世界では、ECやSNSの普及によって、個人や小規模な企業でも自ら商品を企画し、ブランドとして市場へ届けられるようになった。勤務先や地域に縛られず事業を始める選択肢が増えた反面、商品を出品するだけで顧客に選ばれるほど競争は単純ではない。
市場を読み、改良を重ね、信頼を積み上げる力が求められている。

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日本のBtoC-EC市場も拡大を続け、経済産業省によると2024年には26.1兆円に達した。販路が開かれたことで参入の壁は下がったものの、その分、既製品を仕入れて販売するだけの事業と、顧客の声から独自の価値をつくる事業との差が見えやすくなっている。

参入の壁が下がった分、何を売るか以上に、なぜ自分の商品が選ばれるのかをつくらなければならない。そんなEC市場へ、35歳でほぼ未経験のまま踏み出したのが、株式会社サチクルの村上博司代表だ。大学卒業後から約12~13年間は消防の現場に勤務し、救急や救助など複数の役割を経験していた。そこで身につけた規律、体力、最後までやり切る姿勢が、後に続く長い試行錯誤を支えることになる。

消防の仕事には誇りもやりがいもあった。それでも4人の子どもを育てる中で、教育や経験の選択肢をさらに広げたいという思いが強くなっていく。安定した収入は得られても、その先に家族へ用意できる未来には限界があるのではないか。35歳という年齢も、決断を先送りしない理由になった。

家族のために安定を離れる決断をした一方、退職時点でAmazonブランドの事業計画が完成していたわけではない。
最初に試したのはブログやアフィリエイトで、短期間ながら物販にも手を伸ばした。しかし思うような収益は生まれず、独立した後に、自分に合う事業そのものを探す時間が続いた。

事業を探しながら別の仕事も続けていては、検証の速度が上がらない。そう考えた村上氏は、一度すべての仕事を辞め、使える時間を新しい挑戦へ振り向けた。それでも収入が生まれるまでには約7~8カ月を要したという。退職金を生活費に充てながら、家族を抱えたまま収入の見えない日々を過ごす。決断した後に訪れた重圧は、小さなものではなかった。

先の見えない時期を支えたのが、消防時代に身につけた習慣である。知識も人脈も十分ではない以上、調べ、試し、失敗の理由を見直して、もう一度動くしかない。現場で鍛えられた体力と規律は、職種が変わっても、未知の仕事へ向き合う土台として残っていた。

試しては見直す日々の中で転機となったのが、自社ブランドをつくり、既存商品へ新しい価値を加えて販売する事業モデルとの出会いだった。単に流通の間へ入るのではなく、自分で考えた改良を商品へ反映し、その価値を顧客に選んでもらう。
そこに初めて、時間をかけて育てられる事業の可能性を感じた。

ただ、事業モデルに手応えを得ても、生活がすぐに安定したわけではない。知人の会社で働きながらブランドづくりを続けた時期もあった。独立を一度決めたからといって、働き方を意地で固定しない。必要な収入を確保しながら、仕事以外の時間を商品調査、企画、販売ページの改善へ充てた。

収入と挑戦を両立させた先に、Amazonや楽天市場で自社企画のOEM改良商品を扱う現在の形が見えてきた。複数の分野を試す中で、とりわけ強い反応が返ってきたのがプラモデル用工具だった。「こういうものが欲しかった」という顧客の声が、広げてきた選択肢を一つの領域へ絞る決め手になった。

模型工具へ軸を定めた現在は、ブランド「Sachiプラモ」を中心に、商品の企画、設計、販売を進めている。働く場所は消防署から自宅へ変わり、家族と過ごせる時間も増えた。家族の選択肢を広げたいという出発点は、収入だけでなく、自分の時間の使い方を選べる働き方にもつながっている。

村上氏の歩みを、安定を捨てて一気に成功した物語として描くのは正確ではない。
事業を決め切れない期間があり、収益化まで時間がかかり、必要に応じて会社員として働く道も選んだ。それでも試行錯誤を止めず、顧客の反応を次の判断へ変え続けたことが、自社ブランドという現在地をつくった。

取材を通じて感じたのは、村上氏の転身を支えたのが、特別な事業アイデアよりも、決断後に学び続ける行動量だったことだ。家族の選択肢を広げるために始めた挑戦が、これからどのようなブランドと働き方へ育っていくのか。その歩みを見守りたい。

【取材/執筆:Y.U】
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