■前編はこちら。

●芸能界を愛するがゆえ黒い交際をする人間は許せない

――周防社長は、そんな本多さんを懐柔しようとは思わなかったんですかね?

本 してきたよ。

俺の攻撃に音を上げたのか、20年ほど前、知人を通じて、和解工作が何回かあった。その結果、周防と食事をする機会があり、しばらくは良好な関係が続いたけど、細川たかしの新宿コマ劇場の公演に連れていかれ、楽屋を訪ねた際、そこで周防が細川に「野田の親分に挨拶に行ったか?」と質問したのを耳にしたんだ。「野田の親分」とは、広域暴力団組長のこと。暴力団との交際をまざまざと見せつけられて、やっぱり周防とは付き合うべきじゃないと思ったね。結局、周防とは半年ほどで決別するんだけど、そのきっかけは、周防からいきなり「明日、200万円振り込むから口座を教えてくれ」と言われたことだった。「もらう筋合いがない」と断ったら、周防とはそれっきりになった。

――その後、周防社長との関係はどうなったんですか?

本 俺自身は、周防の批判を強めていったよ。すると、自宅に匿名の電話がかかってきた。妻が出たんだが、「周防の同級生だ。今は暴対法がうるさくて、組の名前は名乗れないけど、『周防とうまくやれ』って、亭主に言っとけ」という、明らかに脅しと取れる内容だったんだ。一般人である妻に対しての威圧行為は許せなかったね。その後、電話の主を突き止めたが、同級生ではなく、周防に群がる暴力団のひとりだった。

それでも、バーニング絡みのスキャンダルは書き続けた。するとそこからは、名誉毀損で告訴するようになってきたんだ。

――周防社長は、暴力団との関係を書かれることを一番嫌うんでしょうか?

本 嫌だろうけど、俺の記憶だと、具体的に暴力団に関する記述が事実無根だなどと言ってきたことは、ほとんどないと思う。基本的には、記事全体が名誉毀損に当たるというような主張だったんじゃないかな。鹿砦社から出した『ジャニーズ帝国崩壊』も訴えられたんだけど、その中に、五代目山口組の宅見勝頭(故人)が上京するとき、周防が六本木の全日空ホテルで頻繁に会っていたという目撃情報を記載したんだ。だけど、その部分は争われなかった。

――本多さんから見て、周防社長のパワーは増大する一方でしたか?

本 01年に起きた事務所への銃撃事件を受けて、一時はビビって会社に来なくなったといわれているよね。その前後に、周防は沖縄のゴルフ場を買収して実質的なオーナーに納まるや、ゴルフにはまり、"ドン"としての求心力を徐々に失いかけていったといわれた。

 でも、俺から見たら、パワーダウンしたという様子は見受けられなかったね。というのも、周防はその頃には政財界とのパイプも直実に太くしていっていたからね。特に亡くなった大手製紙会社の元会長に可愛がられ、有力政治家とつながり、元NHK会長の海老沢勝二と蜜月関係になり、司法関係の人脈まで築いていった。女性スキャンダルで失脚した元東京高検検事の則定衛が最高顧問を務めていた「日本リスクコントロール社」という会社も周防の息がかかっていると言われている。

 業界関係者の間では、ケイダッシュの川村龍夫会長が台頭してきたことから、ここ数年は「周防の力は落ちた」「周防の時代は終わった」という情報が飛び交っていたけど、とんでもない。

 一昨年の藤原紀香陣内智則の結婚騒動では、あの吉本興業が手も足も出ないほど、裏で周防がパワーを発揮した。結婚情報のリークから、日本テレビでの独占中継まで、すべて周防が独断専行で進めたんだ。これを「紙の爆弾」(鹿砦社)で書いたら、先ほど言った5回目の告訴に至って、現在も係争中なんだよ。相変わらず、アメとムチでも言うことを聞かない相手には、法的手段に訴える。周防をこんなふうにしてしまったのも、マスコミが周防の前に屈服してきたのが一因だと思う。

 俺は、芸能界や、そこで一生懸命に働いている人たちが好きだ。その世界が、ダーティな人物に牛耳られている間は、ペンを折るつもりはないよ。
「サイゾー」6月号より)

●本多(ほんだ・けい)
1948年生まれ。週刊誌記者などを経て、東京スポーツや「サンデー毎日」、「日刊サイゾー」などの媒体でフリージャーナリストとして活動中。出版プロデューサーとして手がけた本も多数。芸能界取材歴は30年以上を誇る。



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