ダーウィンの娘は、いちもつそっくりなキノコを狩り、焼き払う日々を送っていた
スッポンタケ Image by Istock / <a target="_blank" href="https://www.istockphoto.com/jp/portfolio/NetPix?mediatype=photography">NetPix</a>

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 1900年代初頭、イギリスの田舎に暮らす女性が、かごと棒を手に森を歩き回り、地面から突き出た男性器そっくりのキノコを探し回っていた。

 見つけると掘り出し、家に持ち帰り、誰にも見られないうちに燃やすことに情熱を注いでいたこの女性の名はヘンリエッタという。

 進化論を唱えた、偉大な博物学者チャールズ・ダーウィンの実の娘である。

 父の重要な著作の編集を手伝う知的な女性な一面を持つ反面、いちもつライクなキノコを焼き払うことを趣味としていたのだ。

森でキノコ狩り、目的は男性器そっくりなスッポンタケ

 ヘンリエッタが探していたキノコは、スッポンタケ(英名 stinkhorn)である。

 細長い柄の先が丸みを帯び、形状は男性器そっくり。表面は粘液に覆われ、動物の死骸のような強烈な臭いを放つ。

 ヘンリエッタはスッポンタケを見つけては掘り出し、かごに入れて家に持ち帰り、誰にも見られないようこっそり焼却していた。

 この話はヘンリエッタの姪にあたるグウェン・ラヴェラの回顧録『Period Piece: A Cambridge Childhood』の中に書かれたものである。

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息子スティックキノコを焼き払う理由

 当時幼かったラヴェラは、「ヘンリエッタおばさんはなんでこのキノコを焼くの?」と尋ねたところ、「卑猥なキノコを診たら、家で働く若いメイドたちの道徳心が乱れ、健康まで損なわれてしまうので、見つけ次第処分するの」と答えたという。

 当時のイギリスでは避妊手段がなく、未婚の女性にとって予期せぬ妊娠は生活の破綻を意味した。

 上流階級の家庭は使用人を病気からも性的な堕落からも守る責任があると考えられており、ヘンリエッタの言い分には納得できる理由があった。

 だが、理由を口にするときのヘンリエッタは、決まって目をいたずらっぽく輝かせていたという。

 実はメイドの道徳心を守るという説明は表向きの口実にすぎなかったようだ。

 ラヴェラは著書の中で、伯母がキノコ狩りをほとんど趣味のためにやっていたと書いている。

 当時60歳の叔母は、鼻をひくつかせ、目をキラキラさせながら、森を歩き回っては獲物を見つけると、飛びかからんばかりに掘り起こしていたという。

 

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スッポンタケの学名は「恥知らずの男根」

 ヘンリエッタが追い回したスッポンタケには、Phallus impudicus という学名がついている。

 ラテン語で「恥知らずの男根」を意味する。名づけたのは生物の分類体系を築いたスウェーデンの博物学者カール・リンネで、1753年のことだった。

 男性器のような姿ゆえに、スッポンタケは古くから性的なイメージと結びつけられてきた。

 ヨーロッパや北アメリカでは、豊穣や生殖力を高める媚薬とみなす地域がある一方、性的な堕落や悪魔、病気の象徴として恐れる地域もあった。

 卑猥で不気味な言い伝えは植物学の書物にも載っており、ヘンリエッタも一連の話を知っていたはずだ。

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父ダーウィンを支えた優秀な才女でもあった

 息子スティックそっくりのスッポンタケを狩り、引っこ抜いて焼き払うという、ちょっと変わった趣味を持っていたヘンリエッタだが、天才にありがちな奇妙な一面なのかもしれない。

 実際のヘンリエッタは優れた知能を持ち、チャールズ・ダーウィンの研究と著作を陰で支えた人物でもあった。 

 ダーウィンは1839年、いとこにあたるエマ・ウェッジウッドと結婚した。

 エマは生涯にわたるただ1人の伴侶で、夫妻のあいだには男子6人、女子4人の合わせて10人の子どもが生まれた。

ダーウィンとエマ・ウェッジウッドの子ども10人(生まれた順)

  • ウィリアム・エラズマス(男)1839年
  • アニー(女)1841年 ※10歳で病没
  • メアリー(女)1842年 ※生後まもなく死亡
  • ヘンリエッタ(女)1843年 
  • ジョージ(男)1845年 ※のちに天文学者
  • エリザベス(女)1847年
  • フランシス(男)1848年 ※植物学者、父の研究を助けた
  • レナード(男)1850年
  • ホーレス(男)1851年 ※技術者
  • チャールズ・ワーリング(男)1856年 ※幼くして死亡

 ヘンリエッタ・ダーウィンは1843年、イングランド南部のケント州ダウンで三女として誕生した。 

 兄弟たちのような正式な学校教育こそ受けなかったものの、科学的な議論と知的好奇心に満ちた家庭で育った。

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 20代後半になると、ヘンリエッタは父の原稿を読み込んでは文章や構成を修正するようになる。

 とりわけ大きく貢献した著作が、ダーウィンが進化論を人類そのものに適用した『人間の由来』(1871年刊)だった。

 ダーウィンは1870年、ヘンリエッタにこう書き送っている。

お前は本当に役立ってくれた、なんと熱心に取り組み、私の原稿を完璧に理解してくれたことか

 1871年に同書が出版された後にも、ダーウィンはヘンリエッタへこう伝えた。

明快で力強い文体だと書評家に褒められたが、その文体は自分ひとりの力ではなく、ヘンリエッタの編集のおかげだと今になってよくわかった

 ダーウィンは感謝のしるしに、ヘンリエッタに20~30ポンド相当の贈り物を贈った。現在の価値にして20万円を超える金額だった。 

 ヘンリエッタはその後も、『チャールズ・ダーウィン自伝』の一部に携わり、母エマの手紙をまとめた書簡集を編纂した。

 若い女性たちと親しく交わって科学の知識を分かち合い、なかには『種の起源』の草稿を一枚譲り受けた女性もいたという。

 1871年、ヘンリエッタはリチャード・バックリー・リッチフィールドと結婚し、以後リッチフィールド姓を名乗った。

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 夫婦に子どもはなく、晩年もダーウィン家の記録を後世へ残す仕事を続け、1927年に84歳でこの世を去った。

 偉大なダーウィンの名著の陰には、独特の趣味を持つ聡明な娘の存在があったのだ。

References: Henrietta Emma Darwin | Darwin Correspondence Project[https://www.darwinproject.ac.uk/henrietta-emma-darwin] / Charles Darwin’s daughter had an unusual hobby: Hunting phallic mushrooms | Popular Science[https://www.popsci.com/science/henrietta-darwin-litchfield-stinkhorn-mushrooms/]

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