藤田田を“怪人”として売り出したKKベストセラーズ、創業者・...の画像はこちら >>



累計120万部!藤田田の『ユダヤの商法』(ベストセラーズ)はなぜ日本人にウケたのか?元日経新聞記者でPHP理念経営研究センター首席研究員の川上恒雄氏が著書『「ビジネス書」と日本人』(PHP研究所、2012年)で、そのコンテキスト=文脈を解きほぐす。同書より特別配信の第1弾では、編集者であり版元の創業社長であった岩瀬順三にスポットライト。

岩瀬もまた藤田田と同じく“怪人”だった。



※記述は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります





■「デンと発音して下さい」――無名の貿易商がマック経営に



 ある日本人の子どもが初めてアメリカを訪れた際、マクドナルドの店舗がアメリカにもあるのを“発見”して、驚いたという。日本マクドナルドを始めた藤田田(1926~2004)は、この子どもの話を聞いて、自分の事業の成功を改めて実感した。アメリカ由来のマクドナルドのハンバーガーは、子どもが日本のものと思い込むほど、今やすっかり日本人の食生活に溶け込んでいる。



 日本だけのことではない。マクドナルドは世界中の食文化を変えた、あるいは画一化したといっても過言ではない。過激な反グローバリゼーションの活動家らがよく、マクドナルドの店舗の破壊行為に出るのも、それがグローバリゼーションの象徴だからである。



 しかしその半面、どこの国に行っても同じような店構えとメニューなので、気楽に利用できるという便利さはある。筆者も若いころ初めて単身でアメリカを訪れたとき、英語をまともに話せなかったため、ひとりでレストランに入る度胸もなく、マクドナルドに駆け込んでは飢えをしのいだ記憶がある。普段はハンバーガーをめったに食べない筆者も、海外に出れば「マックさまさま」である。



 マクドナルドの日本第1号店は1971年7月20日、東京の銀座三越にオープンした。筆者のしばらく前の記憶で間違いがなければ、1階の今はティファニーのテナントが入っている場所である。

つまり銀座の中心ともいえる銀座4丁目の交差点の一角を占める三越の、さらにそのなかでも(ティファニーが入るほどの)よいロケーションに、マクドナルドは日本で最初の店舗を構えたのである。





藤田田を“怪人”として売り出したKKベストセラーズ、創業者・岩瀬順三という男【川上恒雄】
マクドナルド銀座1号店



 この銀座三越の第1号店の開店はおそらく、日本の「外食産業」の事実上の始まりだった。“事実上の”と付け加えたのは、1970年代に入ってからマクドナルドに先行して、アメリカから来たファストフードチェーンのケンタッキー・フライド・チキンやミスタードーナツ、そしてファミリーレストランのすかいらーくの第1号店などがすでにオープンしていたからである。しかし、売り上げや店舗数の伸び、注目度の高さなどにおいて、少し遅れて登場したマクドナルドが際立っていた。マクドナルドこそが、日本の飲食業界においてまさに「産業」を形成する担い手となったのである。



 ただし、それは、われわれが現在から過去の歴史を振り返ることができるからこそわかることであり、1971年当時に日本人のみた銀座のマクドナルドの風景は、都会の流行店のひとつにすぎなかった。たとえば、同年のニュース記録をまとめた朝日新聞社刊の『朝日年鑑 1972年版』に目をとおすと、マクドナルドのマの字も出てこない。同書掲載の年表の7月20日にも、日本第1号店オープンの事実は記されていない。それから4半世紀後の1997年に講談社が刊行した『日録20世紀 1971(昭和46年)』が表紙に、「マクドナルド1号店開店!」と、もっとも大きく掲げ、巻頭の3ページをこのことに充てているのとは対照的である。



 1971年当時はこのように、マクドナルドの日本上陸が日本の飲食業にとって大事件であるという認識がなかったせいか、日本マクドナルドの設立にあたって出資したのが名だたる大企業ではなく、藤田商店という「個人商店の域を出ない一介の貿易屋」(『日経ビジネス』1974年10月28日号、142ページ)であることを、メディアは特段に指摘しなかった。社長の藤田田も、わざわざ名刺に(自分の名前を)「デンと発音して下さい」と印刷していたほど、世間にその名も知られていない人物だった。しかしその後、マクドナルドの快進撃に、藤田に対する世間の関心がじわじわと高まる。

そこでタイミングよく出版されたのが、藤田による『ユダヤの商法――世界経済を動かす』であった。1972年5月刊と、日本マクドナルド第1号店オープンから1年もたたぬうちのスピード出版である。





■岩瀬順三の「ベストセラーシリーズ」――ワニのマークでヒット連発



『ユダヤの商法』はまたたく間に売れた。その証拠に、筆者の手元にある『ユダヤの商法』の奥付をみると、刊行日(1972年5月1日)から24日しか経ていないにもかかわらず、版を多く重ねている。通称「銀座のユダヤ人」という、藤田田の怪しげな人物像も、本の売れ行きに拍車をかけたと思われる。藤田をこのように“怪人”として売り出すことはおそらく、出版社ベストセラーズ(発行所名としては「KKベストセラーズ」)の戦略だった。



《拙著『ユダヤの商法』は誰もが予想もしなかったベストセラーとなり、ロングセラーになったが、それはとりもなおさず『ユダヤの商法』という本が、経済書や学術書にくらべて、あやしげな本であったからである。(中略)
 ある雑誌はその記事の中で私を指して「国籍不明の顔」と評したが、私は国籍不明のあやしげな顔であるからこそ、世界のユダヤ人と互角に渡りあってくることができたのだ、と思っている》



 実際、『ユダヤの商法』のカバー(著者紹介のある背面側)には、ふてぶてしい顔つきをした藤田の写真が載っており、いかにもダークな印象を与えている。



 ベストセラーズは、実用・ハウツーものの名編集者として知られた岩瀬順三(1933~86)が1968年におこした出版社。「ベストセラーシリーズ」という、光文社の「カッパ・ブックス」のような新書シリーズで知られ、『ユダヤの商法』はその1冊である。



「ベストセラーシリーズ」のカバーにはワニのマークがついており、暗にカッパを飲み込むことを示している。明らかに、1950年代からベストセラーを連発していた「カッパ・ブックス」を、売れ行きで凌駕(りょうが)することをめざしていた。

大衆的な「カッパ・ブックス」よりもさらに徹底した大衆路線を採り、その多くは、女性またはカネがテーマである。たとえば、1972年の『ユダヤの商法』のベストセラーの前後には、奈良林祥『HOW TO SEX――性についての方法』(1971年)、糸山英太郎『怪物商法――常識をうち破る』(1973年)といったミリオンセラーを出している。



 岩瀬順三については、「話題の『ベストセラー仕掛人』」として、1973年に『日経ビジネス』(5月28日号)が大きく取り上げている。サングラスに長髪、エリが大きく派手な柄のシャツに細身のジャケットといった当時の流行と思(おぼ)しきファッションに身を包み、“ギョーカイ”の人といった風貌だ。同誌もその姿に、「テレビ局あたりでみかける連中とさして変わらない」(104ページ)と書いている。実際、服装と同様にすることも派手で、「銀座にバーは出すわ、有名女優を愛人にするわ」と、“カネと女”にかけては人一倍、力を注いでいたようだ。しかし、「銀座は男の花道だ」(前掲『日経ビジネス』104ページ)というポリシーから、銀座の高級バーをハシゴするほど飲み続けたあげく肝臓をこわし、50歳代の若さで亡くなってしまった伝説の編集者である。





藤田田を“怪人”として売り出したKKベストセラーズ、創業者・岩瀬順三という男【川上恒雄】
サングラスと仕立てたスーツがトレードマークだった



 その岩瀬からみた藤田田は、「現代資本主義の若き獅子」(同前)であったとい う。しかも、同じ銀座を活動の拠点にしている経営者だ(藤田商店のオフィスは銀座にあった)。藤田は『ユダヤの商法』を「岩瀬順三さんにそそのかされて」(235ページ)執筆することになったと述べているが、その藤田も岩瀬とフィーリングが合ったらしい。『ユダヤの商法』には、“カネ”の話はもちろん、“女”の話題も満載だからである。



文:川上恒雄



《『「ビジネス書」と日本人』より構成。

第2回に続く》



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