ザ・ストロークス(The Strokes)が通算7作目のアルバム『Reality Awaits』を7月24日に送り出した。『The New Abnormal』以来、約6年ぶりの新作で、プロデューサーは前作に続きリック・ルービン。
8月にはサマーソニックのヘッドライナーとして来日するとあって、日本のファンにとっては絶好のタイミングでのリリースだ。本稿では、「キャリア第二の全盛期の幕開け」と呼ばれた前作に続く待望の一枚を、サウンド、歌詞、ジャケット、そしてタイトルに込められた意味から読み解いていきたい。

いつだって早すぎるビジョナリー

今年のコーチェラ第一週のステージに立ったとき、ジュリアン・カサブランカスは少しばかり奇妙なTシャツを着ていた。Amazon Primeのロゴを模して、Crimeと描かれたTシャツである。ストレートに「かっこいい」とは言い難い、いかにもジュリアンらしいハズしたセンスが感じられる。と同時に、そこには暗に社会的、政治的な主張が含まれていることも嗅ぎ取れるだろう。改めて振り返ると、この奇妙なセンスと政治的主張の同居というのは、ストロークスのニューアルバム『Reality Awaits』そのものである。

ゼロ年代初頭に新たなクールネスを定義したストロークスは、しかし常に時代からは半歩……いや2、3歩、ときには10歩ぐらいズレたビジョナリーであり続けてきた。ミニマリズムに徹したガレージロックも(一作目『Is This It』)、80年代ポップ趣味も(二作目『Room on Fire』の「12:51」)、急激なヘヴィロック化も(三作目『First Impressions of Earth』の「Juicebox」)、リアルタイムで初めて聴いたときに最も際立っていたのは、その歪さだった。同時代の何にも似ていないので、一度では咀嚼しきれない。だがある程度馴染んでくると、その面白さがわかる。まだ誰にも見えていない何かをふと掴んできて、音にするようなところが彼らにはある。


各メンバーのソロ活動や別プロジェクトを追えばわかるように、このズレは基本的にジュリアンのセンスである。思い返せば2003年のサマーソニックにストロークスが出演した際、ジュリアンが映画『ゴーストバスターズ』のノースリーブTシャツを着ていて、どう反応していいかわからず戸惑った記憶がある。周囲の友人たちもそうだった。今やビンテージ映画Tシャツは人気だが、当時は「これはダサいのでは……?」と悩んだ。とにかくジュリアンは早いのだ。

『Reality Awaits』においても、ストロークスの奇妙なセンス/ビジョナリーぶりは存分に発揮されている。歌が激しく変調された6分超の美しいバラード「Falling Out Of Love」、トランペットを模したギター(?)が間奏で鳴り響くドラマティックな「Liars Remorse」、ショッピングモールでかかる音楽に擬態したような軽薄さが不気味な「Going Shopping」と、思わず耳を引かれる歪さが随所に見られる。

もちろん、ニック・ヴァレンシとアルバート・ハモンドJr.のツインギターが小気味よく絡む「Going To Babble On」のように、比較的オーソドックスなストロークスらしさを感じさせる曲もある。だが全体として、シンセともギターともつかない音色をそこかしこに忍ばせ、もはや新奇さなどないはずのオートチューンを臆面もなく多用し、曲の構成やアレンジも複雑怪奇に組み上げているのだ。

前作における「The Adults Are Talking」のように、親しみやすさと新しさが理想的なバランスで拮抗している曲を挙げるとすると、「Dine N Dash」になるだろう。ボーカルメロディの骨格はストロークスそのものだが、ドラムは簡素なリズムマシンを思わせる無表情さでハイハットを延々と刻み、彼らには珍しい質感のラウドなギターがポストパンク調のリフに被さり、唐突に冷たいシンセのようなサウンドも飛び込んでくる。どういう発想からこういうアレンジになったのか皆目見当もつかないが、それこそがストロークスらしさなのである。


奇抜さとポップさが見事に噛み合った前作の好調さは、本作にも確実に引き継がれている。先行シングルの時点で賛否両論が渦巻いていたものの、アルバム全体を聴けば、否定派も評価を改めるのではないか。少なくとも、メンバー全員がバラバラな方向を向いたまま作られた『Angles』の頃の混乱とはほど遠い。ただし全体のムードは、やや暗く、ヘヴィで、どこか不穏──それは後述する歌詞のテーマとも響き合っているように感じられる。

「Lonely In The Future」で、ジュリアンはザ・ウィークエンドやドレイクやハリー・スタイルズなどを想起させるフレーズを盛り込みながら、「俺はそれを昨日やった、何年も前にやった」と歌っている。「理解できないなんて残念、多分すぐ追いつくよ、遅くないうちに、未来にいるのは寂しいね」と。

同じ曲で「俺たちはみんな盗んでいる」とも歌っているので、ここにあるのは単純にパイオニアとしての自負だけではない。それでも実際、このくらいのことは歌っても許されるほど、彼らは誰よりも先んじて様々な挑戦をしてきた。今は刺激的であると同時に奇妙にも映る『Reality Awaits』のサウンドも、未来から見ればもっと容易に理解できるに違いない。とにかくジュリアンは早いのだから。

ポリティカルな問題意識と搾取の構造

今年のコーチェラ第二週のセットの最後、ストロークスは「OBLIVIUS」を演奏した。背後の巨大スクリーンに流されていたのは、その死や失脚にCIAが関与したことが証明されている、あるいは疑いがある世界の指導者たちのモンタージュ映像だった。
先述したジュリアンのAmazon ”Crime”のTシャツを含め、彼らが世界中から注目されるステージで政治的主張を強く打ち出したかったのは間違いない。5月末にオックスフォード大学の伝統的な討論団体、オックスフォードユニオンで開催されたジュリアンの講演でも、様々な政治的、社会的イシューが積極的に語られていた。

『Reality Awaits』には繊細な失恋ソングもあるし(「Falling Out Of Love」)、ジュリアンらしく解釈の余地を残した歌詞も多い。なので、これをポリティカルなアルバムだと言いきってしまうのは乱暴だが、一方で、随所に彼の社会的、政治的な問題意識が垣間見られるのも確かだ。

もっともわかりやすいのは「Going Shopping」だろう。ジュリアンはさらっとこんなふうに歌う。

「現実がひどくなればなるほど、それについて聞きたくなくなる。素敵なものを失いかねないとなると、連帯というのは難しい」。

つまりこの曲では、現実逃避としての消費=ショッピングが皮肉たっぷりに歌われている。現実を直視するのか、目をつむって流されて生きるのか、という問いかけだとも言えるが、面白いのは歌詞の語り手も楽しいショッピングの誘惑から逃げきれていないということだ。しかもそのメッセージは、先述の通り、ショッピングモールのBGMに擬態したような軽さの音に乗っている。

「俺は血を吸うヒル」と繰り返す「The Fruits Of Conquest(征服の果実)」、あるいは「愛しい人よ、俺は君のために殺してきた」と歌う「Tyrants Of The Mellow Moon(穏やかな月の暴君たち)」など、ジュリアンが搾取や支配の構造に言及していると取れる歌詞はいくつかある。
これらの曲から感じ取れるのは、自分も無自覚の共犯者や自覚的な加担者であり、しかもその構造から抜け出すのは簡単ではない、という意識だろう。

コーチェラでCIAを非難する映像を背景に、「OBLIVIUS」の「あなたはどちらの側につくのか?」という歌詞を歌い上げたとき、あまりに善悪の切り分け方がシンプルで、その片方を断罪する口調が強すぎることに戸惑った。しかし『Reality Awaits』でのジュリアンの手つきは、もっと繊細である。

カウボーイとプロパガンダ

『Reality Awaits』のアートワークが公開された際、「マルボロ?」と思った人も少なくないだろう。ジュリアン率いる別バンド、ザ・ヴォイズはマルボロのパッケージをパロディしたフーディを販売していたことがあるので、以前から彼のアンテナに引っかかっていたのは間違いない。だがもちろん、このジャケット写真はマルボロそのものではない。使われているのは、リチャード・プリンスの作品「Untitled (Cowboy) 1989」。彼は既存のイメージを流用して自身の芸術作品として発表するアプロプリエーションアートの代表的な作家の一人で、この作品はマルボロの広告の一部を再撮影したものである。

それにしても、この荒野を駆けるカウボーイはなんと魅力的なことだろうか。マルボロマンとも呼ばれるこの男性像は、自由や強い男性性、そして「古き良きアメリカ」を体現している。だがこの魅力的な男は、体に害のあるタバコを売るために作られた偶像だ。しかもカウボーイが体現する「古き良きアメリカ」自体、先住民から土地を収奪した西部開拓の歴史を英雄譚に語り直した神話である。
このジャケットには、幻想を売る広告と、その幻想の下に隠された負の歴史が同時に写り込んでいる。そう考えたとき、「Tyrants Of The Mellow Moon」に出てくる「盗んだ富はいつまで栄華をもたらすんだ?」という一節は、このカウボーイが体現しているものと重なって聴こえてくる。

バンドがリチャード・プリンスの作品をジャケット写真に採用した理由は明かされていない。ただジュリアンは、オックスフォードユニオンでの講演で、「権力側は広告やプロパガンダを利用して、人々を騙そうとしている」という趣旨の発言をしている。それを踏まえると、広告やプロパガンダに対する批評として機能するアート作品がジャケットを飾っていることが、単なる偶然だとは考えにくい。

可笑しいのは、最近のライブでジュリアンが、やたらと「イーハー!」と連発してファンを困惑させていることだ。ただの悪ノリと言えばそうだが、少なくともアルバムのジャケットの意味を考えた後では、このカウボーイを模した掛け声をただの無邪気な雄叫びとして聞き流すのは難しいだろう。

『Reality Awaits』タイトルの真意

最後に、『Reality Awaits』というアルバムタイトルについて考えてみたい。今作の中でrealityという言葉が歌詞に登場するのは一ヶ所のみで、先ほど引用した「Going Shopping」の「現実(reality)がひどくなればなるほど~」のくだりだ。つまり現実とは、楽しいショッピングに没頭することで人々が目を背けているものである。あるいは、広告やプロパガンダによって目を向けないようにされているもの、ということもできるかもしれない。

ジュリアンは、オックスフォードユニオンでの講演や『Subway Takes』というYouTube番組に出演した際、大企業が出資しているコーポレートニュースの偏った報道を鵜呑みにするのではなく、独立系ジャーナリズムにアクセスした方がいいと主張している。
「Lonely In The Future」でジュリアンが次に流行るものとして挙げているのも、独立系ジャーナリストのクリス・ヘッジズだ。コーチェラの映像で示したCIA介入の歴史は、彼にとっては、そんなコーポレートニュースの外側へ目を向けることで初めて見えた「現実」のひとつなのだろう。

こうして見ると「Reality Awaits(現実が待っている)」というタイトルは、広告やプロパガンダを鵜呑みにし、消費や娯楽に逃げ込んでも「現実」は消えることなくそこにある、という警告のようにも感じられる。テレビを消しても戦争は終わらない。だが裏返すと、このタイトルは、広告やプロパガンダに惑わされず、一人ひとりが主体的に動けば「現実」にアクセスできる、という前向きな意味合いにも取れる。しかも彼らは、人々に「現実を見ろ」と命じているのではない。ただ、主体的に動けば「現実」はそこで待っている、とだけ告げているのである。

ちなみに「~awaits」という言い回しは、「adventure awaits(冒険が待っている)」「paradise awaits(楽園が待っている)」など、旅行・観光分野の広告で使い古されたキャッチコピーである。そう、このタイトル自体もまた、広告の常套句を反転させた、「現実」へと人々をいざなうプロパガンダなのだ。

ザ・ストロークス新作『Reality Awaits』徹底解説 時代の先を行くバンドと「2026年のリアリティ」

ザ・ストロークス
7thアルバム『Reality Await|リアリティ・アウェイツ』
配信中
国内盤CD:2026年8月12日リリース
再生・購入:https://TheStrokesJP.lnk.to/RealityAwaitsRS

SUMMER SONIC 2026
2026年8月14日(金)・15日(土)・16日(日)
東京会場:ZOZOマリンスタジアム & 幕張メッセ
大阪会場:万博記念公園
※ザ・ストロークスは8月14日(金)東京会場、15日(土)大阪会場に出演
公式サイト:https://www.summersonic.com/
チケット購入:https://www.summersonic.com/tickets/tokyo/
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