
楽しそうだなぁ。
私が漫画アシスタントで働いてる職場でも話題に上がります。



楽しそうだなぁ…
私のゴジラ知識は風の噂で聞きかじった程度のものしかないので、まとめると

などともーワケがわかりません。ほんとに同じやつの情報なんでしょうか。
わからなすぎるのでとりあえず初代のゴジラを観てみる事にしました。
パニック映画なだけじゃなかった

物語冒頭、まだゴジラが海から襲ってくるだけで姿が見えない状態はなんだかホラーっぽいです。
海の生物を食い尽くして陸に上がってくるゴジラが、生贄の若ぇ娘っ子だけでおなかいっぱいになるとは思えないので
問題と解決策の結びつかない感じがとてもオカルト。民話系ホラーです。

ゴジラが姿を現すとオカルト話から一転、動物学者の博士が科学的な説明をしてくれます。
ウソでも科学的な理屈が物語上でなされていると、今度はSFっぽい。

あっ社会派ドラマだ。水爆批判と政治批判が入ってきた。
最初から恐怖を認識しているのが個人じゃなく群衆なので、分類としてはもちろんパニック映画なんですけど
その一言じゃ説明が足りないな、ってくらい色々詰まってました。
対策側の人間は「ゴジラを殺そう」とするけど、発見者の山根博士は「ゴジラを殺してほしくない」と考えていて
そっちに賛同する人がいるのもおもしろい。
どうにか安全を確保してゴジラを観察できる方法を模索する時間があったなら、私もそっちを支持したいです。わかるよ博士!
戦後10年経ってない感がすごい
初代ゴジラが公開されたのは1954年。終戦を1945年とすると9年後。
水爆実験や放射能を題材に取ってるところからもその空気は受け取れるんですけど、
民衆のセリフや行動からちらちら感じる「戦争慣れ」感が面白いです。

「また疎開かー」って。そんな感じだったのか当時の若者。
ゴジラに対する大規模な作戦の決定も早いし、民衆の避難が迅速。

さすが戦争を越えてきた人たち、避難のプロです。現代の民衆ならもっとぐずぐずしちゃいそう。
この時東京から遠く離れた日本の地域ではゴジラをどう客観視してたのかとかもちょっと見てみたくなりました。
芹沢博士から当時の萌えがうかがえる

物語のキーマンである芹沢博士は、当時の自己犠牲的なヒーロー像なのか
萌えのデパート状態です。
彼の開発したオキシジェンデストロイヤーが水中の酸素を取り出すとなぜ生物が液化するのか、その上でなぜ骨は残るのか。
そんな事はどうでもいい。どうでもいいのです。
ゴジラは一匹じゃない
ラストで山根博士が「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」と、別のゴジラが現れる可能性を述べてくれます。
このセリフは水爆反対のメッセージであり、続編への伏線であり、私の疑問への答えにもなってくれました。
なぜ風の噂で聞きかじったゴジラの目撃証言はあんなにも多岐にわたるのか。

こんな感じで細かい種類がいっぱいいるって事だったんですね。
なるほどー!ありがとう山根博士!
(イラストと文/たきりょうこ)