フジテレビのドラマ現場で起きた俳優・佐藤二朗氏のパワハラ疑惑を『週刊文春』が報じてから波紋を広げたまま、いまだ決着がついていない。東北大学特任教授で人事・経営コンサルタントの増沢隆太さんは「危機対応で問われるのはハラスメント認定の是非ではない。
誰が意思決定し、その責任を引き受けたのかというガバナンスである」という――。
■中居問題の傷が癒えない中、新たな火種
長年、企業のハラスメント対応に携わってきた立場から見ると、佐藤二朗氏を巡る一連の問題は、出演者同士のトラブルやハラスメント問題にとどまりません。企業として「誰が、何を根拠に、どのように判断したのか」という意思決定のあり方が問われた、ガバナンス上の問題として捉えるべき事案です。
フジテレビは、2024年末に表面化した中居正広氏を巡る問題への対応をめぐって昨年大きな社会的批判を受け、経営体制の見直しにまで発展しました。
その反省からコンプライアンス体制を強化してきたはずですが、今回の対応を見ると、むしろコンプライアンス強化を急ぐあまり、法的リスクへの対応が先行し、経営判断としての説明責任とのバランスを欠いた結果、皮肉にも新たな危機を招いた可能性はないでしょうか。
事の発端は、ドラマ制作現場での佐藤二朗氏と橋本愛氏を巡るトラブルに関する週刊誌報道でした。人気俳優同士という話題性に加え、責任を問われている佐藤氏自身がSNSで自嘲気味に表現したように、「か弱い若い女性と、典型的な昭和のパワハラオヤジ」という構図のイメージは、一気に世間の注目と批判を集めることとなりました。
■報道翌日に対応したことは良かったが…
フジテレビは報道翌日に公式コメントを公表し、出演者のプライバシー保護を訴える一方、男性俳優への厳重注意や、橋本氏への誹謗中傷を控えるよう呼びかけました。炎上する事案に対してスピード感を持って対応することは、危機管理の原則です。
過去の大事件の教訓が生きていると感じます。公式発表には、出演者のプライバシー保護の観点から週刊誌報道に抗議したこと、佐藤氏の言動に対して厳重注意を行ったこと、そして橋本氏へのネット上の誹謗中傷を止めるよう呼びかける内容が含まれていました。
しかし、この第一弾の発表は悪手となりました。
直接的な実名を避けつつも、もはや誰だか明らかな「男性俳優」の行動を厳重注意したことで、結果的に「橋本氏が一方的な被害を受けた」という週刊誌側の告発ストーリーと軌を一にするスタンスに見えてしまったからです。
今回の現場におけるトラブルは、単なるセクハラやパワハラの有無のような単純な二元論ではありません。作品作りにおける演出の方向性、過酷なスケジュール、関係者の複雑な立場、さらにはそれらをコントロールすべきテレビ局側の管理責任など、多層的な背景が絡み合っています。
■2回目の追加説明がまずかった理由
それらの背景を十分に示さないまま、結果として佐藤氏側に主たる責任があるとの印象を与える発表となったことで、フジテレビ自身の制作責任を問う声が一気に噴出することとなりました。
なお、これは公表されている事実について佐藤氏に責任が無いと断定するものではありません。ハラスメント事案の判断は、個別の発言や行動だけで決まるものではなく、会社の責任において、事実関係を十分に調査・検討し、適切なプロセスを経て行われるべきものです。
事実関係やハラスメントの客観的評価がまだ確定していない段階で、フジテレビが佐藤氏側だけに事実上の責任を負わせるような姿勢を示したことに対し、世間や業界内からは疑問と批判の声が急速に広がりました。佐藤氏に対しては、同情の声も少なくなかったのです。
その後7月7日にフジテレビは詳細な経緯を説明する追加文書を公表します。もちろん、新たな事実が判明すれば追加説明は必要です。ただ、危機対応では、発信内容が短期間で変化すると、「十分な検討を経ずに公表したのではないか」「世論を見ながら判断を変えているのではないか」という印象を与えやすくなります。
危機管理においては、「追加説明」そのものが問題なのではありません。
問題となるのは、企業の説明の軸が変わったように受け止められることです。企業が意図していなくても、「最初の判断は誤っていたのではないか」という自信のなさ、企業への信頼がゆらぎかねません。
■「外部弁護士がダメと言ったからダメ」
今回の事件でフジテレビが責任を問われるべき理由は、組織としてどう「経営判断」したのかというプロセスの不透明さです。公式発表の中で、フジテレビは一貫して「外部弁護士による調査で問題視された」ことを処分の根拠として挙げ事由にしています。
2回目の詳細な発表でも、同社のコンプライアンス部門が外部弁護士に事実関係の調査を依頼した結果、「男性俳優の一連の言動はハラスメントと評価されるとの見解を得たため、厳重注意に至った」という経緯が説明されています。
しかし、問題は外部弁護士がハラスメントと評価したことではありません。企業の危機対応では、専門家の助言と経営判断は同じではありません。専門家は事実関係や法的評価など、経営判断の材料を提供する存在です。一方、その評価を踏まえ、会社としてどのような対応を取り、社会へどのようなメッセージを発信するのかを決めるのは経営者の役割です。
経営判断では、法的リスクだけではなく、出演者との信頼関係、制作現場への影響、スポンサーや視聴者への説明責任など、多様な要素を総合的に考慮する必要があります。
■「専門家の助言+経営判断」であるべき
法的に適切な対応が、そのまま企業として最適な対応になるとは限りません。企業は法令順守だけでなく、取引先や出演者、社員、視聴者、スポンサーなど多様なステークホルダーとの信頼関係を維持しなければならないからです。
法的には問題がない施策でも、顧客や社会から「誠実ではない」と受け止められれば企業価値は損なわれます。
だからこそ、経営陣には「法的評価」を踏まえながらも、自社の制作体制や管理責任をどう考えるのか、組織として何を改善するのかという経営判断が求められます。今回の公表では、外部弁護士の調査結果は示されましたが、それを踏まえて経営としてどのような議論を行い、なぜその判断に至ったのかは十分には見えてきません。
この点が、組織の意思決定に対する疑問を招いた一因ではないでしょうか。結果として、調査を担当した外部弁護士の判断や役割にまで疑問を呈する声も聞かれるようになりました。
今回の対応の背景には、中居正広氏を巡る問題への反省も影響しているように思えます。過去の対応では「組織が被害を軽視した」と厳しい批判を受けました。その反省から、人権尊重を徹底しようとする姿勢自体は当然であり、必要なことです。
一方で、その反省が、十分な経営判断を経る前に迅速なメッセージ発信を優先させる方向へ作用した可能性はなかったでしょうか。
■リスクを恐れ、判断できなくなった経営陣
しかし、テレビ局の業務では一般的なオフィスワークとは異なるクリエイティビティや発想など、芸術創作に属するものがあります。特にドラマ制作のような創作現場、番組作りにおいては、定型業務やマニュアル化された行動指針だけで割り切れない部分もあることでしょう。だからこそ、法的リスクだけでなく、制作環境全体を俯瞰した経営判断は不可欠です。

カリスマ的リーダーがすべてを決め、下が誰も責任を取らなくて済んだ時代は終わりました。しかし、理不尽な意思決定を排除しようと躍起になった結果、今度は誰も責任を取らず、誰からも反対されない、当たり障りのない、しかし意思決定の責任所在が見えにくい組織へと変貌してしまった恐れはないでしょうか。
この傾向は、テレビ業界だけの問題ではありません。製造業でも金融機関でも行政機関でも、リスク管理やコンプライアンスを重視するあまり、現場は専門部署の判断待ちとなり、経営陣も「専門家がそう言ったから」という説明に依存してしまう例は少なくありません。
■「当事者意識」こそ危機管理の基本
本来、専門家は経営判断を支える存在であって、経営者に代わって意思決定する存在ではないはずです。専門家の助言を受けながらも、最終的な責任を引き受け、自らの言葉で説明する。それは経営者の責任です。
筆者はコンプライアンスの指導やハラスメント問題に取り組む際に、必ず経営者のお考えをお聞きしています。社長自ら研修に思いを述べる会社もあり、そうした経営者の当事者意識こそ危機管理においては重要です。
外部専門家の助言は、企業にとって極めて重要です。しかし、専門家は経営判断を代行する存在ではありません。企業が社会に対してどのような姿勢を示すのか、その最終的な意思決定と説明責任を負うのは経営者です。

今回の問題が私たちに投げかけているのは、ハラスメント対応の是非ではなく、企業が危機に直面した際、誰が意思決定し、誰が責任を引き受け、自らの言葉で社会に説明するのかという、ガバナンスそのものなのです。

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増沢 隆太(ますざわ・りゅうた)

東北大学特任教授/危機管理コミュニケーション専門家

東北大学特任教授、人事コンサルタント、産業カウンセラー。コミュニケーションの専門家として企業研修や大学講義を行う中、危機管理コミュニケーションの一環で解説した「謝罪」が注目され、「謝罪のプロ」としてNHK・ドキュメント20min.他、数々のメディアから取材を受ける。コミュニケーションとキャリアデザインのWメジャーが専門。ハラスメント対策、就活、再就職支援など、あらゆる人事課題で、上場企業、巨大官庁から個店サービス業まで担当。理系学生キャリア指導の第一人者として、理系マイナビ他Webコンテンツも多数執筆する。著書に『謝罪の作法』(ディスカヴァー携書)、『戦略思考で鍛える「コミュ力」』(祥伝社新書)など。

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(東北大学特任教授/危機管理コミュニケーション専門家 増沢 隆太)
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