ニッポン放送のイマジンスタジオから演歌・歌謡曲・J-POPのライブショーをお届けする『中山秀征の有楽町で逢いまSHOW♪』(毎週日曜 朝5時30分~/司会:中山秀征・アシスタント石川みゆき)、7月26日放送分の収録が行われました。

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられ...の画像はこちら >>

石川みゆきアナウンサー、藤崎詩乃、川中美幸、村木弾、中山秀征

今回のゲストは、川中美幸さん、村木弾さん、藤崎詩乃さんです。

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

村木弾

オープニングで、1970年、京山京平さんの隠れた名曲『流れもんだよ』を歌った村木弾さん。

「作詩家・高野公男先生、作曲家・船村徹先生の名コンビによる楽曲で、日本コロムビアの大先輩、京山京平さんの隠れた名曲です。京山さんにお会いしたことはないのですが、今回、私の新曲のカップリング曲に『流れもんだよ』を収録させていただきました。

デビュー11年目、11枚目のシングルとなる新曲『夜汽車』は、夜汽車を舞台にした別れの情景を歌っています。作詩・作曲は日本コロムビアの大先輩・大川栄策(筑紫竜平名義)さんです」

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

村木弾

昨年11月から、弾き語りをメインにした『海難遺児チャリティーコンサート』という企画ライブを行っているという村木弾さん。

「鳥羽一郎先輩の海難遺児チャリティーコンサートを見習って始めたライブで、今年7月の開催で7回目になります。毎月ライブハウスで開催しています。フォークソングや昭和の歌をギターを弾きながら歌っていますので、ぜひお越しください」

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

藤崎詩乃

今週も「きらめきニューフェイス」のコーナーに登場した藤崎詩乃さん。昭和の名曲から園まりさんの『逢いたくて逢いたくて』を歌っていただきました。

「子どもの頃から大好きな曲です。カラオケで『歌いたい!』と言うとタイトルの印象から西野カナさんの『会いたくて 会いたくて』だと思われることが多く、そのたびに説明していました(笑)」

5月20日に『黒髪海峡』でデビューしたばかりの藤崎詩乃さん。新曲発売のキャンペーンで、日本各地を飛び回っています。

「新曲の衣装は、振袖なのでこれを着て歌っています。今年の夏も猛暑の予想されているので、夏用の涼しい着物を着て、乗り切りたいと思います」

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

藤崎詩乃

料理にハマり、いろいろなものを作っているという藤崎詩乃さん。得意料理の中から “巻かない小籠包(しょうろんぽう)”を紹介していただきました。

「小籠包は、小麦粉の皮で餡とスープを包んだ蒸し料理で、食べるとき、中から熱々の肉汁スープがあふれ出ますが、私流の“巻かない小籠包”なので、肉汁をたっぷりと、熱々で食べることができます。ぜひお試しください」

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

川中美幸

今週もビッグステージに登場した川中美幸さんに、代表曲『遣らずの雨』を歌っていただきました。

「1983年に発売した曲ですが、当時、レコード会社からは、あまり評判が良くなかったんです。しかし、私にとっては『待ってました!』と思える作品でした。いまならスマホで簡単に調べられますが、当時、辞書で『遣らずの雨』の意味を調べましたら、<訪れた人を引き止めるかのように降ったり止んだりと降り続ける雨のこと>とあって、山上路夫先生に素敵な作品をつくっていただき、今でも感謝しながら歌っています」

新曲『暖流桜』を披露した川中美幸さん。笑顔の花を咲かせたい、そんな願いが込められた明るく前向きな一曲で、会場は温かな雰囲気に包まれ、イマジンスタジオのお客さんにも自然と笑顔が広がっていました。

川中美幸、「母に家を建てる」と誓って上京も「犬小屋も建てられなかった」デビュー秘話

川中美幸

来年は、川中美幸としてデビュー50周年を迎える川中美幸さん。デビュー当時のことを振り返っていただきました。

「17歳のとき、『春日はるみ』の名前でデビューしました。

上京するとき、母に『家を建ててあげるから、好きな土地を探しておいてね』と言ったんですが、全く売れなくて、結局、犬小屋も建てられずに大阪へ戻りました。そのとき、母が『歌だけじゃない、何をやってもやっていけるから』と言ってくれ、その言葉に救われました。20歳で『川中美幸』として再デビューし、『25歳までに売れなかったら歌手は諦めよう』と決めていたんですが、24歳のときに『ふたり酒』がヒットして、『歌手としてやっていける』と自信が湧きました。家に帰ると、ラジオ局に送るリクエストはがきが山のように積んであって、母が私の曲をリクエストするために書いてくれていたんですよ」

編集部おすすめ