筆者は怠け者で世の中の事象への探求心が希薄なため、国際問題に疎い。そのためガザ地区で一人の女の子をめぐって深刻な事件が起きていたことを知らなかった。

この映画「ヒンド・ラジャブの声」によって事実に接することになった。本作はエグゼクティブ・プロデューサーにブラッド・ピット、ホアキン・フェニックス、マイケル・ムーア、スパイク・リーなどそうそうたる面々が名を連ねている。第82回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した衝撃作だ。


 パレスチナ・ヨルダン川西岸にある人道支援組織「赤新月社」の緊急センターはガザ地区からの通報も引き受けていた。2024 年1月、オペレーターのオマール(モタズ・マルヒース)は海外在住のパレスチナ人から通報を受ける。彼の親族が避難中にイスラエル軍に銃撃されたというのだ。教えられた番号にオマールが電話すると女の子が応答するが、「戦車が横にいて、撃たれている」と言い残し、叫び声とともに通信が途絶える。


 女の子が殺されたことに動揺するオマールだが、女性カウンセラーのニスリーン(クララ・フーリ)との会話により、なんとか落ち着きを取り戻す。オマールが席に戻ると、先ほどの男性から「6歳の姪がまだ車内に隠れている」との連絡が。再度電話をかけると、電話に出たのは先ほどと違う女の子だった。


「早く来て。撃たれちゃう」


 助けを求める彼女の名はヒンド・ラジャブ・ハマダ。

生き残ったのは彼女ひとりだ。


 オマールは責任者のマフディ(アメル・フレヘル)に救急隊の派遣を要請。だがイスラエル軍が占領するガザでは安全なルートを確保しなければ救急車も攻撃されてしまう。過去に大勢の救助者が殺されており、残っている救護班は1チームのみだ。救急車はヒンドの乗ったクルマから8分の距離にいるが、許可が出るまで出動できない。


 マフディが赤十字経由で救急車のルートを調整する間も、ヒンドの助けを呼ぶ声とイスラエル軍の銃声が続く。オマールは救急車を差し向けるようマフディに談判。安全を優先する彼と対立する中、「戦車が来る」と怯えるヒンドの声が響くのだった……。



「ヒンドの声は、ガザそのものの声」

 本作の緊迫感を高めているのは当日に録音されていたヒンドの実際の肉声を使っているからだ。「助けて」と懇願する6歳の幼女の悲痛な声が生々しく迫り、戦争の悲惨さを強烈に訴えてくる。劇中にヒンドの映像はなく、数枚の写真でその姿を見るだけだが、会話のやり取りから、観客は彼女のあどけない姿と生命の危機を想像することになる。


 ヒンドは車内で恐怖に震えている。

一方、救急センターでは「すぐに助けろ」と詰め寄るオマールと「これ以上部下を失いたくない」と慎重に対処しようとするマフディが対立。ニスリーンはヒンドを安心させようとつとめる。男たちは怒鳴り合い、女は嗚咽しながらも優しく幼女に語りかける。それぞれが自分の立場でヒンドを救おうとするのだが、そこには〝二次災害〟の危険性や救急車出動のための煩雑な手続きが横たわっている。ひとたび戦闘が始まると、後方の組織までもが修羅場と化すのだ。そのため救助は進まず、時間だけが刻々と過ぎていく。


 メガホンを取ったカウテール・ベン・ハニア監督はこう語っている


「ヒンドの声は、ガザそのものの声です。世界中に響き渡った『助けて』という叫び。しかし、誰も応えませんでした。 彼女の声は、真の責任が問われ、正義が実現されるその日まで、響き続けるでしょう。(略)(ヒンドの物語は)ジェノサイドに耐え続ける人々全体の物語であり、罪を問われることのないイスラエルの犯罪的な政権によって引き起こされた悲劇です」


 本作を見終わったとき「アンネの日記」が脳裏に浮かんだ。同書は一人の少女の日記によってユダヤ人が受けたホロコーストの悲劇を戦後世界に突きつけた。

一方、この「ヒンド・ラジャブの声」はパレスチナ人の女の子の叫びによって、ユダヤ人の軍隊によるジェノサイドを世界に知らしめた。


 被害者がいつしか加害者に……。両者の皮肉な関係性に、人権を尊重する我々はとまどうしかない。(文=森田健司)


(9月4日~ 新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開/配給=スターキャットアルバトロス・フィルム)


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