自身も人生の大きな挫折を経験した佐藤さんは、著書『定年後の日本人は世界一の楽園を生きる』(飛鳥新社)で、60代からの人生は「捨てること」が何より重要だと説きます。定年後をストレスなく生きるために、今こそ手放したいものとは——。
■過去の華々しい「自分像」との決別
仏教では「執着」こそがすべての苦しみの根源とされる。定年後の人たちは、「かくあるべし」という思念から離れ、身軽になるべきだろう。
若いころからキャリア上で挫折し、転職などを経験してきた人は免疫があるかもしれないが、一つの会社で順調に出世した人ほど、定年以降の環境変化が厳しく感じられるかもしれない。こうした環境変化、特に収入の減少が不安となってのしかかってくるのが定年後の生活である。
私は2002年に東京地検特捜部に逮捕され、少し早めに「過去の華々しい自分像との決別」を迫られた。2002年5月14日、勤務していた外務省外交史料館で逮捕された。このとき心のなかで、「もういい、やれるだけのことはやった……その結果がこれなら、受け入れるしかない」とつぶやいた。
これが外交官・佐藤優(さとうまさる)としての臨終(りんじゅう)の言葉だ。それ以降の私の人生は、余生だとすら考えている。
しかし一般的には、60歳、還暦を迎える定年前後で、価値観と人生のシフトチェンジが求められる。
ビジネスパーソンは50代まで、会社や組織のなかで評価されるように、仕事で成果を上げ、しかるべき地位や役職を目指す。ビジネス社会の価値観で、いかに自分の力を発揮するかが目標だった。それゆえ、過酷な競争社会を勝ち抜くために、がむしゃらに走ってきたはずだ。
しかし60代からは、ビジネス社会の価値観と競争原理から外れたところで自分の人生を再構築することになる。こうして還暦を迎えた人たちが、どんな心構えを持ち、現実的にどう対応すべきなのか? 人生の最終コーナーを回って自分のゴールを達成するためには何が必要なのか?
私自身、2020年1月に還暦を迎えたが、同世代の人たちと問題を共有したい。
■リセットとは捨てること
本章のタイトル(※編集部注:定年後のマインド「リセット」)にもなっている「リセット」……これは言い換えると「捨てること」であり、「あきらめ」や「諦観」に近いものかもしれない。
それまでの自分が積み上げてきたものをいったん白紙に戻す。言葉で言うのは簡単だが、実践するのはなかなか難しいこと。というのも、人間は、自分のこれまで置かれてきた環境に固執してしまうからだ。
たとえば自分が会社で活躍していた過去に固執すれば、家族やコミュニティの人間関係において不満が湧いて、周囲との軋轢(あつれき)が生まれる。過去の収入や地位に固執すれば、現在の自分に納得ができなくなる。
先述の通り仏教では、執着こそがすべての苦しみの根源であるとする。そして、その克服を説く。
執着を完全に断ち切ることは難しいにしても、過去の自分や、「かくあるべし」という理想像にこだわってはいけない。こうした執着からは離れ、身軽になる必要があるのだ。
■残された人生をストレスなく生きる方法
2015年4月から7月にかけて、私は同志社大学で講義をした。この際、自分に用事がないときは、講義後も学生たちとレストランで話をした……午後11時ごろまで。かなり密度の濃い講義だった。
講義では、同志社大学の創設者である新島襄(にいじまじょう)について、『新島襄自伝』『新島襄の手紙』『新島襄 教育宗教論集』の三部作(岩波文庫)を手掛かりに、キリスト教主義の特徴をつかむことに主眼を置いた。
神学部の教授会に頼んで、能力が高く意欲のある神学生を選抜してもらったのだが、過半数がキリスト教の洗礼を受けていない。したがって、卒業後は一般企業に就職することを望んでいる人たちだった。
ただ、講義のなかで小テストを数回おこなったが、驚いたのは、私が神学生だったころと比較して、神学生の基礎学力が向上していることだ。
ただし、人生の今後の展望については、「年収1000万円以上の職業に就きたい」「安定した職業の公務員になりたい」などという発想しか持っていない……そこで途中から、「新島襄の生き方を各人の人生にどう活かせるか」、そこに重点を置いて講義をした。
国禁を犯し、死刑になることを恐れず、江戸末期に出国した新島襄は、アメリカ留学中は勉強に苦労した。だから、自分がしたような苦労を次世代の日本人にはさせたくないと考え、大学を創ることにした。そのためか、現存する新島襄の手紙のほとんどは、寄付金を求めるものだ。
そうして建学の精神を、「国家に有為な人材の育成」ではなく、「良心」とした。良心を基準にして生きる人は、他者の気持ちになって働き、利他的な行動をすることもできるからだ。
すると、こうした他者に献身的な行動をする人間が、さらに他者を感化する。良心を基準に日本社会を強化すれば、日本国家も強くなる。「新島襄を通じて、自分のためだけでなく他者のためにも尽くす人生が、結果的に本人にとってもべストになるという人生観を学んでほしい」、そう受講生に伝えた。
定年後の人たちに望まれていることは、このような行いではないだろうか? 私の講義が、たとえ少数だとしても、その人たちの心のなかに残っていてくれたとすれば、それこそ私の本望である。
こうしたことからも、定年後の人たちは、嫌いな人たちにまで交友範囲を広げて、それを維持する必要はない。残された人生の時間を、良心に従い、ストレスなく生きることに集中すべきなのだ。佐藤優(さとう まさる)
1960年、東京都生まれ、同志社大学神学部卒、同志社大学大学院神学研究科修了(神学修士)。1985年に外務省入省。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、その後、モスクワの日本国大使館、東京の外務省国際情報局に勤務。2002年5月に鈴木宗男事件に連座し、東京地検特捜部に逮捕、起訴され、無罪主張をし、争うも2009年6月に執行猶予付き有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。『国家の罠』『自壊する帝国』『交渉術』などの作品がある。
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