今から15年前と言えば、高校野球の世界ではずいぶん昔のことのように感じる。
2011年夏の甲子園を制した日大三(西東京)の小倉全由監督をはじめ、帝京(東東京)の前田三夫監督、智辯和歌山の高嶋仁監督など、日本一を目指してしのぎを削った名将たちは、すでにグラウンドを去った。
また2011年夏の甲子園には、花巻東(岩手)の2年生・大谷翔平が出場していた。
【15年ぶりに監督として指導の現場へ】
この15年の間に、高校野球は大きく変わった。「エースと心中」と考える監督は減り、複数投手による継投が当たり前になった。投手には投球数制限が設けられ、低反発の新基準金属バットも導入された。そして今年からは、DH(指名打者)制が採用されている。
そんな変化の時代に、15年間現場を離れていた監督が、この夏、甲子園に戻ってきた。
小田浩は、広島商の3年生だった1982年夏、甲子園で準優勝。名門の二塁手として活躍したのち、順天堂大を経て保健体育科の教諭となった。1989年に西条農(広島)の監督に就任し、1991年、1993年夏に甲子園出場。2005年には開校間もない総合技術(広島)の監督に就き、2011年春には同校を選抜初出場へと導いた。
その後は野球部を離れ、校長も務めた。進学校として知られる市立福山(広島)では、広島商の元監督・迫田守昭らが指導の土台を築いてきた。
選手として甲子園で準優勝を経験し、監督としても甲子園に出場しているとはいえ、15年のブランクは決して小さくない。本人も「采配がちょっとさびついている」と苦笑していた。
それでも、広島大会決勝では母校・広島商に競り勝ち、市立福山を春夏通じて初の甲子園出場へと導いた。それまで夏の広島大会でベスト16が最高成績だったことを考えれば、まさに快挙と言っていいだろう。
甲子園で初戦の相手となったのは、夏の甲子園で通算49勝を誇っていた名門・天理(奈良)だった。市立福山は立ち上がりから好守でピンチをしのぎ、互角に渡り合う。
4回に天理の4番・金本相有(さんゆ)に本塁打を浴びて先制を許すと、6回に4点、7回にも1点を奪われてリードを広げられた。8回に2点を返して意地を見せたものの、2対7で敗れ、市立福山にとって初めての甲子園を終えた。
【監督就任100日あまりで甲子園の快挙】
試合後、小田監督はさばさばした表情でこう語った。
「(生徒たちは)初めての甲子園で、精いっぱいのことをやってくれたと思います。守備でもいいプレーがありましたが、甲子園ではミスを許してくれません」
初出校にとって、全国制覇の経験を持つ天理は、やはり高い壁だった。
「天理は走攻守、すべての面でレベルが高い。なんとか食らいついていったのですが、重圧を受けて守備で細かいミスが出て、6回に大量点を失ったのが痛かったですね。今回、甲子園で強豪校に勝つところまでは届きませんでしたが、3年生がいいものをつくってくれました。ここをスタートラインにして、次のステージを目指していきたいです」
監督就任から100日あまりで甲子園出場を果たした快進撃を、小田監督はこう振り返った。
「はじめは練習試合でも連敗続きで、春の広島県大会ではコールド負け。でも、そのあと、1日1日というと大げさですけど、1週間ごとに成長してくれました。最後は甲子園で、誇りを持って戦いを終えることができました。元監督の迫田さん、そのあとの長門功さんが本当にいいベースをつくってくださって、選手たちがそれをうまくつないでくれました」
【校長を経験したことで広がった視野】
小田が指導の現場を離れていた15年の間に、高校野球を取り巻く環境は様変わりしていた。
「私の指導のベースは、15年前、20年前と変わりません。ただ、生徒へのアプローチの仕方は違いますね」
40代だった頃と62歳になった今とでは、選手との関わり方が変わるのは当然だろう。ただ、小田の場合、15年間にわたって野球の現場を離れていたことが、むしろ吉と出た。
「生徒がミスをした時の対応など、局面ごとの指導もそうですけど、毎日、きちんと根拠を示しながら説明するようにしています。もともと生徒たちには"考える素養"がありました。模範解答でなくてもいいので、『自分でしっかり考えたうえで、自分なりの最適解を出せるように』と言ってきました」
しかし、「自分の頭で考えろ」と言われても、自ら考え、答えを導き出すことは簡単ではない。
「何が自分にとっての最適解なのかを考えることは、本当に大事だと思います。たとえば、福山と天理では選手の地力が違うので、当然、最適解も変わってきますよね。だから、自分なりの答えを見つけて、それを具体的かつシンプルな形に落とし込む。その作業を繰り返してきました」
校長を経験したことで、視野が大きく広がったと小田監督は言う。
「世の中も変化していますし、私自身、校長を経験したことで物事の見方も変わりました。私は"ポータブルスキル"と言っているんですけど、野球で身につけた思考力や実行力は、野球を離れても持ち運べる力だと思っています。受験勉強でも生かせるし、大学でも役に立つでしょう。将来、就職活動をする時にも生きてくる。だから、『しっかり考えて、自分の力で行動していきなさい』と言ってきました」
【今も流れる"広商野球"のDNA】
また、小田が最後に高校野球の監督を務めていた15年前と比べて、私学の優勢が目立つ。
「昔からそうなんですけど、私は私立だから、公立だからとは考えません。全国に3000以上の野球部があるなら、3000通り以上のやり方があると思っています。山の登り方はひとつだけじゃない。この夏の経験をベースにして、福山なりの新しい道をつくっていきたいと思います」
小田監督が広島商の選手として夏の甲子園で準優勝してから、44年の歳月が流れた。
「"広商野球"という言葉に、いろいろなイメージを持つ人がいると思います。私は広島商で、基本の大切さを学びました。技術的な部分はもちろん、試合や練習に取り組む姿勢もそうです。そうした"広商野球"のDNAが、自分のなかにはあると思っています」
厳しい練習と規律で知られた広島商。その伝統のなかで育った小田は、現代の高校生に何を求めるのか。
「自分で決めたことに責任を持つことです。ただ、『失敗したら責任をとれ』という意味ではありません。
広島商で学んだ基本と厳しさ、校長として培った広い視野。そして、15年の空白があったからこそ見えるようになったもの。そのすべてを携えて、小田は再び高校野球の現場に立っている。62歳の指揮官は、市立福山の選手たちと、新しい道を歩み始めた。
元永知宏●文 text by Tomohiro Motonaga










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