たまごまごさんの熱いレビュー(暗い曲ばっかりだし、地獄の唄を歌うし最高だよ。人間椅子ライブツアーレポ)にもあるとおり人気再燃中のロックバンド、人間椅子が今年の一月、渋谷公会堂を初めて満席にした。

デビュー二十五周年目でだ。武道館でなく、渋公だ。

1989〜90年の深夜番組「イカすバンド天国」、通称「イカ天」は当時の社会現象となり、出演した多数のバンドがメジャーデビューした。人間椅子もそのうちの一バンドだった。

ギター/ボーカルの和嶋慎治は、最近の再ブレイクを受けてのインタビューで「イカ天でデビューできたことはラッキーでした」と繰り返している。一般受けしないハードロックが、人気のテレビ出演で注目を集めることができた、と。

たしかに、レコード会社との契約など有利に働いたこともあるだろう。

でも、本当にそれは「ラッキー」だったのだろうか。

出演時の、ネズミ男の扮装(ベースの鈴木研一氏による)ばかりが取りざたされ、色物扱いを受けた感は否めない(テレビは物事を単純化し、かつ誇張するメディアだから、仕方なかったかもしれないが)。
そして番組が終わるとイカ天ブームは急激に終息に向かい、ただブームが終わったのみならず、多くのバンドたちが梯子をはずされたような感じだった。

「(前略)おどろおどろしたパブリックイメージと裏腹に実は音もノリも軽めだ(録音のせい?)。拍子抜けだぜ。
もっと情念とか猟奇とかが蠢くヘヴィロックだと思ってたのに。こんなものかな」


これは91年のCDジャーナルに載った、人間椅子の2ndアルバムへのレビュー(amazonの「商品情報」として今もネットに掲載されている)だが、なんだかひどくないか。
このライターの口調自体にまだバブル期の軽い気配も漂うが、否定的な評はかまわないにせよ「こんなものかな」の冷笑ぶりに当時驚いた。
イカ天で最初に人気を博したフライングキッズに対してもひどいレビューをあちこちで読んだ記憶がある。「イカ天の人たちはそこまで貶めても構わない」というレビュアーの強気を、なぜか感じた。

ASKA(チャゲ&飛鳥の)は九十年代人気絶頂のころのインタビューで、こんなふうに語っていた。

「(海外での長期レコーディングを終えて)日本に帰ってきたら、たまがチャート一位だったのには驚いたけど(笑)」
たまもイカ天出身だ。「さよなら人類」でチャート一位を獲得し、紅白歌合戦にも出場した。「さよなら人類」は虚心に聞いても、チャート一位になっていっこうかまわない名曲なのだが、半笑いに語られてしまった。
クイズ番組に出演していたカブキロックスの氏神一番はキャラクターのコンセプトにあわせて「元禄時代には云々……」としゃべってる途中でビートたけしに「うるさいよ」と一喝されていた(……これはちょっと、たけしの気持ちも分かるが)。
過剰にいい思いをしたに違いないと推察される相手への侮りが、急速に蔓延した、ように思えた。

ユニコーンで87年にデビューした奥田民生はインタビューでこう語っている(ロッキング・オン・ジャパン92年8月号)。

「あの頃イカ天のやつらが叩かれてたやん? で、(筆者註・ユニコーンは)同じような扱いを受けたけどちょっと違っとったやん?−−あれがよかったんだ(笑)。だからイカ天をありがとうと思ったんだ俺は(笑)。(中略)やっぱそういう「シーンがおかしい」とかいうことを言われてて。でも、ちょっと俺らは矛先が違ってたからよかったんだなあ(笑)」

聴き手側の筆者が感じていた「風当たり」を、現場のミュージシャン側でも感じ取っていたのだ。
それにしても、これはどうだ。民生の言葉は和嶋の先の言葉の、真逆だ。
むしろイカ天に出なくて「ありがとう(=ラッキーだった)」と、はっきり言っているではないか。

そして「あの頃」というが、これ語ってるの92年だ。まだ「イカ天」が終わって二年でこの言葉。シーン全体がそうとうボロカスな言われようになっていたことが伝わると思う。

実際ユニコーンを始め「イカ天」放送の直前直後に世に出てきて今なお活躍できている「いっけん、個性的」な見せ方で出てきたグループでも、真心ブラザーズ、電気グルーヴ、スチャダラパーら、いずれもイカ天に出演していない。
他方、たまも解散し、他さまざまなイカ天バンドがいなくなった。
いくつか再結成したり活動しているものの、イカ天のことは触れないでくれ、というムードのミュージシャンが多い(リトルクリーチャーズもジッタリンジンもBEGINも公式サイトの「プロフィール」にイカ天のことを書いていない!)。

純「イカ天バンド」あがりでかつ、継続して休まず活動し(アルバムを出し続け)た人間椅子は、だから人気再燃でもいまだにイカ天のことをインタビューの枕に聞かれてしまうわけだが、そのこと自体が勲章だ。だって、ほかもう、イカ天バンドは「いない」。

そこで「ラッキーでした」と繰り返す和嶋の回答には迫力を感じる。この世の、他の誰一人、そんな言葉を言わないし、言えない。謙虚なだけではない、色眼鏡でみられ、叩かれた過去もなかったことにせず、そんなことは「音楽が好き」という気持ちの前ではなんでもないことだったという、挟持と自信があふれているのだ。本当に、しみじみかっこいい。

作品とライブだけで評価を築きあげた人間椅子の足跡は、とりわけ貴重である。
今夜、彼らのその渋谷公会堂公演がテレビ放映される(BSフジで25時から)。
イカ天出演時にはその姿ばかりが有名になってしまい、封印した「ネズミ男」の格好をこのライブで久々に解禁したのも、むしろ今の彼らの自信のあらわれだ。ぜんっぜん売れてなかった時代の和嶋の「ウンモ星人」の扮装とあわせ、目に焼き付けたい。作詞家の只野菜摘をして「オセロゲームの四隅をびしっとキープできているみたいな」盤石の演奏と賞賛せしめた、卓越したハードロックに酔いしれよう。
そして、ライブMCで和嶋の語った「三十年目の武道館」へと思いを馳せたい。
ブルボン小林・コラムニスト)