連載第109回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
北中米大会でじつに14大会連続のW杯観戦になる後藤氏。
【ラウンド16以降、強豪同士のガチンコ勝負】
今年のW杯は、ラウンド32まで観戦して帰国した。
ラウンド16以降の熱戦を見ずに早々に帰国したのは、ドナルド・トランプ大統領下のアメリカにあまり長期に渡って滞在したくなかったこともあるし、現地にいても(費用面も含めて)移動が難しくて、あまり多くの試合を観戦できそうになかったからだ。
さて、日本に帰ってから映像で試合を見ていると、スタジアムで観戦している時のように大きな流れはつかみにくいが、プレーのディテールについてはよく見ることができる。
今年のW杯は参加国数が48まで拡大されたため、実力差が大きい試合も多く、グループリーグの間は「どうしても観たい」と思わせるような好カードは少なかった。さらに3位通過も可能だったために、ぬるい試合が多くなってしまった印象もある。もし「3位通過」がなかったとしたら、たとえば日本対スウェーデン戦の終盤などはヒリヒリするような真剣勝負になっていたはずだ。
だが、さすがにラウンド16以降ともなると強豪同士の顔合わせが増え、試合の熱量はグループリーグ段階とはまったく違う段階に上がった。
当たり前のことではあるが、強豪同士のガチンコ勝負の迫力はすごいし、世界最高クラスのFWとDFの1対1における虚々実々の駆け引きや、90分あるいは120分間互いにミスすることなく戦う精神的なタフネスぶりにも驚かされた。
そんな、当たり前のことに今さらながら気づかされたのは、日本代表チームが決勝トーナメントの戦いを視野に入れて戦えるようになったからなのではないだろうか。
つまり、上位同士の戦いはこれまでだったら"遠い世界の話"だったのに、今では日本がいつかは挑むべき身近なものになったのだ。そこに近づいたからこそ見えてきた、彼らとの"差"だった。
そんな感覚でW杯の映像を見ていて、ふと気がついた。
【28年前の感覚】
今から28年前、日本が初めて参加することになった1998年フランスW杯の時だ。
Jリーグが発足してから日本サッカーの強化が進み、1993年のいわゆる「ドーハの悲劇」でW杯出場は日本にとって悲願となった。そして、1997年のアジア最終予選の第3代表決定戦で、日本はイランを倒してついにW杯出場を決めた。
大会が近づいてくると、もちろん期待は大きく膨らんだのだが、同時に不安感も強くなってきた。
初戦の対戦相手は、W杯で2度の優勝経験(当時)がある強豪アルゼンチンだった。日本も1990年代に入ると欧州や南米の代表チームと戦うことが多くなり、親善試合(キリンカップ)でアルゼンチンと対戦したこともあった。
しかし、親善試合とW杯の真剣勝負は違うはずだ。「それなりに戦えるはず」と信じてはいても、「もしかしたら大敗するのではないか」という不安も頭をもたげてくる。
1995年に南アフリカで行なわれたラグビーのW杯では、日本代表がオールブラックス(ニュージーランド代表)に145点を奪われるという記録的な惨敗を喫していた。そんな悪夢がサッカーの日本代表にも起こってしまうのではないだろうか......。
日本代表の選手たちも不安を抱いていたに違いない。
なにしろ、当時の日本代表選手で海外のクラブでプレーした経験があるのは三浦知良(カズ)だけだった時代だ。
アルゼンチンのストライカーで、当時世界最高峰リーグだったセリエAで活躍するガブリエル・バティストゥータなどは、大谷翔平の言葉を借りればまさに「あこがれる」べき対象でしかなかった。
実際には、日本は健闘した。
こぼれ球をバティストゥータに落ち着いて決められて0-1で敗れたアルゼンチン戦でも、終了間際には同点にできる決定機を作った。続くクロアチア戦では、中田のロングクロスに中山雅史がドンピシャで合わせた先制機があった。
だが、結局クロアチア戦でも相手のエース、ダヴォル・シューケルに決められて、アルゼンチン戦と同じ0-1のスコアで連敗。この時点でグループリーグ敗退が決まった。
さらに日本はジャマイカにも1-2で敗れて、3戦全敗で帰国の途に就いた。
今だったら、日本がW杯で3戦全敗に終わったら、囂々(ごうごう)たる非難を浴びるに違いない。だが、当時は帰国時にエースだった城彰二が空港で水をかけられるひと幕があったものの、多くのファンが「よくやった」と好意的に出迎えた。
3試合とも1点差の負け......。
真剣勝負の場で戦ったからこそ見えてきた力の差だった。
【本気で決勝トーナメントを戦える位置へ】
それから28年、日本は一歩ずつ力をつけ、大会を追うごとに海外のクラブでプレーする選手の数は増えていった。日本はW杯での勝利を目指して必死に戦い、2002年の日韓大会ではホームアドバンテージを生かしてグループリーグを突破。2010年、2018年、2022年大会でもラウンド16に進出した。だが、いずれの大会でも決勝トーナメントの初戦で敗退していた。
この間、日本の目標はあくまでも「グループリーグ突破」だった。グループリーグの戦いには、ドラマがびっしりと詰まっていた。
日韓大会で日本が初のグループリーグ突破を果たした時、監督のフィリップ・トルシエは「あとはボーナスのようなもの」と語り、ラウンド16のトルコ戦でCKから先制を許してそのままあっさりと姿を消した。
それからも、必死に戦ってラウンド16にたどり着いた時には、その後の戦いを続けるための余力が残っていないこともあった。
だが、今大会の日本は初戦から決勝トーナメント以降を見据えて戦うことができた。
ラウンド32でブラジルのような強豪と当たってしまったのは不運だったが、それでも日本は1点を先制することには成功。南野拓実や三笘薫を欠き、さらに初戦のオランダ戦で久保建英までが離脱してしまったため、後半に入って攻撃的な交代カードを切れず、「早めのクロス」というおよそブラジルらしくない力技の前に最後は逆転されてしまったが、それなりの戦いは見せた。
その姿は、僕の頭の中で28年前のフランス大会のグループリーグでアルゼンチン相手に"善戦"して1点差で敗れた時の記憶と重なった。W杯という大会に初めて挑戦して敗れたのが1998年大会のアルゼンチン戦であり、決勝トーナメントという新たなステージに本気で挑戦して惜敗したのが2026年のブラジル戦だった。
日本は目標として「優勝」を掲げていたが、今大会のラウンド16や準々決勝の激しい戦いを見れば、残念ながら今の日本にはまだ本気で「優勝」が狙えるほどの戦力はない。だが、W杯への初めての挑戦だった1998年から28年かかって、日本はようやく本気で決勝トーナメントを戦える位置にまでたどり着いた。
ここから本気で「優勝」を狙えるだけの存在に成長するには、いったいどのくらいの時間が必要なのだろうか......。
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