■駅から10分、住宅地にあるワイナリー
東京23区の北の端、練馬区。西武池袋線・大泉学園駅から10分ほど歩くと、その小さな建物は見えてくる。2014年に越後屋美和さんが38歳で立ち上げた、都内初の「東京ワイナリー」だ。
現在東京にあるワイン醸造所は7つほど。以前ほど珍しくはないが、12年以上前に越後屋さんが着想したときには、「絶対にムリ」と多くの人に一蹴された。
ワイナリーといえば、山梨や長野など広大なぶどう畑に隣接しているのが一般的だ。小さな農地しかない東京で開くなんて、「夢物語」だと思われたのだろう。
しかも、ワイン造りにはお金がかかる。1億円以上といわれた創業資金、ぶどうの調達、販路の確保など、難しい課題が山積していた。だが、越後屋さんはその一つひとつを猛烈な勢いでクリアし、2年足らずの準備期間で東京ワイナリーをオープンさせた。
■黒字経営を続けられる理由は?
設立から10年以上、小規模ながらも黒字経営を続け、2019年からは自社農園でぶどうの栽培も開始した。練馬産ぶどう100%の「ねりまロゼ」は予約だけで完売。契約農家のぶどうで造る「練馬ヌーボー」、東京のぶどうをミックスした「東京スペシャル」なども発売数カ月で売り切れる。
国内ワイナリーの約5割が厳しい経営状況に置かれる中、醸造のプロでもぶどう農家でもなかった越後屋さんが多くの人に愛されるワインを生み出し、躍進を続けるのはなぜなのか。
ワイナリー開設までには、屈託のない笑顔からは想像もできない「苦難のオンパレード」があった。
■原点は「野菜のおいしさを知ってほしい」
「東京の野菜のおいしさを、もっとたくさんの人に知ってもらいたい」。これが、越後屋さんが都内でワイナリーを立ち上げようと思ったきっかけだ。ワインなのに野菜? と脳内に疑問符が浮かぶが、続きを聞いて納得した。東京産の野菜に合うワインを造って、同時に売り出そうと考えたのだ。
越後屋さんはもともとワインも好きだったが、それ以上に強い思い入れがあったのは「食」だった。栄養士の母親の影響か、幼いときから「食べ物は人間の根本」という意識があった。横浜市という都会で生まれ育ちながら、高校生になると自然や農業へと興味が広がり、「食を支えるのが農産物だから、そっちもおもしろそう」だと大学は農学部に進んだ。
大学卒業後の2000年、環境コンサルティング会社に就職した。上司が「良いお店」に飲みに連れて行ってくれたことで、ワインに目覚めたのがこの頃だ。しかし3年ほどで会社の経営が傾き始める。そこで大学の友人に紹介されたのが、都内の仲卸市場である大田市場だった。
■23区で最も農地が広い練馬の農家と出会う
仲卸とは、農家から卸売業者が買いつけてきた商品を仕入れて小分けし、スーパーなどに販売する仕事だ。越後屋さんが転職したのはちょうど、制度改正で仲卸業者と農家の直接取引が可能になった時期。
折しも有機野菜やオーガニックの人気が高まり、地産地消ブームが起こっていた。越後屋さんは、都内の野菜農家の新規開拓を任される。東京といっても23区から市町村部まで幅広い。いくつか声をかけた中で最初に会ってくれたのが、現在の東京ワイナリーから程近い、練馬の農家だった。練馬は23区内で農地面積が最も広く、都市農業が盛んな地域だ。
初めてその畑で食べた野菜の味は、今でも忘れられない。
「労力を惜しまず、丁寧に作られた野菜だけが持つ、おいしさでした。絶対に多くの人に食べてほしいと思いました」
しかし、農家のガードは「めちゃくちゃ硬かった」と越後屋さんは振り返る。契約を打診しても、新しい取引先は必要ないと素っ気なかった。もちろん越後屋さんも、簡単には引き下がらない。足繁く農家に通い、話を聞き、熱意を伝えた。
信頼関係ができると、自ら栽培した野菜だけでなく、近隣の農家や飲食店も紹介してくれるように。瞬く間に地域へとネットワークが広がっていった。
気づけば、プライベートでも練馬に足が向かっていた。そして、越後屋さんの中に「ある気持ち」が芽生える。自分で仕事を立ち上げて、東京の農業を盛り上げたい。どうせやるなら、自分の好きなもので勝負したい――。そこで浮上したのが、ワインだった。
■36歳で描いた「クラフトビールのワイン版」
越後屋さんがイメージしたのは、「クラフトビールのワイン版」。当時、各地にマイクロブルワリー(小規模醸造所)が並び始めていた。これをワイナリーにしたら……と想像すると、次々にアイデアが浮かんでくる。東京のぶどうでワインを造り、一緒に野菜のメニューも出そう。すぐにヒントになりそうな店舗に赴き、情報収集を開始した。2012年、越後屋さんが36歳のときだ。
実は、このとき越後屋さんは既に大田市場を退職し、メガネの輸入・販売会社に転職していた。農家との付き合いは続けながら、「いろいろなことを経験したい」と異なる世界に身を置いたのだという。
そして、ワイナリーの創業直前までこの仕事を続けた。自ら事業を起こすにはそれなりの元手が必要になる。平日は仕事で資金を貯め、休日は全国を飛び回ってリサーチや準備に励む。慌ただしい生活を送っていた。
■年間6000リットルが「果実酒製造免許」の条件
ここで、ワイナリー開設のために必要な資格について紹介しよう。日本でワインを醸造・販売するためには、「果実酒製造免許」を取得する必要がある。所管税務署に申請書を提出し、厳しい審査を通過しなくてはならない。年間6000リットル、750mlビンにして8000本という最低醸造基準も設けられ、申請書には詳細な事業計画が求められる。
ワイン造りも事業運営も素人だった越後屋さんは、まさにゼロからの出発。事業計画作りのために都が主催する起業塾に通い、全国のワイナリーやぶどう農家を視察した。
とにかく多くの場所に足を運び、たくさんの人と会った。そこで「東京でワイナリーを作りたいんです」と名刺を配ると、「頑張って」「応援しているよ」と言ってくれる人もいた。
しかし、ワイナリー関係者に同じ話をすると、まったく異なる反応が返ってきた。「東京でワイナリーなんてできるわけがない」「自分は免許取得に10年かかった。素人にはムリ」と散々な言葉ばかり……。現実をよく知るプロにそこまで言われて、諦めようとは思わなかったのだろうか。
■「絶対ムリ」と言われて燃える天の邪鬼精神
「もともと天の邪鬼な性格なんですかね。『絶対ムリ』と言われると、なんでそう言い切れるの、やってみなくちゃわからないじゃん、っていう気持ちになるんです(笑)」
準備を進めるうえで、市場時代に築いたネットワークが役に立った。全国の農家とのツテをたどってぶどう農家を紹介してもらい、顔なじみの小売業者や飲食店から販売協力も取りつけた。1億円超えといわれた醸造機械は、手作業を前提に必要最低限の設備にすることで費用を2000万円以内に抑え、自己資金と補助金、借入でどうにかめどがついた。
最も苦戦したのは醸造技術の習得だ。「教えてほしい」と頼んだ20人以上に断られたが、ここでも「人の紹介」が越後屋さんを救う。親の友人が偶然ワイナリーの関係者で、マルス山梨ワイナリーの畑でぶどうの栽培を手伝えることになったのだ。
■日本で唯一の「お酒の研究所」で研修
そして、そこで知り合った人を通して、広島にある日本で唯一のお酒の研究機関、「酒類総合研究所」の存在を知る。さっそく訪ねると特別に長期で研修してもらえることになり、2013年の夏から秋にかけて醸造技術を学んだ。
動いて動いて動きまくった結果、なんとか醸造免許の申請書が整った。越後屋さん37歳の2014年3月、書類を提出。あとは認可が下りるのを待つだけ――かと思いきや、そこからさらに激動の半年間が待っていた。
まず、醸造免許の申請書は、「一度提出したら終わり」ではなかったのだ。税務署から追加資料の提出が求められることも度々で、その対応に追われた。加えて、審査結果がいつ出るのかはわからない。数カ月のこともあれば、1年以上かかる場合もある。それほど待ったとしても、免許が交付されない可能性も十分にある。
にもかかわらず、だ。越後屋さんは数カ月後に「免許が取得できる」という前提で、2014年シーズンに醸造を開始する計画で動いていた。日本では、ワイン造りがスタートするのは9月頃が多い。だが、東京産のぶどうは収穫時期が早く、東京ワイナリーでは8月に醸造開始を予定。それに合わせて機械も揃え、ぶどう農家とも正式に契約していた。
■8月半ば、ぶどうは届いたが免許はまだ
そして、あっという間に8月半ば――。東京の農家から「そろそろ収穫する」という電話がかかってきた。税務署からの連絡は、まだない。問い合わせても、「審査中なので答えられない」の一点張り。無免許では醸造できないが、ぶどうも待ってはくれない。どうしよう……。悩んだ末に、届いたぶどうは一旦冷凍することに。
9月に入ると、東京以外の農家からも「収穫したい」との声が届いた。状況を伝えて「もう少しだけ待ってください」と頭を下げる。焦りから何度も税務署に電話をかけた。さすがにもう間に合わないか。醸造断念という現実がよぎり始めた9月中旬、越後屋さんの携帯電話が鳴った。「果実酒製造免許の審査が通りました」。電話を切ったあと、しばし呆然とした。
「とうとう東京ワイナリーが現実になったんだ」
この日を待ち侘びていたのに、まだ信じられない。ふわふわとした不思議な気持ちだった。
そして翌日から、怒涛のワイン造りが始まったのだった。
■「地域の人とみんなでワインを造りたい」
東京ワイナリーの醸造作業は、ボランティアなしには成り立たない。興味のある人は誰でもウェルカムで、当初はSNSを見て集まった人、現在は登録者が作業の中心を担う。ボランティアを募集したのは、スタッフを抱えるのが難しいという経営的な理由もある。だが、一番大きかったのは、「地域の人とみんなでワインを造りたい」という越後屋さんの思いだった。
ワイン好きや畑に興味のある人が集まって、わいわい話しながら作業する。自分が醸造に携わったワインを気軽に飲めるワイナリーを作りたかった。周りの友人も「やりたい」と言ってくれた。
とはいえ、実際に人が集まるかはまったくの未知数だ。免許の取得前から情報発信していたものの、ボランティアが集まる保証はない。「本当に来てくれるのかな……」という不安もあった。
ふたを開けてみたら、醸造初日から作業場に入りきらないほどの人が押し寄せた。先述のように、交付の翌日から醸造作業を始めたため、前日に大急ぎで「明日ワイン造りの手伝いに来れる人はいませんか」とSNSで情報を拡散。すると次々に手が挙がり、募集から5分も経たないうちに締め切る作業もあった。
年齢・職業を問わずたくさんの人が訪れ、中には「出張で東京に来たので」という沖縄在住の人さえいた。
■潰し方の違いが「ワインの複雑さ」を生む
さまざまな人が醸造に携わることは、ワインの味にも良い影響を与えていると越後屋さんは話す。
「赤ワインは最初にぶどうを茎から外し、潰す作業を行います。その潰し方一つとっても、じっくり丁寧な人もいれば、ぱぱっとスピード重視でやる人もいる。そういう違いが混ざり合うことで、ワインの複雑さや個性が生まれると感じます。人の手にしか出せない風味というか」
一般的な醸造家のイメージといえば、職人気質でストイック。他人を寄せつけず、自分のワインを突き詰める姿が思い浮かぶ。それと真逆をいくのが越後屋さんだ。
自分一人の理想を追うのではなく、参加した人がそれぞれ持ち味を発揮できる場を用意する。それが、ワインのオリジナリティや「東京ワイナリーらしさ」を生み出していく。彼女が理想とするのはむしろ、「一人では決して造ることのできないワイン」なのかもしれない。
■初醸造のワインは「想像以上の出来」
2014年に初めて醸造したワインは、想像以上の出来だった。質、量ともに納得のいくワインが完成し、越後屋さんは満足感で満たされた。今から振り返れば知識や経験不足は否めないものの、当時は胸を張って送り出せる「おいしいワイン」が完成し、それを届けられることに大きな喜びを感じた。
「東京ワイナリーらしさ」を語るうえで忘れてはいけないのが、独特の醸造方法だ。筆者の印象では、東京ワイナリーのワインは、他のワインに比べてぶどうの味や香りが際立っているように感じる。飲み口はフレッシュで切れ味が良いが、単にすっきりしているだけではない。深みや苦味などがわずかに舌に残り、農産物特有のミネラル感がある。
この味を生み出しているのが、いわゆる「生ワイン」と呼ばれる製法。通常、ワインをビン詰めする前に経る「濾過」や「清澄(せいちょう)」と呼ばれる工程を、東京ワイナリーでは行わない。これらの作業で細かい果肉片や濁りを取り除くと、苦味が消えて透明度の高い美しいワインが出来上がる。だが、越後屋さんは「同時に旨みも失ってしまう」と感じていた。
■濾過も清澄もしない「生ワイン」の製法
「研修で濾過する前後のワインを飲み比べたとき、濾過前のワインのほうが断然魅力的だと感じました。旨みと一緒に雑味も残りますが、味に複雑さが出るんです。『地元野菜に合わせて楽しむワイン』という東京ワイナリーのコンセプトにぴったりでした」
東京ワイナリーでは、加熱処理も行わない。酸化防止剤もごく少量しか使わず、8~9割のワイナリーが発酵を促すために投入している「市販の酵母」も加えない。以前はどちらも使用していたが、徐々に切り替えた。「できるだけ自然なままの味わい」のワインを目指しているからだ。
市販の酵母が悪いというわけではない。ただ、入れるとワインがきれいに整いすぎて、「どれも似たような味」になってしまうという。ぶどうに付着している野生の酵母だけで発酵させたほうが果実味が残り、味も香りも独特のワインに仕上がるのだ。
2019年からは醸造だけでなく、練馬区内でぶどう栽培も行っている。ワイナリーを始めた当初は、「畑は契約農家に任せる」が越後屋さんの方針だった。それを変更してまで栽培に踏み切った理由は、大きく二つだ。
■創業5年足らずで畑が次々と住宅に変わった
一つは、ワイナリー周辺の畑が年々減少するのを目の当たりにしたこと。創業5年足らずで、あそこも、ここも……とかなり早いペースで農地が住宅に切り替わっていった。危機感を強めていたとき、絶妙なタイミングで新しい法律(都市農地賃借法)ができた。
それ以前は農家以外が都市農業に携わる方法はなかったが、この法律で農地の賃借が可能になった。東京ワイナリーが農家から畑を借り受け、ぶどうを栽培する道が開けたのだ。
二つ目の理由は、ワイン専用の品種で「東京のワイン」を造ってみたくなったことだ。東京ワイナリーが契約農家から仕入れる東京産ぶどうは、すべて食用で、シャルドネやメルローなど、ワイン専用品種はゼロ。ワイン用のぶどうは食用に比べて価格が安く、面積の狭い都市の農地で生計を立てるのは難しい。自分で栽培する以外には手に入りそうもなかった。
それなら、状況が整った今トライしてみようか。越後屋さんの「チャレンジャー精神」がむくむくと湧き上がってきた。
2018年中に農業委員会や区との複雑な手続きを終え、農家と賃借契約を結ぶ形で自社畑「Tetto」が誕生。名前の由来は畑の隣に鉄塔が立っているから。ぶどう栽培が始まったのが2019年2月だった。その後少しずつ周辺の農地へと広がり、2026年8月現在6カ所、約5000m2にまで増えた。
■シャルドネなど16種類、約5000m2の自社畑
栽培しているぶどうは、シャルドネ、ピノグリ、リースリング、メルロー、シラー、カベルネ・ソービニヨンなど16種類。収穫量は約2000kgと面積に対して多くはないが、ワイン用のぶどうには「肥沃すぎる」といわれる練馬の土壌で、「量より質」を求めて試行錯誤を続けている。
これらの畑のぶどうからできたワインが、「ねりまブラン/ルージュ/ロゼ」だ。2025年のねりまルージュ、ロゼはともに完売。筆者がありつけたのは「ねりまブラン」のみだった。ぶどうの味と香りが突出しているのは東京ワイナリーの他産地のワインと共通しているが、すっきりした酸味と深みが共存し、辛口なのにぶどうの甘味もはっきりと感じ取れる。飲んだことのないワインだった。
醸造と同様に農作業でもボランティアが大活躍し、収穫までの作業を越後屋さんとともに担う。1500人近くのメンバーが登録するほか、有料でぶどう栽培から醸造までを学ぶコミュニティ(栽培くらぶ)には約100人が参加する。
■約1500人が重労働の畑に集まるワケ
東京でぶどう栽培やワイン造りに関われる機会は珍しいが、農作業は重労働でもあるはずだ。それなのに、東京ワイナリーにこれほどの人が集まってくるのはなぜなのか。
そのナゾが解けたのは、ボランティアとの雑談だった。
取材中、ワインの醸造作業をするメンバーと話していると、東京ワイナリーに関わるきっかけに話題が及んだ。メンバーの一人は以前からワイン造りに興味があり、山梨の大手ワイナリーが主催する「ぶどう栽培体験」に月1回通っていたという。
そこでは、主催者から詳細な指示があり、「言われた通りに」作業するだけだった。消化不良な気持ちを抱えていると、別の参加者が、東京にはもっと自由にやらせてくれるワイナリーがあると教えてくれた。
実際に東京ワイナリーの栽培に参加すると、そこは完全な「別世界」。基本的なレクチャーはあるが、具体的な作業の判断はメンバー自身に任される。単なる「お手伝い」ではなく、自分で考える楽しさがあった。醸造にも携わることができ、ワイン造りの全体像が見えてくる。気づくと足繁く通うようになっていた。
■年間1万本を醸造、創業時の借入金は完済
越後屋さんは、「よくそこまで(農作業を)ボランティアに任せられるね」と農家の人から驚かれるという。ぶどうの収穫量を左右する重要な作業も、教えはすれど判断はメンバーに委ねている。「自分で考えて手を動かすことが、ワイン造りのおもしろさにつながると思うんです」とニコニコしながら話す。こうした彼女のスタンスが、多くの人を惹きつけているのだろう。
東京ワイナリーでは、年間1万本、約8000リットルを醸造している。生産量は多いほうではないが、造ったワインを着実に販売し、黒字経営を続けている。創業時の借入金は数年前に完済。国税庁によると、国内ワイナリーの約半数が赤字に近い状況の中、安定して事業を継続している。
東京産のぶどうで造るワインは全体の約2割だが、人気が高くよく売れる。先述の「ねりまブラン/ルージュ/ロゼ」は750mlで3500円(税込)。一般的に出回る輸入ワインや東京ワイナリーの他のワインと比べても、決して安くはない。それでも地元では、自宅用のほか、贈り物やお土産として購入する人が多いという。
■区外のレストランからも「東京産」の依頼
飲食店からも「東京産」のワインを扱いたいという要望があり、区外のレストランやビストロなどからも依頼を受ける。練馬区のお祭りやイベントにも積極的に参加し、そこでの売り上げもプラスになっている。
「特別な日だけでなく、デイリーに飲めるワインを造りたい」という越後屋さんの思いから、東京産以外のワインは750mlを2200円前後で販売する。当初は1000円台で販売してきた。しかし、昨今の資材の高騰や物価高もあり、値上げを余儀なくされた。
また、店舗限定で「量り売り」も行っている。空の容器を持参すると、赤・白ともに200円/100mlで希望の量を購入できる。
取材でワインの価格に話題が及んだとき、耳を疑ったのがその「値づけ」の方法だ。「何の計算もせずに、ざっくり決めている」という。一体どういうことなのか。
「自分が飲みたい金額で販売するのが私のモットーなんです。『このワインをいくらで飲みたいか』と考えて値段をつけています。仕入れ額が○○円で……という計算はしたことがありません」
■「自分が飲みたい金額で販売」がモットー
ぶどうの仕入れ価格は、産地や品種ごとに異なる。例えばシャルドネとデラウェアの場合、シャルドネのほうが高い。それでも越後屋さんは、仕入れ価格だけで前者のワインを高く販売することはしない。あくまでワインの完成度、味を確認し、「自分が飲みたい価格」で決める。「今のところ、それで税理士さんもOKだと言っているので大丈夫だと思います」とほがらかにつけ加えた。
こうした越後屋さんの一見「型破り」に見えるやり方が、多くの人にムリだと言われた「東京初のワイナリー」を可能にしたのだろう。
2014年の創業から12年、安定かつ持続的にワイン醸造と販売を続ける東京ワイナリー。店舗では、週末限定で旬の東京野菜を使ったおつまみとワインを提供する「昼呑み」メニューも展開中だ。かつて描いた「東京の農業を盛り上げ、地域の人と農地をワインでつなぐ」役割をしっかり果たしているように見える。
■店舗込み70m2、「いいご縁」があれば移転も
しかし、越後屋さんはまだ満足していない。ねりまワインの生産量を増やし、自社畑も広げたい。これまでワインを飲んでこなかった人にも「東京のワイン」を知ってもらいたい。醸造面でも販売面でも、まだまだやりたいことはたくさんある。
とはいえ、今の規模では限界も見えている。ワイナリーは店舗も含めて70m2で、醸造場所はその半分の35m2。これ以上の増産は難しいのが現実だという。移転も視野に入れてはいるが、「いいご縁があるときに動く」ものなので、今すぐにとは考えていない。
思えば、越後屋さんの人生にはいつも、「人との縁」があった。就職や転職、ワイナリー、研究所での醸造研修。ピンチになるとその都度新しい方向を示してくれる人が登場し、猛スピードでその道を進んできた。
次々に「良縁」がもたらされるのは、越後屋さん自身が「人」を大切にしているからだろう。それは、ボランティアメンバーへのまなざしにもよく表れている。自分の利益や理想のために人を動かそうとはしない。「その人らしさ」が発揮できる環境を大切にする。それぞれの個性が混ざり合って生まれるものを、おもしろがる。
こうした越後屋さんの姿勢に吸い寄せられるように人が集まり、東京にしかないワインが造られる。たくさんの人に囲まれて、今日も越後屋さんは、畑にワイナリーにと走り回っている。
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川崎 ちづる(かわさき・ちづる)
ライター
子どもの頃から社会の「普通」に疑問を持ち続け、大学時代に環境・開発分野でオルタナティブを実践する人たちに出会って自身も参加。以来、様々な方法で携わる。現在はフリーのライターとして、サステナブル、地域、教育分野などで新しい選択肢をつくる人たちの挑戦を記事にしています。2児の母。
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(ライター 川崎 ちづる)

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