■これは「どちらが悪いか」の問題ではない
『週刊文春』の報道によって明らかになった、フジテレビ系ドラマ『夫婦別姓刑事』の撮影現場での橋本愛氏と佐藤二朗氏をめぐる問題。この問題については、多くの論者が「誰が悪かったのか」という観点から論じている。
撮影現場でどんなやり取りがあったのか。佐藤氏の言動には何か問題があったのか。橋本氏の訴えは妥当だったのか。あるいはフジテレビの対応は適切だったのか。もちろん、そうした検証は必要だろう。しかし、長年テレビの現場に身を置いてきた私には、この問題は少し違って見える。
今回の騒動を報じるニュースに接するたび、私は同じことを考えていた。
「私が知っているテレビ局は、こうではなかった」
もちろん、昔のテレビ業界が理想郷だったと言うつもりはない。長時間労働は当たり前だったし、現在の価値観で見れば、問題視されるような慣行も少なくなかった。
私はドラマやドキュメンタリーを中心に37年間、様々な現場を経験してきたが、出演者との間に問題が生じそうになった時、「事務所に任せておこう」と考えたことはほとんどない。まず、自分が動いた。主演俳優と演出家の意見が衝突した時もそうだった。
■主演俳優と演出家が衝突したとき、何をするか
演出家は作品全体を見ながら演出意図を語る。一方で、主演俳優はその作品を背負う当事者として現場に立っている。両者とも作品を良くしたいと思っているからこそ、意見がぶつかる。そういう時、私は演出家の意図を尊重しながら、主演俳優と膝を交えて話をした。
主演を務める俳優には、自分が作品を引っ張るのだという自負がある。そのプライドに敬意を払って向き合えば、対立はむしろ信頼関係へと変わる。私の経験上、真正面から本音で話し合って解決できなかったケースはほとんどない。
若手俳優の場合はまた違う。
そんな時、私は事務所のマネージャーに別の形で伝える。
「○○さん、いいですよねぇ。あの目がいい」
すると後日、マネージャーが何気ない会話の中で本人に話す。
「田淵さんがこう言ってたよ」
本人からすれば、第三者を通じて伝えられることで評価が客観的なものに感じられる。すると少しずつ自己肯定感が高まり、自信につながっていく。
ドキュメンタリーの海外ロケでは、出演者が不安を感じたり危険な状況を嫌がったりすることもあった。そんな時、私は「とにかくやれ」と押し切ったことはない。まず本人の言い分をじっくり聞く。その上で、「今の状況は実はおいしいんですよ」と相手のメリットを説明する。
■出演者との問題を「事務所任せ」にしなかった
視聴者は、自分たちが住む日常の安全な場所から見知らぬ危険な環境に飛び込んでいく出演者の行動と心意気を見たいのだ。
それぞれ方法は違うが、共通していることはただ一つ、「出演者との問題を誰かに丸投げしない」ということである。
私が局員だった頃、プロデューサーの役割は単に予算を管理することではなかった。出演者それぞれの特性を熟知し、事務所との関係を築き、演出家や脚本家、スタッフとの間に入りながら作品全体を回す存在だった。
いわば、番組関係者が衛星なら、プロデューサーは恒星だった。人も情報も最終的にはその周囲に集まっていた。だから出演者に異変があればすぐに気付いた。楽屋での表情や会話の変化、演出家への反応の微妙な違和感など、現場経験の長いプロデューサーは見逃さなかったのである。
ところが現在はその状況が大きく変化している。私が若い頃のテレビ局は、良くも悪くも「番組を作る会社」だった。制作局は局の中心であり、テレビ局に入る新入社員は皆、制作局に配属されたいと願った。
ところが、私が採用面接を担当していた10年前には、エントリーシートの希望部署に「制作局」と書く学生が明らかに減っていた。私の実感では、その傾向は現在さらに強まっている。若い世代にとって、テレビ局で番組を作ることは、もはやかつてほど憧れの仕事ではなくなっている。
■効率化で失われた「現場を観る仕事」
広告収入が減少し、配信ビジネスへの対応が求められるなかで、テレビ局は番組をどう作るかより、作った番組をどう運用し、どう収益化するかに重点を置くようになった。当然、その変化は経営としては正しい。
同時に、失われたものもある。
かつてプロデューサーが使っていた時間の一部は、出演者と話す時間だった。現場を歩き回る時間だった。若手スタッフの表情を観察する時間だった。何の用事がなくても、ぷらっと撮影現場に顔を出してみる。すると、演出部と撮影部の空気が妙に悪いことに気付く。スタッフの表情からトラブルの兆候を感じる。
そんな手間は数字にならない。それでも、番組の質を確実に支えていた。
私は現在のテレビ局を見ていて、効率化によって失われたものの大きさを実感している。制作会社への委託が増え、現場は少人数で運営されるようになった。さらにプロデューサーには、作品の完成度だけではなく、収益化や配信戦略まで求められるようになっている。
その結果、出演者やスタッフと向き合うために使われていた時間は確実に減った。かつてプロデューサーが担っていた「現場を観る仕事」は、数字に置き換えにくいがゆえに後景へと追いやられている。
「ヒト・モノ・カネ」のうち、「ヒト」を見る仕事が後回しになっていったのである。
■光GENJIから深夜に電話がかかってきた日
私は20代の頃、旧ジャニーズ事務所担当、いわゆる「ジャニ担」をしていた。携帯電話もない時代だったので、仕事が終わって自宅に戻った後、光GENJIのメンバーから家に電話がかかってきて「今から焼肉食べたい」と言われることもあった。
そんな時、私はタクシーを拾って都心に向かった。彼らと真剣に向き合うことも、担当者としての仕事だと思っていたからである。
「まだ子どもだ」と思って接すると、彼らはすぐに見抜く。出演者と向き合うということは、自分の本気度と覚悟を試されることでもあった。今振り返ると、こうした行為こそが出演者保護だったのだと思う。
制度ではなく、人が支えていた。
そして、その文化は、私のような駆け出しのADにまで浸透していた。
もっとも、私はここで「昔は良かった」と言いたいわけではない。問題は、当時人が担っていた機能を、現在は何が代替しているのかということである。
では、なぜそれが今は難しくなっているのか。私はその背景に三つの構造変化があると考えている。
第一は、俳優を取り巻く環境の変化である。
近年は大手芸能事務所から独立する俳優が増えている。これは決して悪いことではない。しかし、独立した俳優ほど立場は不安定になりやすい。仕事を失う不安を抱えながら現場に立つ人も少なくない。立場が弱い人ほど「NO」と言いにくくなる。だから本来であれば、テレビ局は以前にも増して出演者保護に力を入れなければならないはずである。
■出演者を守る“安全装置”が弱くなった
かつての芸能界では、大手事務所が良くも悪くも緩衝材になっていた。現場で問題が起きればマネージャーが飛んでくる。出演者本人が言えないことを事務所が代わりに伝える。現場の不満をマネージャーが吸い上げる。
トラブルが起きそうになれば事前に局へ連絡する。そのプロセスの中では、時には脅しや揺さぶりのようなカードが切られることもあった。いわば、そうした“機能”とも言える風習が安全装置として働いていた面があったのである。
現在は独立した俳優の自由度も高まった。その反面、交渉力や防御力は個人に委ねられるようになった。つまり出演者保護の必要性は昔より高まっている。にもかかわらず、それを担うはずのテレビ局の能力は弱くなっているのだ。
第二は、出演者依存を強める業界構造である。
テレビを取り巻く競争環境は年々厳しくなっている。配信サービスが台頭し、視聴者の可処分時間をめぐる競争は激化した。その中で、視聴率や配信回数という数字を持っている出演者への依存度は以前より高まっている。そうした状況では、制作側が言うべきことを言いづらくなる。
「口うるさいことを言ったら、今後うちの番組には出てもらえなくなるのではないか」
そんな心理が働けば、率直なコミュニケーションはどうしても不足する。制作会社も事務所も同じような遠慮を抱えながら仕事を進めるため、本来であれば共有されるべき懸念や違和感が、どこかに置き去りにされてしまう。
結果として、問題の芽が摘み取られないまま撮影が進行してしまうことになるのである。
■トラブルを未然に止める「中堅層」が消えた
第三に、人材の問題である。私はこれが最も深刻だと感じている。
かつてのテレビ局には、若手とベテランの間をつなぐ中堅層が厚く存在していた。出演者ともスタッフとも率直に話ができ、問題が起きそうな時には自然に間に入って場を収める人たちである。普段は現場をぶらぶらしているだけに見える。だが、いざという時には現場の空気を読みながら各所を調整し、トラブルが表面化する前に処理してしまう。そういう人たちが確かにいた。
番組制作において起きるトラブルの多くは、制度ではなく人によって未然に防がれていた。ところが、その人たちが十分に機能しにくい環境へと、制作現場そのものが変化してしまった。現在では、限られた人数で多くの業務を回さなければならない現場も少なくない。
そんな状況下では、本来であれば時間をかけて行われていた調整や対話が後回しになりやすい。
出演者保護の仕組みが存在しないわけではない。むしろ制度は昔より整っている。だが、制度を実際に機能させるのは人である。その肝心の「ヒト」が弱くなっているのではないか
そこに、現在のテレビ業界の課題を感じる。
だから私は今回の問題を、フジテレビ固有の問題だとは考えていない。
実際、2024年の『セクシー田中さん』をめぐる問題においても、テレビ局と原作者の間のコミュニケーション不足が大きな論点となった。もちろん、今回とは事案そのものは異なるが、関係者の間で十分な意思疎通が図られず、その結果として問題が表面化したという点では通底している。
二年前に起きたフジテレビ問題は、中居正広氏をめぐる問題を契機として、フジテレビという組織特有の体質やガバナンスが厳しく問われた事案だった。今回は性質が異なる。同じような条件が重なれば、日テレでも、TBSでも、テレビ朝日でも、テレビ東京でも起こり得る。問題の本質が業界全体の構造変化にあるからである。
今回はたまたま表面化したのがフジテレビだったにすぎない。だから私は、この問題をフジテレビ問題としてではなく、テレビ業界の問題として見ている。
■フジテレビだけの問題なのか
テレビの凋落というと、多くの人は視聴率の低下や広告収入の減少を思い浮かべるだろう。確かにそれも事実である。
私が今回の騒動を通じて感じたのは、それとは別の凋落である。
出演者と向き合う力の低下であり、現場を支える組織能力の衰えであり、「自分たちが預かっている人は自分たちで守る」というプロフェッショナルとしての矜持の後退である。私は今回の騒動を見ながら、最も気になったのがプロデューサーの役割だった。
出演者同士の認識にずれが生じていたのであれば、誰かが間に入るべきだったのではないか。
橋本氏の話を聞く人はいたのか。
佐藤氏の話を聞く人はいたのか。
双方の認識の違いを整理しようとした人はいたのか。
『週刊文春』報道の後、『週刊新潮』では佐藤氏が弁護士の関与に違和感を覚えたという趣旨の説明をしている。
その是非をここで論じるつもりはない。私が気になるのは別の点である。本来であれば現場やテレビ局の中で整理されるべき問題が、当事者同士ではなく第三者を介して処理される段階にまで進んでしまったことだ。そこに私は、現場の調整機能の弱体化を見る。
もちろん、外部から断定はできない。しかし、実際に今回の問題は週刊誌報道という形で公になった。そして今も、多くの組織や業界の問題は、内部で解決されるより先に週刊誌報道によって表面化している。それは少なくとも、現場内部で十分な解決に至らなかったことを意味している。
私が若い頃なら、まずプロデューサーが呼び出されていただろう。
「お前は何をしていたんだ」と。
問題が起きたこと自体ではなく、問題がそこで止められなかったことが問われたはずだ。少なくとも、私が現役だった頃のテレビ局ならそうだった。私はそこにテレビ業界の弱体化を見る。
■出演者を守れない局は、作品も守れない
視聴率は回復するかもしれない。
広告主も戻ってくるかもしれない。
だが、組織文化や人材は一度失われれば簡単には戻らない。出演者を守る力を失ったテレビ局は、やがて作品を守る力も失う。作品を守れなくなった業界は、最終的に視聴者からの信頼を失う。私が今回の騒動から感じた危機感は、そこにある。
橋本氏と佐藤氏のどちらが正しいのか。その判断は今後の検証に委ねられるべきだろう。しかし、一つだけ確かなことがある。今回露見したのは、単なる番組現場のトラブルではない。
テレビ業界が少しずつ失いつつある「出演者を守る力」そのものなのである。
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田淵 俊彦(たぶち・としひこ)
元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授
1964年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、テレビ東京に入社。世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けて、訪れた国は100カ国以上。「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」をテーマにした社会派ドキュメンタリーのほか、ドラマのプロデュースも手掛ける。2023年3月にテレビ東京を退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授。著書に『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)、『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える“テレ東流”逆転発想の秘密』(方丈社)、『発達障害と少年犯罪』(新潮新書)、『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)、『秘境に学ぶ幸せのかたち』(講談社)など。日本文藝家協会正会員、日本映像学会正会員、日本メディア学会、芸術科学会正会員、日本フードサービス学会正会員、放送批評懇談会正会員。映像を通じてさまざまな情報発信をする、株式会社35プロデュースを設立した。
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(元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授 田淵 俊彦)

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