舞台は、龍の国。龍は、隣国・セルペナーダとの戦争に介入して、国民の生活を守る。歯医者たちは、虫歯菌から龍を守るため、毎日、口内を掃除している。
主人公である新米歯医者の野ノ子(CV:清水富美加)は、ある日、龍の歯の上で気絶した敵国の少年兵・ベルを助け出す。一度死んだ人間が、巨大な歯の中から生き返る「黄泉帰り」は、大きな災いが起こる予兆であると言われている。しかし、そんなことは気にしない野ノ子は、ベル(CV:岡本信彦)を後輩歯医者として鍛え上げていく。

原作となる舞城王太郎の同名小説は、まだ書籍化されていない。
運動神経が悪いと務まらなさそうな龍の歯医者
歯の掃除中、突如として龍の歯から天狗虫が現れた。人に害を与えない普通の虫歯菌と違って、人を喰らう虫。龍の歯医者の古株・悟堂(CV:山寺宏一)によると、12年前に出現したときには、ほとんどの龍の歯医者が食われてしまったらしい(天狗虫事件)。力を合わせて、退治しようと奮闘する歯医者たち。手持ちの歯磨き道具は赤く光ったあと、鞭や双斧、槍状など、それぞれの戦いやすい形に変化する。
歯の中を自在に出入りし、歯医者以上のトリッキーな動きを繰り返す天狗虫。致命傷を与えることができず、結局、修三(CV:徳本恭敏)の犠牲によって死に追い込んだ。
同僚の殉職には涙を流さない
「本日申の刻、佐藤修三くんが歯医者としての責務を全うされ、キタルキワを迎えられたことを祝って献杯!」
故人を悼んで、杯を捧げるときに使われる言葉、献杯。しかし、人が死んだのにお祝いって…。修三を弔うシーンでは、特に涙を流すわけでもなく、ベル以外の歯医者たちは、神妙な面持ち。彼等はみんな自らのキタルキワ、すなわち死ぬ時を知っている。だから、彼らは同僚が死んでも「ああ、もうあの人と話せないのか…」くらいにしか思わない。ちなみに野ノ子の場合は、草むらで小さい龍と一緒に敵兵によって殺される運命。
「なんでもっと生きようとしないの? 死ぬことが分かっててそれを避けようとしないのは自殺と同じじゃないか!」
ベルは、彼等があんまりショックを受けていないことに対して食ってかかる。
そりゃあずっと美味しいご飯を食べていたいけどさ、そうもいかないよ
でも、そのときが来るまで毎日仕事をして毎日おいしいご飯を食べるんだ
生きるって、長生きすることが目的なの?
野ノ子は、そんなベルの問いかけに対して、さらに問いかけを返す。「死ぬ時がきたら、それはそれでしょうがない」という考えだ。
だからといって、毎日ボケっと過ごしているわけではない。彼等はキタルキワがやってくる時まで、精いっぱい生きている。
山本常朝の武士としての心得がまとめられた『葉隠』にある一節「武士道とは死ぬことと見つけたり」という信念を思い出す。いつ死んでも後悔しないように今を全力で生きようという意味だ。龍の歯医者たちの心構えは、武士たちと通じるものがある。
先輩歯医者・柴名の裏切りで前半終了
ただ死ぬ日を待つしかない人生に、意味があるの?
私が噛み締めていたのは、この歯医者の理不尽な生き方そのものよ!
もう龍の運命には縛られない!
私は私の戦争を始めるの!
終盤では、野ノ子の先輩女子・柴名が、12年間、歯の中で飼い続けていた天狗虫と同化して、龍の歯を引っこ抜いてしまった。彼女は恋い慕っていた先輩・竹本を天狗虫事件で失っている。
この騒動に巻き込まれ、龍の歯と一緒に地上に落ちていく野ノ子とベル。そして、龍の歯を手に入れようと、落下地点に敵軍が駆け付けようとしているところで前編が終了する。
柴名は何と戦おうとしているのか?
柴名の言った「私の戦争」とは、自分の運命に逆らうことだろう。龍の歯医者は、試験の際、自分のキタルキワを見せられて受け入れたものだけがなれる職業。試験中に運命に抗った人はみんな死んでいった。
後編の「殺戮虫編」は運命についての対立がどう決着するのか。人は運命を受け入れて生きていくべきなのか、運命に抗って生きるべきなのか。
前編では、サラッと歯医者たちの白黒集合写真が映されていた。12年前の天狗虫事件同様にたくさんの歯医者が死んでしまわないか、心配である。
(山川悠)