「身の程を知ってみたかった」元広島・木村昇吾が振り返るFA宣言からの“セルフ戦力外”「レギュラーで試合に出たかった」(3)

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2002年のドラフト11位で横浜ベイスターズ(現DeNA)に入団した木村昇吾氏。



広島カープ、西武ライオンズを渡り歩いた後、2017年に自由契約を言い渡された彼は、クリケット選手に転向。

インドやオーストラリア、スリランカなどに渡ってプレーを続け、クリケットの日本代表チームでも活動している。



そんな木村氏に大きく飛躍を遂げた広島カープで過ごした日々や、FAを宣言するもなかなか移籍先が決まらずに「セルフ戦力外」を味わった経験を振り返ってもらった。



「尊敬する野球選手」だった前田智徳さんとチームメイトに



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画像: (C)JUN.S

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――2007年オフに横浜から広島にトレードで移籍し、2008年は新天地でスタートを切ることになりましたが、当時の広島はどのようなチームでしたか?



僕が噂に聞いていた広島カープは、キャンプは午前中にひたすら走り込んだりするとか、厳しくハードな印象でしたけど、移籍した当時はマーティ・ブラウン監督が指揮していたこともあって、そこまでではなかったように感じました。



マーティは「練習中に全てを出し切れ」と、アメリカ流の指導をしてくださったんですけど、僕は新天地で気持ちを新たに迎えたシーズンでしたし、やる気に満ち溢れていたこともあって、チーム練習を終えると、前田智徳さんや緒方孝市さんらの大ベテランが延々と打撃練習を続けている横で、個人練習に励んでいました。



――前田智徳さんは天才打者として鳴らしましたが、引退後は「スイーツおじさん」としてもご活躍されています。当時の前田さんは、木村昇吾さんの目にどのように映りましたか?



本当の前田さんは、「スイーツおじさん」としてご活躍されている引退後の姿なのかなと僕は思っています。



高校を卒業して1年目から活躍し、「天才」と呼ばれるようになってしまった背景もあって、きっと寡黙にならざるを得ない部分があったんじゃないのかな。



広島カープは広島の戦後復興の象徴でもありますし、市民にとってかけがえのない存在ですから。きっと色々なご苦労があったように推察しています。



個人的なことですが、僕は高校時代に尊敬する選手の欄に「前田智徳」と書いていたんですよ。そのような方とベンチでは冗談を言い合ったり、色々なことを学ばせてもらったりしながら、一緒にプレーできた。その経験はかけがえのないものですし、今となっては広島にトレード移籍してよかったのかなと感じます。



――そんな木村さんも広島に移籍後は活躍の場を広げていきます。



当時最下位だった横浜で、レギュラーを取れなかった僕が、まさか他チームに欲しがられるとは思わなかったので、入団当初は、「まずは広島で活躍できるように頑張ろう」という思いでした。



**――2010年には70試合に出場して打率.324、1本塁打、11点の活躍を見せると、2011年には
106試合に出場。そして62試合に出場し、打率.325 、1本塁打、12打点、3盗塁の成績を残した
2013年には、チーム初のクライマックスシリーズ進出に貢献されました。**



初めてクライマックスシリーズに出場した年に、僕はサードのレギュラーだったので、広島県の学校で配られる道徳の教科書に載っていたりするんです。今振り返るとあの年は「よう打ったな」と思いますし、チームは前年にクライマックスシリーズ進出を逃した悔しさも味わっていたので、勢いを維持したままシーズンの終盤を戦うことができました。



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(C)本人提供



――シーズン3位で終えた広島は、クライマックスシリーズの第1ステージで2位の阪神に2連勝し、第2ステージ進出を果たします。



僕らの方が順位は下でしたが、阪神よりも勢いはありましたし、チーム状態も良かったので、負けるような気はしませんでした。普段は阪神ファンばかりの甲子園球場にも、多くのファンが詰めかけてくださって。



球場の半分が真っ赤に染まるスタンドの声援を受けてのプレーは本当に心強かったですし、改めて振り返ってみると、普段のローグ線とは異なる異様な雰囲気で。その様子を見ただけで「これは勝てたな」と感じました。



――その予想は的中し、2連勝で第1ステージを制しました。



試合を終え、レフトスタンドにチーム全員で挨拶に向かって頭を下げると、阪神ファンの方からも「絶対に巨人に勝てよ!」とか「頑張れカープ」と声をかけてくださって。

まるで優勝したかのような本当に素晴らしい雰囲気で、東京ドームに乗り込んだんですけど……。東京ドームでは巨人に3タテされて終わってしまって(苦笑)。日本シリーズに出場することはできませんでした。



レギュラーとして野球をしてみたかった



――そして2015年オフにはFA宣言し、移籍を決断されました。翌2016年は広島が1991年以来のリーグ優勝を手にしますが、なぜチームを離れる道を選ばれたのですか?



僕自身は「なりたい木村昇吾」を目指して野球を続けてきて、チームで活躍の場を掴み、規定打席には到達できなかったものの、シーズンを通して打率3割を2度記録することもできました。



チームから実力を高く評価していただいていることは身に沁みて感じていましたけど、それでもレギュラーとして試合に出続けることはできなかった。



チーム内のバランスや、僕自身が担う役割などは理解しつつも、「環境を変えないと自分自身が成長出来ないな」と感じていたこと。



「ベテラン」と呼ばれる年齢に差し掛かる中、「あとこの先どのくらいプロ野球選手を続けられるんだろうか?」などと考えていたタイミングで、FA権を手にすることができたこと。



そして何より僕にとって一番大きかったのは、後々に後悔を残したくないという気持ちでした。



(FA宣言の際は)黒く大きな球体の様な重たい何かに押し潰されそうな感覚を味わったり、何に悩んでるのか分からなくなるくらいになるまで真剣に悩んだりする辛い日々を過ごしましたし、決断に至る判断材料も一つではありませんでしたけど、覚悟を持ってFA権を行使することに決めたんです。



。ただ、チームを見渡すとセカンドは菊池涼介、ショートは田中広輔、サードはヘクトル・ルナ、ファーストにはベテランの新井(貴浩)さんがいる。外野に目を向けると、成長著しい鈴木誠也に、丸(佳浩)、エルドレッド、松山竜平……。

実際にはルナが怪我をして、安部(友裕)ちゃんがサードで出場することになりましたけど、もし仮にチームに残っていたら



FA宣言もオファーはなく「セルフ戦力外」に上手いこと言うなと思いました



――当時の広島カープはFA宣言後の残留を認めていなかったこともあり、FA宣言は他球団への移籍を意味しますが、獲得球団はなかなか現れずに交渉は難航しました。



広島カープには素晴らしい縁や恩をいただきましたし、強くなりつつあるチームの明るい未来も想像できましたけど、選手を引退するタイミングで、きっと「果たしてそれで良かったのだろうか?」と思っていたんじゃないかと思います。なので、今でもFA宣言したことを全く後悔はしていません。



ーー埼玉西武ライオンズのユニフォームに袖を通すことになりますが、FA選手としては異例のテストを経ての入団でした。



なかなか所属チームが見つからない状況に「セルフ戦力外」という新しいワードも作っていただいて、「上手いこと言うな」と思いましたよ(苦笑)。ネットには「身の程知らず」と書かれたりもしましたけど、まさにその通りで。



僕も身の程を知りませんでしたけど、知ってみたいからこそのFA宣言だったわけですし、「皆さんは、そんな的確に自分のことを知れているんだろうか?」と色々なことを感じました。



〈続く〉



取材:JUN.S

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