先頃、「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)の桜井誠元会長が、都知事選に出馬。11万4,171票を獲得しました。

その得票数については、社会的にさまざまな反応があります。「恐ろしいヘイトスピーチを繰り返す人々に、そんなに票が集まったのか」、また「都民全体で見た時、やはりほんの一部の支持にとどまった」など、意見・分析も多種多様です。

「在日コリアンの若者は、現在の日本社会をどう見ているのか」

 都知事選の前後から、そんな質問を、よく受けるようになりました。質問の主は皆、日本の方々です。ヘイトスピーチなど、いわゆる差別的攻撃の標的となっている当事者たちが、現在の日本社会にどんな思いをはせているのか? また、在日コリアンの若者は、日本でどのように日々を過ごしているのか? その率直な意見や、リアルな生活を聞きたいというのです。

 ただこれまで、そのような質問に対し、明確な答えを返すことはできませんでした。
一言で“在日コリアン”といっても、人によって国籍も、生活環境も、意見も違います。家族をはじめとするコミュニティーの影響もそれぞれ異なるし、生きていく上でのモチベーションも千差万別です。もちろん、好きな異性のタイプも違うし、リア充もいれば、孤独を愛し趣味に走る“オタク”もいます。年齢や世代によって、いくらか似たような認識や共通点はあるだろうけれども、決してひとくくりに語れるものではありません。戦前、戦後、そして日本の植民地時代を前後して海を渡ってきた在日コリアンの歴史は、すでに100年以上が経過したともいわれており、その“それぞれ”は広がるばかりです。

「在日コリアンは○○だ。
日本社会については○○だと思っている」

 おそらくその空白部分を埋められる人は、当の在日コリアンの中でも皆無かもしれません。僕自身、まるで在日コリアンを代表するかのように語るのは、「なんだか気が引ける」というのが正直なところでした。それを明確に、また遠慮なしに語る人がいるとすれば、よほど全体像が見えている神様みたいな人か、もしくは“世間知らずの無知な人”だと思います。

 それでも、書き手として「何かすべきかもしれない」と考えてきました。何よりも、日本の方々が「知りたい」と問いかけてくれることは、とても恵まれた機会だからです。そしてもうひとつ、個人的な問題意識もありました。


 ここ数年、世界各国では移民排斥の機運が高まっています。高い“人権意識”を持つと豪語する欧州・米国など、先進国でも、その動きは例外ではなくなってきています。グローバル化の動きとはまったく正反対の現象が起きていて、衝突や差別、排他的な雰囲気が世界各国を覆っています。おそらく、そのような世界の在り方は、日本社会と在日コリアンの関係性にも間違いなく影響しているはずです。

 そしてイスラム国の若者の実情――。中東、また欧州各国で銃を手に取り、自爆テロを繰り返す若者たちには、移民2世や3世も多く含まれているという話があります。
共通点というほどのものではないかもしれませんが、僕自身も日本で生まれ育った在日コリアン3世です。日本と欧州に暮らす“異邦人”には、歴史的・社会的に、どのような環境の差があったのか? そして、日本では想像もつかない凄惨な環境に身を投じる若者が、後を絶たない理由は一体何なのか? 雑誌の取材などを通じていろいろな話を聞きかじるうちに、そのような問いが頭から離れなくなりました。決して、社会正義をうたいたいわけではありません。日本で暮らす外国人として、純粋に興味を抱くようになったのです。

 もしかすると、自分の周囲の人間の話を聞くことで、何かしらのヒントを得ることができるかもしれない。そういう思いが、日ごとに強まっていきました。


 おそらく、これから先も、在日コリアンについて「何かを語る」ことは難しいかもしれません。それでも、その声を聞くことはできると思います。どれくらいの期間・回数が許されるかわかりませんが、できる限り多くの在日コリアンの若者の声を残していきたいと思います。

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■「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

「日本社会に差別があるかどうか問われれば、ひどく差別されていると感じる人もいるだろうし、差別なんてされたことがないという人もいるでしょう。ただ、個人的には、差別を言い訳にした瞬間に“負け”だと考えるようにしています」

 東京都内の焼鳥店で、2杯目の生ビールを飲み干したチェ氏(仮名)は、そう切り出した。
チェ氏は今年34歳の、在日コリアン3世。なお、34歳という年齢は、日本の行政が若者と定義する最後の年代だ(一昔前まで、若者の定義は24歳までというものが多かったが、最近では40歳までを若者と定義する場合もある)。

 チェ氏は、小学校から民族系の学校に通っていた。そのため、友人や知人も在日コリアンがほとんど。20代前半まで、日本社会との接点は、まったくと言っていいほどなかった。卒業後、右も左もわからない日本社会にいきなり投げ出されたチェ氏は、しばらくまともな職にも就けず、フリーター生活を続ける日々を送る。転機が訪れたのは、20代半ばを過ぎた頃だった。なんとか採用が決まった広告関連の企業で、脇目も振らず仕事に没頭。日本社会で人脈を増やすために、休日も取ることなく働き続けた。そんな数年間を過ごした後、30代を迎えた頃にはビジネスで独立を果たし、現在はベンチャー企業の代表として充実した日々を送っている。「相手も自分も一緒に向上できる仕事をする」「人を泣かせる仕事はしない」それが、チェ氏の仕事の哲学だ。

「20代の頃は、誰にも頼れずフラフラと生きていました。一時期、歌舞伎町でホストをやっていたこともあるんです。ホストって、羽振りいい世界に見えるでしょう? でも、あんなのは一部だけ。ほとんどがどうにもならなくて、薄給や罰金でヒーヒー言ってる。当時、生活しながら強く感じたのは、日本にも“持っている人”と“持っていない人”がいるということ。格差っていうんですかね。貧しくなると『男は路上に、女は(水商売の)待機室に行く』というのが僕のしょうもない持論なんですが、実際に目にした日本の若者たちの風景は、まさにそれでした」

 未来が不透明な若者が、酒や疑似恋愛に溺れて刹那的に生きる。時には、安い金で体を売ったり、人をだましたり、犯罪にも手を染める。バカ騒ぎをして楽しそうに見えても、満たされない虚しさを抱える人々の一群。チェ氏が20代の頃に見た風景は、そんな日本社会の一面だった。

 チェ氏自身、ホストやアルバイトばかりしていた頃は、経済的に苦しかったという。帰りの電車賃すらなく、駅で一夜を明かすことも珍しくなかったし、東京郊外の住まいまで、数時間かけて歩いて帰った日もあったという。そんな生活の中、格差や日本という環境、そして自分の人生について深く考えるようになる。お金も自信もなかったけれど、考える時間だけはたくさんありましたから――。そう、当時を振り返る。

「いま、そしてこれからの日本では、日本人でも在日コリアンでもあまり差がない。スタートラインはそれほど変わらない。そう思うようになりました。結局、持っているか、そうでないか。日本人の若者にだって、在日コリアンより苦労している人は多くいます。それに、在日同士だってお金がなくなれば離れていく。そんな現実の前では、日本社会にある差別という言葉は、あまり現実味がないような気がしていました」

■在特会が主張するような“特権”なんてない

 ただ最近は、嫌でも耳に入ってくるニュースのせいで、差別という言葉についても、深く考えざるを得なくなったという。4杯目のビールが狭いテーブルに運ばれてきたときには、話題は在特会やヘイトスピーチに及んだ。

「僕は韓国とか朝鮮、それに在日コリアンを嫌いな層というのは、日本からは絶対にいなくならないと思います。それは、差別ではなくて自然なこと。どこの国にだって、そういう人はいますから。僕だって嫌いな人はいる。そういう人たちが、まったく発言できない社会だとしたら、それは民主主義ですらないと思います。ただ、在特会やヘイトスピーチは水準が低いし、やり方を間違ってきた」

 チェ氏は、日本で生活していると在日コリアンであることに多々不便を感じるが、在特会が主張するような“特権”は、感じたことも、使ったこともないという。実際、経営者としてのチェ氏は、客観的に見ても、世界的に見て起業が少ないとされる日本社会で、同世代の平均的な日本の若者より多くの税金を納めている。

「百歩譲って、もし在日特権なるものがあるならば、在特会はそれを証明して、政治家になって、日本の国民の支持のもと、法律を作ってなくせばいい。でも、彼らはそういうことはしないし、できない。裏を返せば、『自分たちは日本人なのに差別されている』ということを叫び続けて、間違った努力しかしていないんです」

 在日コリアンに“特権”がないにもかかわらず、在特会などに関わる人々が『差別されている』と感じ続けることは、自分たち自身の成長を阻害する“鎖”にしかならない。チェ氏がそういった意見を持つようになった背景には、くしくも、幼少期、また青年期の一部を過ごした在日コリアンコミュニティーでの生活がある。

「M・ナイト・シャマランの『ヴィレッジ』っていう映画を知っていますか? 映画の舞台は、外の世界と隔離された小さな村。村の大人たちは、外の世界との境にある森に怪物が出るといって、子どもたちを牧歌的な村に閉じ込め続けます。結局、森の怪物たちは村の大人だった。大人たちは、外の社会で差別を受けた人たちなのですが、その経験から、よかれと思って子どもたちを隔離していたのです。僕はあの映画を見た時に、自分がいた在日コリアンのコミュニティーと重なる部分が多いなと感じました」

 映画の中で重要なのは「子どもたちは、生きるために外に出る必要があるということ」とチェ氏。ビールグラスの水滴を指でなぞりながら、話を続ける。

「僕らのおじいさん、おばあさんなど在日1世の時代、またある時期までは、確かに差別があったのかもしれない。しかし、それが現在もまったく同じかといえば、そうではないと思います。時代や人間は変わりますから。もし仮にまだ日本に差別があるとしても、それは自分の頭や体で経験すべき。そういう実態と離れた場所で『差別されている意識』だけが膨らむと、人間は歪んでしまうと思います。現に在日コリアンの中には、日本社会と接点がないのに『差別されている』と言ったり、拒絶反応を示す人もいます。説得力が、まったくないですよね。そういう人たちには、日本の友人もいません。結局、自分たちの中でだけ通じる理屈をつくって、内側に閉じこもっているんです。立場は違いますが、在特会にも同じような空気を感じる。なんて言ったかな……、そうそう、“自己植民地化”ってやつです」

 チェ氏は、自信もお金も、頼れる人もいなかった20代の頃に読んだ村上春樹氏の小説『ノルウェイの森』の一文を、今でも反芻するという。

<自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ――>

 本当に差別があるかどうかは、自分の外に飛び出さなければわからない。そして、そこで自分にとって不都合があるならば、戦って勝ち取るべきだ。「差別されている」という意識は、自分を甘やかして殻に閉じ込めてしまう甘い罠にもなる。それが、彼が「差別を言い訳にしたら“負け”」と話す理由だ。

「僕は、在日1世を尊敬しています。それは、差別されていたからではなくて、差別に負けなかったから。言い換えれば、前向きに戦って生きてきたということです。日本の若者だって生きにくい時代、じゃあ、僕はどう生きるか。これからの日本では、差別を言い訳にしないで生きていく方がかっこいい。そうやって前向きに生きている在日コリアンの若者は、意外に少なくないと思いますよ。もちろん、そういう日本の若者もたくさんいるはずです」
(取材・文・写真=河鐘基)