NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」における武将・中川清秀の描写を巡り、茨木市と竹田市の2自治体がNHKに対して申し入れをした。歴史評論家の香原斗志さんは「問題は中川清秀の描き方だけではない。
大河ドラマの影響力は非常に大きい。NHKはフィクションであってもその時代らしく描く方法を考え直すべきだ」という――。
■自治体が「豊臣兄弟」にクレームを入れる異例事態
羽柴秀吉と柴田勝家による事実上の天下分け目の戦いであった、天正11年(1583)4月の賤ヶ岳合戦。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第32回「賤ヶ岳の決闘」(8月23日放送)には、次のような場面があった。最初は柴田(山口馬木也)方にくみしながら、羽柴(池松壮亮)方に寝返った前田利家(大東駿介)が、羽柴方だったのに柴田方に寝返った中川清秀(すがおゆうじ)を刺殺したのである。
これは筆者が「豊臣兄弟!」を見てきたなかで、三指に入る衝撃的な場面だった。言い換えれば、通説と違いすぎる「ありえない場面」であった。大岩山砦(滋賀県長浜市)を守っていた清秀が、柴田方の佐久間盛政に急襲されて戦死したのは、秀吉直筆の書状などによってもあきらかで、後述するように、状況証拠的にも秀吉を裏切ったとは到底考えられない。
だからすぐに、史実歪曲が目に余る旨をデイリー新潮に書いたのだが、清秀にゆかりがある地域の人たちも同じ思いだったようだ。8月28日、大分県竹田市と大阪府茨木市が合同でNHKに、清秀の描き方が「史実とかけ離れている」ことに「遺憾の意を禁じえない」と文書で伝えたという。茨木市は居城の茨木城があった清秀ゆかりの都市。また、竹田市にある岡城は、清秀の次男で家督を継いだ秀成が城主となり、明治維新を迎えるまで中川家が代々、岡藩主を務めた。

両市はドラマの制作に際して脚色や演出を加えるのは、「表現の自由」だとしながら、「歴史をモチーフにした作品では、できるかぎり正確な史実を尊重することを願う」と求めたという。筆者も同意見である。
■脚本家は何をしているのか
歴史をモチーフにしたドラマの制作に、フィクションの挿入は避けられない。ある人物の行動を描くにも、歴史的状況を描くにも、史料に記されていることは全体のごく一部であり、むしろ大半をフィクションで埋めなければドラマにならない。フィクションだという理由で批判されるいわれはない。史料等で確認できる内容を軸に、いかにその人物らしく、時代状況に照らしていかに自然にフィクションを創り上げるか。そこに脚本家や制作サイドの力量が問われる。
だが、史料等に明記され、そのほかの状況からも史実と認定できることを、史実と正反対に描写するなら、新史料の発見や新解釈の提示など、具体的な根拠が求められる。それなくして、単にドラマを盛り上げるために史実と正反対に描くのはいただけない。歴史への誤解が助長され、今回のように、描かれた人物とゆかりがある人たちに、遺憾の意を強いることにもなってしまう。
とりわけ中川清秀は、味方のために必死に戦って討死したのに、敵に寝返って味方に損失をあたえたように描かれ、名誉が著しく毀損(きそん)された。440年前の出来事だから実感が湧きにくいかもしれない。

だが、ウクライナ戦争で祖国を防衛中に戦死した将校のことを、ロシアに寝返って祖国に損失を与えた挙げ句、ロシアからウクライナに投降した将校に殺されたと描いたりすれば、ウクライナ国民は黙っていまい。そういう描き方だったのである。
■秀吉を裏切るはずがない
中川清秀が忠義の武将だったというつもりはない。賤ヶ岳合戦の4年半ほど前、荒木村重が信長に反旗をひるがえして有岡城(兵庫県伊丹市)に籠城した際、村重の背中を押したのは清秀だったとされる(『立入左京亮入道隆佐記』)。それなのに、籠城から1週間もすると織田方に寝返り(『信長公記』など)、村重に大きなダメージをあたえた。
この逸話をもとに、「豊臣兄弟!」は清秀を裏切り者に仕立てたのかもしれない。だが、賤ヶ岳合戦においては、最後まで奮戦した様子を記した史料はあっても、裏切ったと書かれた史料は存在しない。それに裏切る理由が存在しない。
村重は明智光秀討伐における最大の功労者の一人である。近年、発見された秀吉の書状によれば、秀吉は光秀に勝利した山崎合戦に間に合わなかった(中京大学の馬部隆弘教授による研究・調査)。実際に戦ったのは、中川清秀のほか池田恒興、高山右近という、摂津を治める3人の武将で、彼らが光秀を敗走させたという。
同じ内容は、イエズス会宣教師のルイス・フロイスも『日本史』に記しており、研究者たちが採用していなかった宣教師の記録が、期せずして秀吉自身の書状により裏づけられた格好だ。
ただでさえ清秀はこの合戦における功労者だが、秀吉が間に合っていなかったなら、清秀はまぎれもない秀吉の恩人であり、秀吉にくみしているかぎり出世が望めただろう。そういう人物が秀吉を裏切るなど、到底考えられない。
■なぜNHKは平気で名誉を毀損するのか
戦国武将等のゆかりの地を訪れると、「北条五代を大河ドラマに」「大河ドラマで宇喜多秀家を」など、各地で誘致運動が行われている。大河ドラマの影響は大きく、町おこしや観光誘致に直結するからである。そうした影響力は、各地から要望が寄せられているNHKこそが、よく承知しているに違いない。
言うまでもなく、各地は大河ドラマの「正の効果」に期待するから、地元ゆかりの人物を取り上げるように要望する。だが、最後まで奮戦して戦死した人物を、あざとい裏切り者として描けば、地元にもたらされるのは反対に「負の効果」になってしまう。観光にマイナスになったり、町のイメージ悪化につながったりもしかねない。影響力があるとはそういうことなのに、NHKはなぜ歴史上の人物だからと平気で名誉を毀損するのか。
史実を歪曲する影響は、当該の人物にゆかりがある町にダメージをあたえるだけではとどまらない。過去の時代に対する根本的な誤解につながってしまう危険性がある。
■他にもある「豊臣兄弟」のおかしな描写
2023年放送の「どうする家康」には、以下の場面があった。
徳川家康(松本潤)が妻の築山殿(有村架純)から、「私たちはなぜ戦をするのでありましょう」と問われ、「考えたこともない」と答えたのだ。しかし、領国の境界が常に敵の脅威にさらされ、戦わなければ敵の侵攻を許すばかりか、配下の領主たちがすぐに離反してしまうのが戦国の現実だった。戦をする理由を「考えたこともない」武将など、たちまち滅ぼされてしまった。
また、家康が「民が苦しめば、隣国から奪い合うしかない」というと、築山殿は「奪い合うのではなく、与え合うのです」と答えた。現代なら理想かもしれないが、戦国の現実のなかではファンタジーにすぎない。ところが、ドラマでは家康も重臣たちも彼女の話に共感し、受け入れてしまった。こういう描写をすると、戦国という時代に対する誤解が広がってしまう。
「豊臣兄弟!」にも、戦国時代の常識を超越した描写があった。たとえば第17回「小谷落城」(5月3日放送)での、浅井長政(中島歩)の切腹シーン。長政の近くにいた小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)は、直前まで必死に「生きてくだされ」と訴えたのに、いざ腹を切る段になっても介錯を申し出ない。
長政がもう生きられないなら、その尊厳をたもつ方法は、あの時代においては介錯なのに、長政が腹を切って苦しんでいるあいだ、長政の妻の市(宮﨑あおい)に具にもつかないことを語っている。かなり時間が経ってから、市が呻吟する夫のもとに赴き、介錯したが、介錯とは女性の手に負えるものではなかった。
これも当時の常識に照らせば、長政の名誉を毀損する描写だった。
■柴田勝家が“飛び降り自殺”するわけがない
そして第33回「北庄城の別れ」(8月30日)放送。北ノ庄城(福井市)の天守最上階に追い詰められた柴田勝家は、藤堂高虎(佳久創)ら追手に「よお見ておけ、これが戦じゃ」と告げると、妻の市と手をつないで身投げした。
しかし、柴田勝家がどのように死んだか、史料には明記されている。秀吉の書状にも『柴田退治記』などの軍記にもフロイスの書簡にも、以下の描写は共通している。勝家は妻の市らを刺殺したうえで、自分の死にざまを目に焼きつけるように告げると、腹を十文字に切った。それを見た家臣ら80人も、追って腹を切った――。
勝家が市を刺殺後に切腹して果てたのは、動かしがたい史実と思われる。それなのに「豊臣兄弟!」では、おそらくより印象的な場面を追求した結果だろう、勝家夫妻が身投げするという奇抜な場面を創造した。これが単に史実に反するだけなら、まだ救いがあるが、戦国時代の常識を大きく逸脱しているから問題がある。
当時の武士にとっての名誉ある自死は切腹で、ほかに選択肢はなかった。自分の腹を切って命を絶つ行為は、最高度の勇気を示すもので、武士としての誇りとともに家の名誉をたもつためのものだった。
また、古来魂が宿る場所とされた腹をみずから切り裂く行為は、自身の潔白や高潔さを示すものでもあった。
■非常識な描写の連続
戦国の世に身投げがなかったわけではない。だが、それは刀を使えない女性や子供、負傷した将兵が、敵に追い詰められた際、捕縛されないように選んだ道だった。勝家のように名誉を重んじる古武士のような武将が身投げをすることなどありえない。勝家は「これが戦じゃ」といったが、身投げは断じて彼らにとっての「戦」ではない。仮に勝家がこの場面を見たら、あまりにひどい名誉毀損に憤死してしまったのではないだろうか。
また、勝家は市に「最後までお守りいたします」と告げ、追い詰められるまで連れ回したが、戦国時代、女性や子供は追手が迫る前に男が刺し殺すのが通例だった。一人で死ぬのは困難であり、敵に捕らえられてひどい仕打ちを受けるのを避ける目的もあった。
つまり勝家の最期は、史実が歪曲されただけでなく、戦国時代にはありえない描写の山だった。印象的な場面だったから、なおさらたちが悪い。映像が視聴者の脳裏に強く深く刻まれ、長期記憶になりやすい。その分だけ歴史への誤解も強く深く浸透する。
時代考証の担当として専門家が2人もついていながら、なぜここまで非常識な描写が許されるのか。理解に苦しむが、影響力が大きいだけに、NHKは史実を尊重する方法や、フィクションの創作方法について、ゼロベースで検討しなおすべきではないだろうか。

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香原 斗志(かはら・とし)

歴史評論家、音楽評論家

神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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