会社勤めを終えたら、あとは悠々自適に暮らしたい。そんな老後を理想とする人は少なくない。
ところが、定年退職後の男性を対象にした意識調査では、その後の進路によって幸福感に大きな差がついた。大阪大学名誉教授の佐藤眞一さんは「老後の幸福感を左右するのは、自由な時間の多さではない。何かに挑戦し、集中する『充実時間』を1日の中にどれだけ持てるかだ」という――。(第2回)
※本稿は、佐藤眞一『お医者さんはなぜ「がんで死にたい」と言うのか?』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■定年後に最も幸せなのは「起業した人」
20年ほど前に、定年退職後の男性の意識調査をしたことがありました。その調査では、退職後の進路によって幸福感が異なることがわかりましたが、幸福感が最も高かったのは、どのような進路を選んだ人たちだったと思いますか?
幸福感が最も高かったのは、起業した人たちでした。以下、別の会社に転職した人たち、元の会社に再雇用された人たちの順で、最下位が退職して無職になった人たちでした。私自身、定年退職してわかったのですが、これまでとは違ったことにチャレンジすると、意欲が湧いてワクワクし、幸せを感じるのです。とはいえ、生涯現役を貫く少数の人を除いて、大多数の人は遅かれ早かれ仕事を退(しりぞ)く日が来ます。その後も幸福感を保つには、どうすればいいでしょうか。
私もそうですが、定年退職すると、人はそれまでの人生を振り返り、今後の人生を自分の死から逆算して考えるようになります。
75歳、80歳、85歳など、いくつかの年齢を想定して、人生設計をするのです。
現役時代には自分の死を切実に考えることはほとんどなかったのが、その頃になると学生時代の友人や身近な知人がぽつぽつと亡くなることもあって、死が切実なものとなり、自分がどのように死ぬかを考えることも増えます。
■幸福なのは引退か、活動か
また、現役時代は自分や家族のためだけでなく、社会のために働いているという気持ちが、たとえ無意識にでもあり、興味のベクトルが外に向いていたのが、内向きになります。
社会的な役割を失って、自己肯定感も下がります。仕事を退くと、どうしても幸福感が低下してしまうのです。
では、高齢期は若いときの延長で、活動的に生活した方が幸せなのでしょうか。それとも、人間関係を少なくして、社会から徐々に引退していく方が幸せなのでしょうか?
これについては、高齢者は社会的役割や人間関係から徐々に離れていくことが、本人にとっても社会にとっても望ましいとする「社会的離脱理論」が、1961年にアメリカの社会学者カミングとヘンリーによって提唱されました。その中では、離脱とは社会的規範からの解放であり、自由になることだとされています。「なるほど、そうだろうな」と思いますよね。
ところがそれに対して、高齢期にも中年期と同様の活動性を維持することが理想的な老化だとする「活動理論」が、やはりアメリカの教育学者・心理学者ハヴィガーストによって提唱されたのです。高齢者は、健康上の理由などがない場合は中年期と同じ欲求を持ち続けており、退職などで活動を停止せざるを得ない場合は、新しい活動を見つけて活動性を維持することが望ましい老化である、というのです。これも「なるほど、そうだろうな」です。
■元気なうちは動き続け、老いたら離脱
活動理論が盛んに言われた頃のアメリカは、退職後も元気な高齢者がたくさんいて、「ペンション(年金)ライフを送るのではなく、社会に貢献するべきだ」という機運が高まった時期でした。
ペンションライフとは、年金をもらいながら、田舎に移り住んで家庭菜園でもやって静かに余生を送ることで、欧米ではこれが退職後のよくある姿だったのです。
さらに1974年には、高齢者を一括りにするのではなく、まだ元気な「老年前期」と、その後に続く「老年後期」「超高齢期」に分けて考えるべきだとする心理学の論文が出版され、翌年ニューヨークタイムズの1面に掲載されたことで、広く知られるようになりました。
これが現在の、74歳までは前期高齢者、75歳以降は後期高齢者という分け方につながっています。それはともかく、まだ元気な老年前期には、他者への貢献なども含めて、社会参加することが、良しとされるようになったのです。
では、私たちはどうするべきか? 高齢期の長い今の日本では、退職後も元気なうちは、活動理論でいく方が幸福感が上がるのは確かでしょう。しかし人はみな、老いが深まるにつれて、社会的な活動ができなくなっていきます。
個人差がありますから一概に何歳からとは言えませんが、やがては徐々に人間関係を狭め、活動の範囲も狭めていかざるを得ない時期が訪れます。それに抗(あらが)うことなく、最終的には社会的離脱理論に従うことが、自分を規範から解き放ち、幸福感を高めることにつながると、私は考えています。
■名医が語った「階段の上り方」
聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明先生は、生前このように語っていたそうです。「私は駅の階段を1段飛ばしで上がることにしていましたが、年をとってそれができなくなったので、階段を1段ずつ上がり、最後だけ1段飛ばしで上がることにしました。
やがてそれもできなくなると思いますが、それまでは挑戦です」と。それを聞いた柏木先生は、「少しの挑戦と適切な折り合いを、見事に実現されている」と感じたそうです。
この話を、あなたはどう思いますか?
では、諏訪中央病院の鎌田實(みのる)名誉院長の、「高齢者は卓越した自分流を持っている」という言葉はどうでしょうか?
たとえば「長生きの秘訣はなんですか?」と聞かれたとき、人は「早起きすることです」とか「なんでも食べることです」などと、その人なりの答えを言いますが、その答えに根拠はありません。大事なのは「こうしているから、自分は長生きできる」という思い込みで、それがその人の「卓越した自分流」であり、「少しの挑戦」でもあります。
■幸福感の鍵は「充実時間」の長さにある
ところで、あなたは何をしているときに「充実している」と感じますか? 趣味に打ち込んでいるとき、友人と会っているとき、子や孫と話しているとき等々、充実していると感じることは人それぞれですが、1日の中には「充実時間」と「空虚時間」があります。
充実時間とは、何かに集中していて思考の余裕がなく、そのこと以外に注意が向かない時間であり、現役時代の仕事に集中しているときなども、この状態です。空虚時間はその逆で、意識が散漫で思考の余裕がたっぷりある時間です。空虚時間には思考の余裕があるため、充実時間には注意の向かないさまざまなこと、多くの場合、自分の死や、この先のお金のことや、配偶者や子どものことなどの、不安に注意が向かってしまいます。時には若い頃の思い出などに注意が向くこともありますが、それがポジティブな内容であれば、それは充実時間となります。
要するに、1日の中の充実時間を増やすことが、幸福感を高める鍵なのですが、ではどうやって充実時間を増やせばいいでしょうか? それが少しの挑戦と、卓越した自分流です。
■誘われたら、とりあえず行ってみる
これまでにやったことがなくても、おもしろそうだったらやってみる。人に誘われたら、とりあえず行ってみる。そんなふうに少しの挑戦を重ねることで、やがて打ち込めることが見つかり、続けることでそれが卓越した自分流になる。年をとって、前にできたことができなくなっても、今できる範囲でちょっとした挑戦を続ける。
そのようなポジティブな循環を保つことが充実時間を増やし、幸福感を高めることにつながるのです。
ただし、空虚時間に頭に浮かんださまざまな不安については、そこから目を逸らすのではなく、向き合うことが大事です。
不安とは不確定な心もとなさ、すなわち具体的でない気がかりのことですが、これを抱えているとストレスが高まります。この状態を解消するには、モヤモヤとした不安の塊(かたまり)を個々の具体的な事柄に分解し、それぞれについてなぜ気がかりなのかを探り、対処法を考えて実践することです。
お金のこと、終末期のこと、親のことなど、気がかりを一つずつ分解すれば対処法を見つけやすく、今後の人生設計も具体的になるはずです。

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佐藤 眞一(さとう・しんいち)

大阪大学名誉教授

1956年東京都生まれ。社会福祉法人大阪府社会福祉事業団特別顧問。博士(医学)。早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程を終え、東京都老人総合研究所研究員、明治学院大学文学部助教授、ドイツ連邦共和国マックスプランク人口学研究所上級客員研究員、明治学院大学心理学部教授を経て、大阪大学大学院人間科学研究科臨床死生学・老年行動学研究分野教授。2022年退官。著書に『ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす』『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』(以上、光文社新書)、共著に『マンガ 認知症』(ちくま新書)、『心理老年学と臨床死生学 心理学の視点から考える老いと死』(ミネルヴァ書房)などがある。

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(大阪大学名誉教授 佐藤 眞一)
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