「大阪のおかん」を焼き印した、ある“ミルクパン”が注目を集めている。「帰省土産」需要もあり、多い日には1日3000個、1種類で年間1億円を売り上げる。
店の定番を一躍看板商品に変えたのは、元エンジニアの3代目社長だ。開発のヒントは、妻がふと漏らした“ひとこと”にあった――。(取材・執筆=フリーライター・笹間聖子)
■1億円売れた“ミルクパン”の正体
「がんばりや。なるようにしかならへんで」

「このシワの数だけようさん笑って生きてます」

「あんたの良さはわかる人にはわかるわ。知らんけど。」
モコモコのパーマに白い長エプロン、手には四角いパンを持ち、名言風の言葉をつぶやくちょっぴりふくよかなおばちゃん。
その正体は、あるパンの袋に描かれたキャラクターだ。名前は、「おかんパン」。
四角いミルクパンにミルククリームが入ったものと、チョコレートクリームが入ったものの2種類、各3個入りのボックスで販売されている。
箱にも、ヒョウ柄服にサンダル履きのおかんが、商店街に佇む姿が描かれている。
ご丁寧にパン1つ1つにも、おかんの顔の焼印が。なんというか……“大阪コテコテ”の商品だ。
2023年、このパンが大阪府内に20店舗(※)あるベーカリー「クックハウス」に並ぶや否や、飛ぶように売れた。
午前中に売り切れ、各店から本社に「もっと焼いてください」と電話が入ったという。
※2023年「おかんパン」発売当時。
「正直、まったく売れないと思っていたんです。余って賞味期限ギリギリになったら試食で出したり、割安なパンセットで出そうかって社員と話してたぐらいで。クリームを入れたり焼印を押すのが手間なこともあって、1日限定100箱しか作りませんでした」
そう振り返るのは、「クックハウス」を運営するダイヤの社長 多田俊介さん(46)。同社が運営するベーカリー「クックハウス」は、大阪を中心に約20店舗を展開する。
2024年、その看板商品「ミルクパン」におかんの焼印を押し、「おかんパン」と名づけて売り出すと、2年後の2025年には、このパン1種類で1億円を売り上げるまでに。2020年、2021年、​そして2022年と​、3年続けて1億円超の営業赤字に沈む中、老舗は揺らいでいた。
なぜ、「まったく売れない」と思っていたパンが、これほどヒットしたのだろうか。
■3年続けて営業赤字1億円超
そもそもおかんパンは、「売ること」を目的に開発された商品ではなかった。
ダイヤが運営するクックハウスは1946年、大阪市生野区に創業した老舗ベーカリーだ。多田さんの祖父、定男さんが終戦の翌年に開業し、80年続いている。
その3代目を多田さんが継いだのは2020年7月、コロナ禍のまっただ中。2020年、2021年、2022年と3年続けて1億円超の営業赤字に沈む中で、老舗は揺らいでいた。
なんとか立て直さなければならない。そう思い詰めた多田さんが向き合ったのは数字ではなく、「従業員をどう幸せにするか」という問いだった。
「すごい赤字なので、まずお金を借りないといけないと、各銀行さんを足しげく回っていました。
そんななかで、メインバンクである商工中金さんが『幸せデザインサーベイ』をやってみませんかとおっしゃったんです。ようは、社員満足度を調査するアンケートです。『社員の幸福度は売上に相関関係があります。なのでまずは従業員を幸せにしましょう』と。
おっしゃることは分かりますが、当時、超赤字の下で従業員を幸せにするなんて、どうやって……ととまどいました。けれど、僕もまず従業員の現時点での状況を把握するために、やってみようかと」。
商業施設内の店は休業、駅構内の店も客がこない。
それでも踏ん張ってくれている従業員の気持ちを知りたいと考えたのだ。
■アンケートでわかった“従業員の意外な気持ち”
アンケートを実施すると、思いがけない結果が返ってきた。「地域を大切にする」「自分たちは地域の会社である」――地域と紐づく項目の棒だけが、平均値を大きく突き抜けていたのだ。
従業員を幸せにする道筋が、ようやく見えた。「地域に愛されるパン屋」になることだ。そこに向かって踏み出そうとしたとき、多田さんの中でかねてから感じていた、ある違和感が頭をもたげた。
クックハウスは大阪で80年経営を続けているにもかかわらず、「大阪のパン屋」として認識されていないことだ。
「京都や神戸には、名前を聞くだけでいいイメージが浮かぶパン屋さんがたくさんあります。でもクックハウスは、大阪のリピーターのお客さまが、転勤などで大阪を離れて初めて『あのパン屋、大阪にしかなかったんや』と気づかれるくらいの存在でした。だから名前を言って『おお』と言われるくらいのパン屋さんにしたいなって」
水道水のように、暮らしに溶け込みすぎていたのだ。客だけでなく従業員自身も、地域を大切にしながらも、「自分たちは大阪のパン屋だ」という自負は薄かった。家族には「ここで働いている」と、自慢しづらいという声もあった。

この構造を変えなければならない。
■スタートは「売れなくても、まあいっか」
翌2022年、多田さんは中期経営計画に、ひとつの理念を書き込んだ。
「パンdeしあわせ」だ。
「パンをつくる人も、売る人も、買う人も、食べる人も、みんな幸せにしたい」、という意味である。この理念を行動に落とし込む一歩目として動き出したのが、「私たちは大阪のパン屋です」と世の中に伝えるキラープロダクトの開発だった。
そのプロダクトが、おかんパンである。世間に知ってもらうことが一番の目的のため、売上は二の次。2025年に開催が決まっていた大阪万博を意識して、「お土産としてよその人に買ってもらうこと」を想定してつくられた。
……のだが、販路はなかった。土産屋に置いてもらうあてはなく、置けるのは自分たちの店頭だけ。「パン屋でお土産を買う人なんていない」と考えていたので、「余ったらオトクなセットや試食で出そう」と相談していた。
だから販売数も、1日100箱限定でスタート。
100箱なら工場も無理なく作れる。「売れなくても、まあいっか」という感覚だった。
■「おかんパン」という言葉が、先に生まれた
ところでこのパン、なぜ「おかん」だったのか。
はじまりは、「私たちは大阪のパン屋です」と知ってもらうキラープロダクトをつくるための社内ワークショップで「大阪らしさとは何か」が議論されたことにある。
ヒントをくれたのは、多田さんの妻佑衣さんだった。仙台出身の佑衣さんは、大阪に来てから感じる違和感をよく口にしていた。
「大阪のお母さんは寝るとき『もう寝るで』っていうよね。なんで『おやすみ』って言わないの?」
素朴な疑問だが、大阪の母の面白さに気づいた瞬間だった。そういえば県民性にスポットが当たるテレビ番組でも、大阪が登場するときは必ずと言っていいほど「おかん」が出てくる。自分たちには当たり前すぎるが、外の人にとっては強烈なイメージが残るのかも……。
そうして、商品の中身ではなく、「おかんパン」という言葉だけが先に決まった。
「言葉のインパクトが強すぎたんです。
大阪らしさを表すアイデアはほかにもいろいろあったけれど、この言葉に勝てるものがありませんでした」
■既存のパンに、焼印を押すだけ
名前は決まった。では、どんなパンにするのか。
ここで多田さんは慎重になった。同社は、毎月5種類ほどの新商品を出している。だが「世の中にない新しいパンです」と斬新な商品を打ち出しても、ピンと来てもらえるだろうか。売れずにすぐ消えてしまうのは避けたい。コロナ禍を経たばかりで、開発にかけられる資金も乏しかった。
さまざまなアイデアが出たが、結論は、「約40年前から一番売れているミルクパンを、おかんパンにしよう」。発案者は多田さん自身だった。すでに支持されている商品なら、売れ残ってもミルクパンとしても買ってもらえる。リスクは小さい。ミルクパンに「おかん」の焼印を押し、日持ちする個包装にして、箱に入れお土産らしく仕立てよう。
「けど、それだけだと『いやこれミルクパンにハンコ押してるだけやないか』と常連さんに突っ込まれるかもしれないなと。だから、おかんパンでしか食べられない味を追加しよう。なら定番のチョコがいいかなと、チョコ味を開発したんです」
新商品をゼロから生み出すのではなく、足元にある一番の売れ筋を、見せ方を変えて出す。長年住み込まれた家に、新しい暖簾を掛け直すような商品開発だった。
■80年間、選ばれ続けた味の決め手
おかんパンの土台になったミルクパンとは、そもそもどんなパンなのか。
一般的に「ミルクパン」といわれるパンは、ミルクを加えたパン生地の塊を正方形に切り、発酵させて焼くものだ。だがダイヤのミルクパンは、生地を薄く伸ばしてカット、そのなかにミルククリームを置き、生地を4層に折りたたんで成形する。そうすることで、味と食感に奥行きが生まれるという。
この工程、かなり手間がかかる。けれど40年前の記録に、「3層では美味しくなかったので4層にした」と残っているそうで、長くそのまま受け継がれてきた。
それだけではない。ミルクパンに使う小麦にもこだわっている。実は、ダイヤがパンを焼くときに使う小麦は約17種類にのぼる。産地は海外が6割、国内が4割。国内は主に北海道・十勝、海外は北米産が中心で、一部にフランス産も混じる。これらを、パンごとに独自の配合でブレンドしている。
「1種類の小麦だけで作ると、ほかのパン屋さんと同じ味になってしまう。ブレンドして、ダイヤだけの、そのパンだけの味に落とし込むんです」
通常、新しくオープンしたパン屋は、品ぞろえを増やすためにパンの種類を足していく。だがダイヤは逆だ。80年間何度もふるいにかけられ、底に残ったのが、いまのラインナップだ。残った一つ一つに、そのパンのための配合や工夫がある。面倒といえば面倒だが、「美味しいパンだけが生き残っている」とも言える。
■「味は3、食感は2」元エンジニアの開発術
ここで興味深いのは、多田さん自身はパンを焼けないことだ。だが、パンの味は最終、多田さんが決める。一体何を基準に良し悪しを判断しているのか。
「私の判断軸は、子どものころから毎日パンを食べてきた経験です。家業に戻ってきて食べたとき、『あ、子どものころの味や』と、記憶が蘇りました。その味を思い出しながら、ああしよう、こうしようと。昔はパンばかりの食卓が嫌で、『ごはんが食べたい』と母によく言っていましたが、その記憶に助けられました」
判断を伝える方法がまた独特だ。多田さんは試作品を口にすると、まず「食感が何種類あるか」を数える。単に柔らかいだけなら1種類、チョコの粒が入っていれば2種類。食べるうちに味が変われば、「味のグラデーションがある」と捉える。色も同じで、ピザパンなら「チーズの黄色、パプリカとトマトの赤色」と数える。
「味は3やな。食感は2やから1つ足して」
感覚で美味しいものを作り上げてきた職人たちに、数字で意見を返す。社内では、「構造設計みたいだ」「SEっぽい」と苦笑いされる。しかし職人からは、フィードバックに的確に対応したパンが返ってくる。それがすごい、と多田さんは微笑む。
異業種から来た社長と職人たちのやり取りが、ダイヤのパンを磨いているのだ。
■全従業員に「口癖」を募集
味に加えて「おかんパン」を特徴づけているのが、個包装の袋に書かれた「おかん語録」だ。大阪の母親がよく口にするフレーズが、ひと言ずつ添えられている。
実はこの語録、正社員約80人、アルバイトを含めれば400人を超える全従業員に「あなたのおかんの口癖を教えてください」とアンケートを送って集められたものである。
100近く集まったところから、社長と企画チームが選定したという。
「おかんの言葉って、ちょっとキツく聞こえるものもあるんです。でも私たちは、ちょっと勇気づけられるような、ポジティブなおかんの言葉を届けたいと思って選びました」
前述の「もう寝るで」のようなフレーズも候補に挙がったが、それだとポジティブな雰囲気はなく、大阪の外の人が見ても特に面白みはない。
「考えてもしゃあない 笑ろとこ笑ろとこ」

「思い出だけはなんぼあってもええからね」

「5時間喋れるけど5分黙ってたら倒れるわ」
おかんらしく、かつポジティブな言葉が12種類吟味された。
実在する「従業員の母親」の言葉だからこそ、受け取る人にも響く。語録はその後、母の日のたびに公募で増え、現在は計36種類になっている。
■「炎上しても、責任は取れません」
一方で、パッケージのデザインは、あえて東京のデザイナーに依頼した。外からの目線で見た大阪を描いてほしかったからだ。
ところが、デザイナーから思わぬ懸念を伝えられる。「母」をモチーフにした商品は、多様性が重んじられる今、炎上しがちだというのだ。キャッチコピーに「ママ」や「お母さん」を使うと、「ママがいない子もいる」「なぜパパはないの?」という声があがる時代である。デザイナーは「炎上しても、責任は取れません」と言ってきた。
多田さんは社内で相談し、特に、従業員のおよそ7割を占める女性の意見を尊重した。そして、こう結論づけたという。
「私たちのおかんは、ジェンダーレスです。おかんは、おかんという生き物である」
仮に炎上しても、自分が謝りに行けば何とかなる――。
そう腹をくくり、モコモコのパーマ頭にヒョウ柄服、白エプロンを着たぽっちゃりおかんのキャラクターが爆誕した。
■100箱が、500箱になった
そして、冒頭の場面に戻る。
2024年7月、1日100箱限定で発売したおかんパンは、午前中に棚から消えた。
「えっ、もうないん?」と聞きにくる客が続き、売り切れの貼り紙が出た。店からは次々に「もう少し増やしてほしい」と連絡が入り、追加を焼き上げて持っていっても、すぐ売り切れてしまう。1日限定100箱が200箱に、200箱が300箱に、じわじわと発売数は増えていった。
想定外の客も現れた。夏休み、大阪の外から働きに来ている学生アルバイトたちが、実家への帰省土産にと大量に買い求めたのだ。
当初多田さんが見込んでいたのは、観光客への土産需要だった。だが実際には、大阪に暮らす人が「ちょっと笑ってもらえる手土産」として選ぶニーズにおかんパンはハマっていった。
やがてテレビ番組で次々と取り上げられ、売れ行きは爆発。多い日には1日500箱、ひとつの箱に6個だから約3000個分のおかんが、ジュッという音と共に焼印され、職人の手元から世に送り出されていく。連日500箱が続いた時期は、腕が痺れるほどだったという。
■「忙しい」「でも、楽しい」
それでも、現場は暗くなかった。テレビの生中継が工場に入った日には、3階の食堂に従業員が集まり、画面に向かって「頑張れ!」と声援を送る。普段は静かな食堂が、応援団席のようになった。
「忙しいけれど、楽しい。これってすごく大切な忙しさだなと思ったんです」
多田さんは満足そうにそう語る。コロナ禍、息を潜めるようにパンを焼いていた日々が、嘘のようだった。
しかし、振り返れば、おかんパンが店頭に並んだ2023年は、ダイヤがコロナ禍の3期連続赤字から、ようやく水面に顔を出した時期だった。過去最大の損失を出し、銀行に頭を下げ続けた数年間。その会社が、なぜこれほどのヒットを生み、量産体制を支えきれたのか。
後編では、赤字3期から組織の立て直しと、ヒットを支える現場づくりを聞く。

----------

笹間 聖子(ささま・せいこ)

フリーライター、編集者

おもなジャンルは「ホテル」「ビジネス」「発酵」「幼児教育」。編集プロダクション2社を経て2019年に独立。ホテル業界専門誌で17年執筆を続けており、ホテルと経営者の取材経験多数。編集者としては、発酵食品メーカーの会員誌を10年以上担当し、多彩な発酵食品を取材した経験を持つ。「東洋経済オンライン」「月刊ホテレス」「ダイヤモンド・チェーンストアオンライン」「FQ Kids」などで執筆中。大阪在住。

----------

(フリーライター、編集者 笹間 聖子)
編集部おすすめ