゆるキャラ・イベント・チームのリーダーだ。この回では、2人は目玉焼き定食を食べに大衆食堂に赴く。そこで二郎が目にしたのは、みふゆ同様に目玉焼きの黄身だけを皿に残す近藤の姿だった。
彼は、その黄身を丼の白飯に載せ、しょうゆと共にグチャグチャにかき混ぜ、一気にかっこむ。

近藤は、この食べ方だとわざわざ白飯を残しておかなければならず、ある意味ストイックで不自由な食べ方であることを認める。しかし、黄身と白飯をグチャグチャに混ぜることで、その「溜め」のストレスを一気に解放させるーーその快感には抗えないのだという。口のまわりにご飯粒を付けながら、満足そうに語るその表情を見ていると、二郎だけでなく、読んでいるこっちまで説得されてしまいそうだ(筆者も、二郎と同じく最初に黄身をつぶす派だが、これを読むと、素直に「旨そう!」と思ってしまうのだった)。

正しいと思っていた自分の食べ方に疑問を持つようになってしまった…

以降、食べ物を「どう食べるか」という問いは、二郎を悩ませ続け、しまいには仕事に支障をきたすに至る。いくらなんでも悩み過ぎである。


とんかつにおけるキャベツは、いつ食べるべきか? カツとキャベツが口中で渾然となっているところにご飯をぶち込む、という食べ方を至上とする二郎は、「キャベツで脂っこい口の中を中和させる」という、みふゆの考え方が理解できない。「中和させるくらいなら始めから食うなあ」とブチキレる(第1話「とんかつのキャベツ いつ食べる?」)。

皿にライスとカレーが半分ずつ盛られた、いわゆる「半がけカレー」の食べ方に悩む二郎。ライスとルーの境目から切り崩していくと、それぞれの距離がどんどん遠くなっていってしまう(モーゼの海割れ状態)。職場の後輩は「ならば、全がけにしてしまえばいいのでは?」と提案するも、店で食べるカレーはたいてい半がけだ……(第3話「カレーのルー どうかける?」)。

みかんの皮をうまく剥けない二郎は、きれいに剥くみふゆに「今まで俺の剥き方を見て笑ってたんだろう?」と被害妄想を爆発させる。
みんながどんな皮の剥き方をするのかが気になった二郎は、職場にみかんの差し入れをする。そして、がさつな後輩までもがきれいに皮を剥くのに愕然。さらには、近藤の「皮ごと半分に割る」という驚きの剥き方を見せられて……(第5話「みかんの皮 どうやって剥く?」)。

以上は、第1巻から抜粋したエピソードだ。食べ物のことで、しかも旨い/不味いというような「味」に関わることでもなく、その「食べ方」に悩む主人公。さらに、自分が理解できない食べ方を目の当たりにすると、すぐにキレる。これはウザい。しかし、そんな姿に呆れながらも、自分の食べ方に執着する二郎に、ちょっとだけ共感してしまう……のは、私だけだろうか。

みな、それぞれ、自分の食べ方というものがある。それは親から教わったものかもしれないし、レストランで他人の食べる姿を見て「そういうもの」としてインプットされたものかもしれない。あるいは、食べているうちに自然と染み付いていった「習慣」かもしれない。そして、一度そうと思い込んだ食べ方を改めることは、なかなか難しい。しかも、そこに自分なりの“こだわり”があった場合などは尚更だ。

自分の食べたいように食べればいいじゃないか。

このマンガが教えてくれるのは、そんなごく当たり前のことだ。人の数だけ、食べ方もある。そして、それぞれの食べ方には、それぞれの理由がある。自分と違うからといって、理解できないからといって、否定してどうなる?

『目玉焼きの黄身 いつつぶす?』は、主人公の「多様性への理解」への道のりを描いたマンガだ。あるいは、成長物語とも言えるかもしれない。アニメ版は、第2巻収録の「ショートケーキの苺 いつ食べる?」で幕となる予定だ。ショートケーキの食べ方と恋愛を絡めたこのエピソードのハイライトで、みふゆがショートケーキの苺を最後まで取っておく理由が語られる。それを聞いた二郎は「そういう理由も あるのか」と笑って理解を示す。この短い言葉には、それまで「自分とは異なる考え」にいちいち激昂していた男が大きく「変わった」瞬間が内包されており、強く胸を打つ。ギャグマンガだと思って油断していたら、不覚にも目頭が熱くなってしまった。

こういったタイプのマンガは、俎上に載せる食べ物を変えながら延々と続くことも考えられる。しかし、本作に関しては、今のところ、そうしたルーティーンに陥りそうな気配はまったくない。現に、先日発売されたばかりの第3巻を読む限り、2巻までにはなかったビターな展開なども用意されており、一筋縄ではいかない。

アニメ版が気に入った方は、ぜひ原作も読んでみてほしい。そして、「オレだったら、こう食べるね!」と心の中で一席ぶってみるのも一興である。

(辻本力)